■stereo type
■Out Of Sight,Out Of Mind.EP/stereo type

先日、活動限界ワンマンを終えて一先ずはその活動に幕を閉じてしまった三島のポストロック・マスロックバンドであるstereo typeの最後の音源である2曲入EP。今作はタワーレコードとHMVで10月頭から販売される予定の作品だが、僕が足を運んだstereo typeの活動限界GIGで先行販売されていたのを購入したので、一足先に紹介させて頂く。また各種ディストロでも既に販売されていたりもする
今作は2曲入の作品だが、stereo typeの持っていた熱量やら鋭利さやら美しさがこれまでのどの作品よりも際立っているし、何よりも屈指の完成度を誇る2曲が収録されている。持ち前のサウンドを更に進化させた2曲を聴くと、改めて活動限界を迎えてしまったのが残念だ。彼等のサウンドは絶妙にエモーショナルな熱量、クリーンであるのに何処か歪んだサウンド、各楽器のスリリングなぶつかり合いによって飛び散る火花、時にエヴァーグリーンで美しいフレーズを聴かせ、時にマスロックの性急かつテクニカルなアプローチの乱打。それらの彼等の魅力がこれほどまでに無い位に凝縮されていながら、更にドラマティックな展開を見せる様になって、インストであるからこそ生み出すギター・ベース・ドラムだけの三つで圧倒的な音数と情報量を孕ませ、最後の最後に不穏に熱量を加速させるフレーズの乱打が咲き乱れる「さよならを教えて」を聴くと、本当にこのバンドはまだまだ行けたと思う。
もう1曲の「大言壮語も吐いて去ろう」もラスト音源にも関わらず彼等の新たな境地を見せている楽曲で、これまでのどの楽曲よりも音が素直で直情的な熱を孕んでいるし、最後の最後でディストーションギターのが爆音で本当に感情を揺さぶる旋律を開花させる瞬間とか本当に堪らない。これまでの彼等は確かなエモーショナルさを持っていたバンドではあったけど、それを絶対零度の鋭利さや残酷さを通過させて鳴らしていたし、だからこそ、ここまで素直な音を彼等が鳴らしたのは驚きだし、それは今作が最後の音源だからなのかもしれない。本当に今作にあるのは、stereo typeの確かな軌跡と、最後の最後にまた進化したサウンドだし、だからこそ本当に活動限界は勿体無いと心から思う。
stereo typpeというバンドは終わりを迎えてしまったが(あくまでも解散でも活動休止でも無く、活動限界と言う体ではあるけれども)、最後に残した今作に収録されている2曲は彼等の確かな軌跡であり、その集大成だ。だからこそ、もし彼等が再び新たな音を鳴らす時は、改めて全力で追いかけて行きたいと僕は思う。
■Tokyo Blue/stereo type
![]() | Tokyo Blue (2012/04/11) stereo type 商品詳細を見る |
静岡県三島市にて結成された3ピースインストバンドであるstereo typeの2012年リリースの最新2ndアルバム。ミックスとマスタリングは9dwの林田氏が手がけている。1stにて絶妙な平熱と微熱の狭間のエモーショナルさを卓越した演奏技術のスリリングさを用いて表現していた彼等だが、その熱量は変わらず今作では更に深く踏み込み、より幅広くなった彼等の表現に確かな進化を感じさせてくれる作品になっている。
マスロック的要素を飲み込み目まぐるしく変化していく風景を描き、深夜のドライブの移り変わる情景の様なサウンドが今作にも存在しているが、前作はマスロック色の強いサウンドでそれを描いていたが、今作では更にポストロックバンドとしての表現の懐の大きさや渋さといった要素も見せてくれている。第2曲「東京ブルー」では序盤は変則的かつ鉄壁のビートとテクニカルなマスロックを飲み込むギターフレーズで構成された鉄壁のアンサンブルで目まぐるしい展開を見せるというstereo typeならではのサウンドを展開、これまで通りクリーントーン主体のギターの音で構成されているが、絶妙にギターの音色の幅を広げて更なる変化を加えていたりと、ポストロックの叡智を更に盛り込んでいるし、中盤から後半にかけてはスリリングさをより加速させた上でそこから情緒豊かなギターフレーズがエモを生み出しスケールを拡大させながらも、あくまでも壮大にはしないで、平熱の中で微かに膨張する熱みたいな物を感じるのだ。第3曲「隣り合う緑」ではシンセを取り入れたり、終盤で更に轟音系ポストロックなシューゲイジングするギターサウンドをあくまでも彼等の熱量とスケールで見せていたりしているし、よりポストロックバンドとしての幅を広げたのをアピールしつつ、あくまでもスリリングな3ピースならではアンサンブルを基調にしているし、そこにある肉体的なアンサンブルの切れ味は全くブレを感じさせない。