■langとSTUBBORN FATHERの激突を目撃して
この日大阪のハードコア大妖怪STUBBORN FATHERが参戦すると聞きつけ、迷わず足を運んだ。
激情ハードコアという言葉もある種の紋切り型のフレーズと化してしまった感もある昨今だが、langとSTUBBORN FATHERというサウンドスタイルこそ全く違うが、共に本物の唯一無二の音を鳴らす両者の激闘を簡単ではあるがここに記す。
昨年5月のレコ発以来の都内でのライヴとなったSTUBBORN FATHER。
この日はドラマーのCamelが出演出来ず、サポートドラマーとしてSeeKのWakkieを迎えての特別編成でのライヴ。
まずはWakkieのドラムがスタボーンの新たな一面を開花させる素晴らしいプレイをしていた。
Camelの独特のヨレも含めたグルーヴ感とスネアの抜けが極まったブラストビートはスタボーンの確かなフックであり、それがないスタボーンは一体どうなるのかといった気持ちもあったが、そんなのは安い杞憂でしかないと思い知る。
Wakkieの硬質でタイトなドラムはスタボーンのサウンドに泥臭さ以上に、洗練された空気感を確かにもたらし、スタボーンの持つ楽曲の完成度をアップデートさせる物に。
加えてWARPの高さがあって奥行きのあるステージはスタボーンの空気感に神々しさを与えた。
スタボーンがホームにしている心斎橋HOKAGEのステージとフロアの境界や段差のない場所でのゼロ距離でのスタボーンのダイレクトさも勿論最高だが、一段上から見下ろす様に混沌を叩きつけたこの日のライヴは大袈裟な言い方になるかもしれないが、光すら差し込んでいた感覚がある。
セットは裏側→隠された太陽→陽極→痣とこれでもかとスタボーン印のフックしか無いキラーチューンで突き抜け、ラストは間物の泥泥のサウンドで全てを置き去りに。
バンドの熱量も凄まじく、それはshigeが何度も叩きつけて脚の折れたマイクスタンドと、最後の最後にkokeが床に叩きつけてヘッドの折れたベースが物語っていた筈。
主催のlangは一昨年新ギタリスト高澤が加入し、5人編成になってから更なる快進撃を続け、昨年はその名前を一気に広げた。
この日のlangは高澤加入以降の集大成でもあり、これからのlangを提示する物だったと言える。
ライヴでは終盤にプレイされる事の多いキラーチューン「IHATOV」をド頭に持ってきた辺り、この日の気迫は違った。
langは何一つギミックや仕掛けなどなく、単純に良い曲を全力で我武者羅に演奏する。たったそれだけのバンドなんだけど、でもそれってハードコア云々抜きにして、ステージに立ち音を放つ上で一番大切な事だと僕は思う。
湯田のタイトにしばき上げるドラムのキレ、寺井の音数こそ多くは無いけど、静かにバンドをまとめあげるベース、太田と高澤のツインギターの絡みはlangの持つグッドメロディをより立体的に表現し、和田の叫びと語りと言葉が心象風景を描く。
この日はFredelicaとのスプリットの楽曲、かなり久々に聴けた1stアルバム収録の「柄」と新旧オールスターなセットリストで挑んだlangだったが、何よりも新曲が本当に素晴らしい。
langは最早ハードコアバンドではなく、ハードコアパンクの精神を奥底で燃え上がらせながら、より多方面へと突き刺すシンプルに良いバンドへと進化を遂げている。
langの持ち味の焦燥感はそのままに、より瑞々しく光り輝く日常の片隅の音と言葉。それこそがlangの一番の武器だろう。
アンコールは2ndアルバムを締める名曲「一日の終わり」。徹頭徹尾langの持つ青さが炸裂したナイスなライヴだった。
langとSTUBBORN FATHERという両者はそれぞれが目指す未来こそ違えど、引かれ合いぶつかり合うのは必然であった。
この日の両者のライヴは確かに僕の記憶に残る素晴らしい物だったと断言する。
共に未来へ向けて更に己を磨き上げ続ける両バンドを僕はこれからも追いかける。
■IKKI 2/百姓一揆
静岡県三島市発焦燥衝動型オルタナティブロックバンド百姓一揆。
今作は自主制作デモ音源の3曲に新曲を加えた全4曲の2nd EPとなっている。
