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■ReddTemple 12/Redd Temple

このバンドは本当にオリジナリティの塊だと思う。福島から精力的に活動する3ピースであるRedd Temple。現在そのライブ活動を目撃した人々の間で本当に高い評価を受けているバンドだが、そんな彼等の2013年リリースの初の単独音源は12インチでのフォーマットでの全12曲の作品となった。またMP3ダウンロードコードも付属している。
音楽性は全然違うし誤解を招きそうな発言だとは思うけど、僕はこのバンドを聴いているとふと54-71の存在が頭をよぎる。それは54-71もそうなんだけれども、Reed Templeも最小限の音で最大の効果を生み出すバンドであり、極限まで削ぎ落とした音が最大の快楽を生み出すからだ。またそのライブも凄まじく本当に一発目の音で空気を変える、そんな部分が個人的に54-71とシンクロしたりする。
勿論音楽性は全然違う。Redd Templeのバックボーンにあるのはニューウェイブやノーウェイブであったり、DISCHORD周辺のバンドの流れを感じるけど、それらのバンドの流れにありながら全く違うオリジナリティ溢れる音を生み出している。バンドのアンサンブルは言ってしまえば本当にスカスカで、3ピースというシンプル極まりない編成だけで無く、ギターもベースもドラムも本当に必要最低限の音しか存在していないし、ギターに至ってはそのミニマルなフレーズの反復がフレーズの大半だったりする。ある種の8bit感さえ感じるレベルですらあるのだ。ベースもドラムも基本的に最小限の音で最小限のフレーズを反復させるスタイルで、その反復から徐々に音を変化させつつも、決して沸点には到達しない。でもある種の微熱の感覚を常に孕んでいるし、それが次第に脳を侵食していくのだ。何よりもそんなスカスカな音でありながらRedd Templeの音は踊れる音になっていると僕は思う。フレーズにミニマルな反復が徐々に高揚感を生み出し、本当に空白だらけのアンサンブルなのに不思議と踊れるし、不思議とキャッチーだったりもする、だからこそRedd Templeの音には確かな捻れと断層があるし、それが益々聴く人の脳を混沌へと叩き落してしまうのだろう。そして残酷なまでに無慈悲で冷徹でもあるのが恐ろしい。本当に最小の方法論で最大の効果を生み出す全12曲が並んでおり、一部の楽曲を除くとそのどれもが短い楽曲が大半だったりするから作品全体を通して聴きやすかったりもするし、その楽曲毎に変化していく反復のビートとフレーズは緊張感に溢れるアンサンブルを生み出しながらも最大の効果を生み出すダンスミュージックになっている。
Redd Templeのライブは何回か拝見させて頂いてもいるが、このバンドがまたライブバンドであり、音源より更に緊張感溢れるアンサンブルで本当に空気を鋭くするライブを展開しており、それがあって福島を拠点に活動しながらも都内での積極的なライブ活動も手伝って本当に多くの人々に現在進行形で衝撃を与えている。唯一無二なオリジナリティとアンサンブルで聴き手の脳を揺らすRedd Temple。これから益々多くの中毒者を生み出すバンドになると確信している。
■F.A.B.L.E/Elevation
![]() | F.a.B.L.E. (2007/05/29) Elevation 商品詳細を見る |
現在は残念ながら活動を休止してしまっている男女混合4ピースポストパンクバンドであるElevationの07年リリースの4曲入作品。女性ボーカルによるどこかシニカルでアンニュイでありながら妙にパンキッシュなボーカルと共に硬質の鋭角ポストパンクサウンドを鳴らしている。NEW WAVEのサウンドを現代的にアップロードした音は切れ味抜群でありながらも、妙な懐かしさや下世話さもあり、やたら新鮮。
再生した瞬間に切れ味抜群の金属的なギターのカッティングがやたらダンサブルに刻まれ、人力四つ打ちビートと、極太で躍動感に満ちており、美味しいラインを絶妙に入れてくるベースラインがもう正統派NEW WAVE・ポストパンクのそれでしか無い第1曲「B3f Animal Club」がを名刺代わりに繰り出す、ポストパンクのダンサブルな要素をより色濃くし、それでいてキュートさをキャッチーさに変換させるセンスがナイス!踊れるカッティングを見せつけつつも、微かにNEW WAVEの時代のアバンギャルドさを感じさせる辺りはキュートでキャッチーになったThe Pop Groupといった所。一方で第2曲「Gestapo」ではギターがノイジーに暴れ、不協和音を掻き鳴らしながらも、安定感あるダンサブルなビートは相変わらず。ジャンクなサウンドになっており、それにアンニュイなボーカルが乗る事で程よい気だるさの中で踊るサウンドを鳴らしている。とにかく彼等の音は人力のダンスサウンドになっており、NEW WAVEとポストパンクのアバンギャルドさを残しつつも、その中にある「踊れる」という部分に対して非常に従順だと思うし、アバンギャルドとキャッチーという相反する要素をダンサブルという要素で結び付けているからこそ、聴き易いし、踊れるけど、妙なジャンクさと、妙な中毒性を兼ね備えている。第3曲「Wild Dessin」ではより硬質なギターワークが展開され、歪みまくったベースとギターがそれぞれ暴れ狂い、テンション高めでありながらも、そのテンションに同調しながらクールなボーカルはある種王道のオルタナティブさすら感じてしまう。
古き良きNEW WAVE・ポストパンクを継承し、不協和音塗れのジャンクなサウンドをより「踊れる」という方向に特化させて、より間口を広くした全4曲。アバンギャルドさとキャッチーさを絶妙に融和させた音は中毒性に満ちている。
■The Eye/K.U.K.L.