第4曲「海ファズ」は特に秀逸な1曲になっており、深海の奥深くから、クリアの視界を徐々に濁らせ、そして最後はそんな深海をファズの歪みまくったサウンドで濁らせまくり、淀んだ情景へと変貌していく。揺らめきを冷徹さで表現するこの曲には彼等の大きな成長が見られる。更に第6曲「午前二時のジャンクション」では打ち込みを導入し、ドリームポップ等の要素を感じさせる楽曲に仕上げているという新たな試みにも挑戦している。そこからスリリングさを全開にした第7曲「飛ぶ鳥と共に走れ」へと雪崩れ込む流れは個人的にかなり好きだったりする。ディスコードかつ冷徹なギターワークが冴えまくっている第9曲「絶望病」、そして緩やかに引いたと思えばまた焦燥感へと変貌する第10曲「渋谷まで」のエンディングも寄せては返す今作の流れを見事に締めくくっている。
今作で彼等はバンドとして大きな前進を果たしたと思うし、国内ポストロック・マスロックのバンド勢の中で飛び抜けた実力を持つ彼等が更なる飛躍を見せるのはもう間違いの無い確定事項だと思うし、「Tokyo Blue」というタイトル通り、深夜の東京の情景を描いたかの様な今作は平熱の中の狂気をアンサンブルで描く彼等だからこそ生み出せた作品だと言えるだろう。この切れ味の鋭さはやはりstereo typeならではである。
■real that she knows/stereo type
![]() | real that she knows(リアル・サ゛ット・シー・ノウス゛) (2009/12/26) stereo type(ステレオタイフ゜) 商品詳細を見る |
静岡県三島市にて結成された3ピースポストロックバンドの09年発表の10曲入り1stアルバム。今でこそ日本でもポストロックバンドがかなり多くなって来たが、このバンドはその中で新たな音を生み出そうとしている期待の若手ポストロックバンドだ。不協和音駆使の旋律と静謐でありながら、絶妙に盛り込まれたマスロックの叡智と、キリキリと緊迫した空気の中で生まれる冷徹かつノスタルジックなエモーショナルサウンドがそこにある。
このバンドのサウンドの根底にあるのは3cm tourの様な冷え切った狂気のポストロックであったり、ENGINE DOWNの様な絶妙な熱量と乾いた感触を持ったエモさであるが、それをマスロックの方法論を導入してカオティックにした末に削ぎ落としたかの様なサウンドへと進化させている。楽曲の尺も短い物も多く3ピースの最小限の楽器の音と本当に必要な音のみで生み出す緊迫したアンサンブル。ボーカルレスであるが、不協和音をカオティックに鳴らすクリーントーンのギターはどこか妙な歌心というか嘆きを表現しているし、淡々とポストロックを軸にしながら、さらりと変拍子を駆使するビート、演奏技術は卓越した物があるが、決してその技術先行のサウンドで終わるのでは無く、それを確かな表現力とし、天国でも地獄でもない日常の中の空虚さややるせなさといった感情を見事に最小限の音で表現している。哀愁の旋律を響かせながら、そのエモさだけでなく、それをズタズタにしたマスロック要素がよりその旋律を際立たせる第2曲「被害妄想癖」の様に緻密な楽曲とは裏腹に妙な焦燥感を感じるし、それが彼等が単なるポストロックバンドで終わらない大きな要因になっているのだ。特に第5曲「午前二時からのドライブ」の完成度は高く、メロウなポストロックから始まり、その焦燥感を膨張させ、時折ジャズコードを使用したパートも取り込み、中盤でマスロック的ピロピロサウンドが飛び出した末にディストーションサウンドが暴発する生々しさに満ちた轟音パートへと移行し、最後はクールなポストロックで終わるという非常に目まぐるしい展開を見せる楽曲だが、その中でも彼等のサウンドの熱量は決してメーターを振り切らないし、冷たい熱さという一見矛盾した感覚が確かに息づいている。そしてそれらは他の楽曲にも確かに存在しているし、転調を繰り返す構成の中で不意打ちの様に登場するディストーションや、安易にドラマティックにはならずにただ淡々と目の前の脳内の混沌を呆然と眺める様な虚しさ、全てがサウンドに表れている。
かなりの若手バンドだったりするが、ポストロックという物が日本のシーンに根付いた先の世代の回答として彼等の音は確かな力を持っているし、静かに感情を掻き乱す不協和音の生々しい叫びみたいな物を鳴らすポストロック。クールでありながらも、非常に感情的なサウンドは静かに聴き手の心を抉り取る残酷さすら感じる。春には今作に続く2ndアルバムがリリースされる予定だし、これからもその動向と進化から目が離せないバンドだ。