フォーマットはCD100枚とカセット100本でのリリースだ。
百姓一揆は1st EP「皮と肉、骨」リリース後にギタリストとしてJamie(And Protector)が加入。今作は4人体制になって初の音源でもあり、デモ音源の楽曲も4人編成で再録となっている。
百姓一揆というバンドは現代の主流となっているSNS映えやパワーワード頼りの作為的偽音楽に対してフラストレーション全開でノーを突きつけるバンドだと勝手に思っている。
歳を取っても、いや歳を取ってしまったからこそこびり付いて消えない絶望や後悔を無作為に爆音に乗せて叫ぶ衝動を鳴らす。
彼らのサウンドはJamieが加わった事によって更に解像度と奥行きが増した。
持ち前の蒼いメロディセンスを最大限に活かすツインギターの掛け合い、更にはファズを全力で踏んだ瞬間のバーストする衝動も倍プッシュで炸裂。
ベーシスト小橋の中尾憲太郎直系のコシの強いルート弾き、ドラマー鶴野のドカドカと叩きつけるドラム。ギターボーカル和田の全開の叫び。
デモ音源の再録曲はどれもポストロック色が強いアプローチを繰り出しているが、そこには気取ったお洒落さは皆無。
クリーントーンの儚いアンサンブルとサビでバーストするカタルシスの対比がより鮮明になっている。
特筆すべきは新曲の「精神焦燥衰弱」だろう。
前作EPのキラーチューン「福沢諭吉」を超える最強の一曲に仕上がったと言える。
今作の中でも特に轟音バースト型のサウンドアプローチを繰り出し、彼らのルーツであるbloodthisty butchers、COWPERS、eastern youthと言ったバンドの音を2020年代へと更新し、その上で現代感皆無な百姓一揆節に仕上げている。
さもわかっているかの様にそれらのバンドの上積みだけをコピーアンドペーストしたバンドはこれまでも腐るほど登場したが、百姓一揆がそれらのバンドの流れにありながら全く別物になっているセンスの高さにも驚く。
それはギターボーカル和田が自らが愛する音楽を血に変え、更に嘆きと怒りをありったけで叫ぶからこそだろう。
メンバー4人のアンサンブルの臨場感は音源でもフレッシュな状態でパッケージされており、その辺りも彼らの大きな武器だ。
初期衝動を音楽にするのがロックであることなんて実際問題とうの昔に誰しもがわかっている筈の事実だ。
しかし現実はそんな衝動を純粋なまま放つだけの力量を持つバンドはほぼ皆無と言って良いかもしれない。
様々な思惑、打算、承認欲求、それらは純粋な衝動を腐らせ、そしてその瞬間だけで消費されてあっという間に賞味期限切れになる商品へと堕ちていく。
百姓一揆は90年代00年代国産オルタナティブロック感という意味では懐かしさを感じる人も多いと思う。
同時に百姓一揆は2020年という作為に満ちたものばかり溢れる時代に生まれたからこそ、年齢を重ねても消えることがなかった衝動を子供の様な純粋さで鳴らす。
だから百姓一揆の音楽は決して腐ることがない。
SNSに切り取られることのなかった日々の裏側の嘆きや後悔だけを百姓一揆は鳴らす。
綱渡りの生活の中で衰弱しても手放せない感情を鳴らしているからこそ、僕は彼らを全力で支持する。
■Straight Edge/Fragile
奈良が誇る轟音兵器が帰ってきた。
00年代末に結成され、エッジの効いた轟音とツインボーカルのポップネスでその名を広めた奈良県のツインジャスマスターオルタナティブロックバンドFragile。
2018年にメンバーが脱退し、minameeeとyuriのギターボーカルの二人だけになるというピンチを迎えながら、2019年に新ドラマーとしてマサヒロが加入。
サポートベーシストにex.脳内麻薬ズのウエダを迎えてレコーディングされた今作はバンド初となるシングル作品であり、Fragileの逆襲の幕開けに相応しいキラーチューン2曲が収録されている。
Fragileはギターポップ・ポストハードコア・シューゲイザーなどの多岐に渡る音楽性を持ちながら、ハードな轟音サウンドとメロディアスで歌心溢れるポップネスを共存させる希有な存在だ。
結成当初から現在までリリースされた楽曲こそ決して多くないが、それらの要素は全くブレていない。