![]() | Eye (2002/05/23) Kukl 商品詳細を見る |
今や世界的アーティストとして名高いビョークであるが、そのビョークが現在のソロはおろかThe Sugarcubes以前に参加していたバンドがこのK.U.K.L.(クークル)であり、今作は84年に発表された1stであるが、現在のビョークとはかけ離れた呪術的なポストパンクであり、当時から考えたらかなり前衛的であっただろうし、何よりもビョークのボーカルスタイルが現在とは全く違う。狂気に満ちた呻き声と囁きと叫びを撒き散らす邪悪なボーカルスタイルなのだ。しかもリリースはあのCRASS RECORDSであり、CRASSのペニー・リンボーがプロデュースしている。
その音楽性はニューウェイブ・ポストパンクに分類されるのだけれど、民族音楽を取り入れ、ゴシックパンクの空気を思いっきり吸い込んだサウンドは正に呪詛のサウンドであり、聴き手を恐怖に陥れる事は間違い無い。硬質でジャンクなポストパンクのビート、コーラスを使用しポジパンの様な感触を持たせながら不協和音のフレーズを奏でるギター、パーカッションや民族楽器を取り入れたサウンド、そしてビョークのボーカルとどこを切ってもキャッチーさは皆無であり、陰湿極まりない。第1曲「Assassin」からソロでのビョークしか知らない人は卒倒してしまう出あろう女性特有の精神的狂気を更に助長させるサウンドに驚くだろう。曲名通りオリエンタルな空気を醸し出しながらも、ゴシックも通過した楽曲は不穏の空気を生み出しながら進行していくし、終盤のブレイクからのビョークのシャウトすら超えた叫びには神経に嫌な信号が伝わるレベルだ。第2曲「Anna」ではアフリカ辺りの民族音楽を想起させる笛の音色ともう一人のボーカルである男性のアイナーのポエトリーな囁きとビョークのボーカルが儀式めいた空気を作り出しているし、どこまでも不安を煽りまくってくる。第4曲「Moonbath」に至っては完全にダークアンビエントの領域に足を突っ込んでいるし、笛の音色とシンセの不気味な音色におぼろげなビョークの声が乗りこちらも不気味な楽曲。第5曲「Dismembered」でのビョークとアイナーの掛け合いボーカルと共に冷徹に進行していく様や、第7曲「The Spire」のジャンクな狂騒、第8曲「Handa Tjolla」のケチャを思い浮かべてしまいそうになるパーカッションの乱打といい、アイスランドという国を全く想起させない多国籍な要素を孕み、それを混沌と邪念の音楽に変換したサウンドは畏怖の念を抱かずにはいられない。
感触としては決して音楽性で言えば近くはないけれど同じ80年代の日本のカルト界の歌姫であった戸川純が思い浮かんだりもしたが、K.U.K.L.は更に狂気が暴走しているし、ポストパンク・ポジパン・ゴシック・民族音楽を無節操に取り込み、それをビョークの狂気へと帰結させている。80年代にここまでの音楽をやっていた事にも驚きだが、今や世界を代表する歌姫であるビョークのルーツがこのバンドである事実も衝撃的だ。ソロ作品でも時折垣間見えるビョークの狂気だが、それがK.U.K.L.では更に高い純度で暴走している。
■抑止音力/突然段ボール
![]() | 抑止音力 (2009/08/05) 突然段ボール 商品詳細を見る |
何処にも属す事の無く居場所が無いロック。後にも先にもこんな作品が出てくる事は無いんじゃないかという化け物みたいな作品は多い様で実は少ない気がする。蔦木兄弟率いる突然段ボールが91年に発表した今作は紛れも無くそんな作品であるし、居場所なんてどこにも無いし、本当の意味で反骨精神とアナーキーさに満ちた孤高の名盤。それがこの「抑止音力」だ。奇妙に歪みまくったリズムマシーンのビートとギターとボーカルという編成もよく分からないし、音の響きはあまりにも奇妙だし、旋律も歪みまくったポップさがあるし、何より蔦木栄一の歌は居場所の無さに満ちている。誰一人として似ているボーカリストはいないし、圧倒的説得力と知的さと反骨精神に溢れた歌は絶対の物だ。
今作の凄まじさは第1曲「夢の成る丘」を聴けば一発で分かると思う。リズムマシーンにビートと木琴とギターが鋭角なニューウェイブな感触で鳴らされ、そこに蔦木栄一の力強さと怒りに満ちた歌声が乗った瞬間に、今作の異形さが一気に世界を支配する。蔦木栄一は本当の意味でポリティカルな人であるし、突段は何の装飾や誤魔化しの無い本当の意味での芸術性とメッセージ性を確かに持っている事が嫌という程に伝わってくる筈だ!