そして今作はFragile史上最もハードさとポップさが高純度でパッケージされた作品となっている。
タイトル曲「Straight Edge」はバンドの再スタートへと新たな決意と覚悟しかない完全なる勝負曲だ。
2本のジャズマスターが織りなす不協和音と轟音、一発で脳味噌の最奥まで突き刺すハイがエグい程に効いたサウンドと前のめりなビート。
けれどもサビではツインボーカルが高らかに歌い上げるポップさ。
決して奇抜な事は何もしていない。けれども無垢過ぎるポップさと時に暴れ狂う轟音の対比が生み出すFragile節は極まっている。
B面の「忙殺のfade」は轟音シューゲイザーソングとなっているが、歌物バンドとしてのFragileを見せつける楽曲となっている。
エモーショナルなシューゲイザーサウンドから始まり、立体的なサウンドアンサンブルの奥深さ、あくまでもシンプルなビートとグルーヴのコシの強さ。
繊細さと力強さが共存し、メインボーカルのminameeeとコーラスのyuriの歌声の青い美しさがキラキラと輝く。
思えばFragileはこれまでも幾多のピンチを迎えてそれを乗り越えてきた。
活動停止状態だった期間もあったが、それでも彼らはその轟音を鳴らすのを止めることはなかった。
新生Fragileが放つジャンルやカテゴライズなんて不要なポップさもエッジも極限まで研ぎ澄ました必殺の2曲。
Fragileは今こそ多くの人に見つかるべきバンドだと僕は思う。
ここまで轟音に全感情を託した不器用で純粋なバンドを僕は知らない。
■sassya- × VACANT split CD release party@吉祥寺WARP(2020年1月18日)
東京のsassya-と愛知のVACANTの一撃必殺爆撃スプリットは間違いなく今年のベストリリースの一枚になる作品だ。
そんな2020年の最新型名盤を引っ下げてのsassya-&VACANTのスプリットリリースパーティは北海道の御大zArAmeをゲストに迎えての大勝負な激闘ライヴ。
更には全バンドのPAをツバメスタジオの名音楽技師こと君島結氏が担当するのだから既に最高が約束された一夜。
この日も色々と熱いライヴが被りまくっていたが、僕はこの最高が約束された夜を目撃するべく吉祥寺WARPへと足を運んだ。
この日の東京は初雪を記録し、この冬一番の冷え込みとなったが、そんなの知ったこっちゃねえって話。
真冬の夜に最高にイカしたロックバンド達の熱演が観れるんだからシチュレーションも完璧過ぎたって話だ。
・VACANT
トップは愛知のVACANTからのキックオフ。VACANTは僕個人としてやっとライブを観る事が叶い、この日彼らを目撃するのは心から楽しみだった。
VACANTはポストハードコア云々の文脈で語られることも多いのかもしれないけれど、僕はロックンロールバンドであるとずっと思っていて、この日のライヴはVACANTが最高のロックバンドであることを証明するライヴを展開していた。
本当にグレッチの音なのか?と疑いたくなる程に鋭角で尖り切ったギターの音一発で完全に勝利が約束されたライヴ。
余計な感傷を排除し、コシの強いビートとささくれだったギターフレーズだけで勝負をかましてくる漢らしさ、メンバーそれぞれの佇まいこそクールではあるが、その中に確かな熱情が迸る。
MCは殆どなし、チューニング以外ほぼノンストップで必殺の鋭角ロックを繰り出していく様は最高に気持ちがいい。
ラスト前のMCでエイさんは自らを「アマゾンの奥地の原住民の様なマイペースなバンド」なんて言っていたが、VACANTは間違いなく愛知から全世界に羽ばたくべきロックンロールバンドだ。
なんのギミックもいらない。ひたすらにビートとリフに愛されたからこそ生み出せる鉄のサウンドは問答無用だ。
最後の最後にギターボーカルのエイさんが「狂って帰れ!!!!!」と叫んだ。
2001年の下北沢SHELTERでの「狂気狂鳴」のCOWPERSのライヴで最後に現動氏が吐き捨てた言葉であり、その辺りも含めて本当に燃え上がるライヴとなった。
・zArAme
ゲストバンドは北海道のレジェンド達によるスーパーバンドzArAme。
この記念すべき日にzArAmeがゲストバンドとして参戦したのは必然だったと思う。