その他の楽曲に関してもサウンドのアプローチも精神性も徹底しているし一貫している。何かに抗い続けているからこその居心地の悪さが作品全体に満ちているし、ジャンクさとニューウェイブ感覚に満ちた楽曲のキャッチーさが尚更その居心地の悪さを加速させていると言える。突段のパンク精神とポリティカルさに嘘なんか無いし、徒党を組んで反抗ごっこをしているだけの名前だけの糞みてえなパンクスもどきには逆立ちしても出せない言葉の力が圧倒的過ぎる!そしてどこまでも不器用なバンドだとも思う。本当に真っ直ぐなメッセージや怒りを全然スマートに伝えてなんかいないから。それで良かったのだと僕は思ったりもする。この泥塗れな不器用さこそが今作の核になっているのだから。
残念ながら蔦木栄一はもうこの世の人では無い。しかし弟の蔦木俊二の手によってバンドは現在も活動を続けているし、何より「抑止音力」という化け物を残していってくれたのだから。今作は日本語ロックの異形の作品であるが、同時に日本語ロックの最果てに存在する大名盤だ。JOJO広重も言っていたが今作をまだ聴いていない人は今すぐにでも聴いて欲しい。本当にもっと評価されるべき作品だし、日本語ロックの本質が存在しているし、聴いたらロックに対する価値観が間違いなく変わるから。
■タコ/タコ
![]() | タコ (2011/03/23) TAKO(タコ) 商品詳細を見る |
先日の待望の再発も記憶に新しい山崎春美率いる80年代を代表するカルトユニットの1stアルバム。先ず参加メンバーが本当に凄まじい。坂本龍一、町田町蔵、遠藤ミチロウ、佐藤薫etcと奇才達が山崎の元に集結している。そして作品として本当に未整合な混沌とした物だ。パンク・ファンク・フリージャズ・歌謡曲と楽曲の色が本当にバラバラだ。今作は80年代の狂騒を表す作品であるし、そのインパクトもかなりの物であるが、単純に音楽作品として異形でありながらも、屈指の完成度をそれぞれの楽曲が持っているのだ。
第1曲「免疫」からいきなり山崎春美がのた打ち周り呻き叫ぶだけの一人パラノイア劇場が展開されている。狂人の狂騒に続く第2曲「仏の顔は三度までだった」でパンク要素とアイドル歌謡が何故か自然に混ざる異様な80年代の地下世界に僕達は完全に足を踏み入れる。
超絶テクによって繰り広げられるインプロの海に発狂寸前の町田町蔵が「カミカゼー!」と叫び、差別用語もガンガン飛び出す第4曲「きらら」、女ボーカルと奇妙な音のコラージュとパンキッシュな楽曲が別チャンネルで行き来する第6曲「赤い旅団」、フリーキーなサックスと解体されまくった歪みのギターをバックにアシッドフォークが展開される第14曲「鵺」とバラエティーに富んだ混沌が今作の大きな核だが、特に素晴らしいのは坂本龍一作曲の第12曲「な・い・し・ょのエンペラーマジック」だ。タイトルは「い・け・な・いルージュマジック」のパロディ、特別ゲストに昭和天皇の音声、昭和天皇をdisりまくった歌詞、女性ボーカルテクノポップでありながらくぐもったダークさ、そしてスケールや拍の概念すら崩壊したピアノソロと坂本龍一の隠された名曲であり、それと同時にタコの象徴する楽曲になっているのだ。
そして最終曲「宇宙人の春」はガセネタのセルフカバーであり山崎春美がボーカルを取るハードコアパンク。グチャグチャに解体されたギターフレーズと、本当にオーソドックスなハードコアパンクなリズム隊に、がなり叫ぶ山崎、今作での混沌が全て収束し、狂騒を残したまま終わる素晴らしいラストだ。
タコは80年代前半の狂騒と共に消滅し、タコは後生に伝説だけが語り継がれる事になった。しかし80年代だからこそ出来た狂騒としての音楽の価値は本当に大きい。参加メンバーの豪華さを差し引いても、その音楽的功績は素晴らしい物であると言える。
山崎春美という奇才の元に集まった奇才達が織りなす破壊的なジャンクさは当時だからこその音楽だ。その混沌は今でも大きな衝撃を持っている。