幻想的で美しいインスト「転生」からキックオフ、そのまま畳み掛ける様に「lowpride」、「ラストオーダーはディスオーダー」とzArAme印のキラーチューンが繰り出される。
zArAmeはVACANTとsassya-に比べたらキャリアが長い人たちによって結成されたバンドではあるが、円熟の中にある冷めない衝動と鋭角さがあり、がむしゃらに尖り切るのではなく、その尖りにどこか優しさすら感じる。
例え形を変えても音楽を続けてきた人たちだからこそ生み出せる貫禄がzArAmeにはある。それは轟音と叫びと共に今なお狂い続ける音像だ。
現動氏とイサイ氏が漫才の様な掛け合いMCをしたりとほっこりする時間こそあったが、理屈抜きに轟音で殴り付けるサウンドはzArAmeが現役の本物であるからこそ生み出せるものだ。
ラストの「微唾」の感動的な瞬間まで何一つ隙が無いライヴだった。
zArAmeはex.COWPERSだとかex.theSunというメンバーのキャリアだけで語り尽くせるバンドではない。
現動氏の最高の叫び唄と共に積み重ね続けるからこそ生み出せる熱情。
WARPのフロアは完全にzArAmeの空気になり、その音だけで世界を変えることが出来るなんて子供みたいな幻想もzArAmeを観ていると確かに信じることができるんだ。
・sassya-
トリのsassya-がこの日の全てを持っていったと思う。
この日のsassya-は今後伝説になり得るであろうライヴを繰り出していた。
いつもライヴの最後にプレイされる勝負曲「脊髄」でスタートした瞬間にこの日は何もかもが違うと確信した。
岩上氏のやり切れなさを叫ぶボーカルの気迫、決して音数が多くないからこそ鋭角さに繋がるアンサンブルのハマり具合、ギターとベースとドラムが一つの生き物になっているグルーヴ、初っ端から感動的で生々しい空気に包まれる。
sassya-のライヴはその緊張感が異様だ。ドラムとベースの一体感に加えて、ファズを踏む瞬間の気迫とその一瞬の後に繰り出される爆音のギター。
自問自答の言葉、爆発する瞬間のカタルシス、決して速い楽曲が多いわけではないが、高まった瞬間に繰り出される感情の疾走。ロックバンドとして全てが完璧なライブをsassya-は常にブレずに展開する。
この日の終盤は待望の新曲もプレイ。一曲目の新曲はsassya-印のブルースとも言うべき新境地、そこからスプリット収録の新たなるキラーチューン「吠えないのか」へと雪崩れ込む瞬間にはWARPの空気は全身を切り裂くものへ。
そして本編ラストでプレイされた新曲がsassya-史上どころか、ロック史に名を残すかもしれないとんでもない名曲だった。
勝負曲「脊髄」すら霞んでしまいそうになるsassya-史上最も物哀しく優しい名曲。
ベタな例えになってしまうの承知で言うが、bloodthirsty butchersの境地にまでsassya-は遂にたどり着いた。そしてこの日初めて聴いたこの新曲で気付いたら涙を流していた。
そんな感動的なラストからアンコールでの4カウントからの「だっせえパンクバンド」での全力で暴走するサウンドで一気に天までぶち上げて行く瞬間。問答無用で血管が破裂しそうになるくらいの興奮。
本当にずるくて嫉妬しそうになる程にこの日のsassya-は完璧だった。このバンドは本気で持っているバンドだなって再認識したと同時に、だからこそ本物のロックバンドであり続けているんだろう。
VACANT、zArAme、sassya-と活動拠点も世代も違うけれども、どこまでも尖り続ける事で未来を切り開く3バンドの生み出す空気に酔いしれた特別な夜になった。
WARPを出ると熱狂と熱情を冷ます様な寒さの中、まだ小雨が降り続いていた。
冬の寒空の下の帰り道の東京はいつもと変わらないけど、なんだかいつもと少しだけ違う空気が流れていた。
何者にもなれない僕でも、たった3時間3バンドのライヴを観ただけで、世界が少しだけ変わった気がした。
随分といい歳になった自分でもそんな事を恥ずかしげもなく心から思えるのは最高のライヴを目撃したからだろう。
二度と同じ夜は訪れないからこそ、この日の夜はずっと記憶に残る。