■花電車
■The Golden Age Of Heavy Blood/花電車
![]() | ゴールデン・エイジ・オブ・ヘヴ (1992/02/25) 花電車 商品詳細を見る |
BOREDOMSにも参加していたヒラ氏率いる大阪の伝説の一つである花電車。今作はそんな花電車の記念すべき89年リリースの1stであり、大傑作である2nd同様に日本のヘビィロックの重要作品として数えられている。ハードロックヘビィロックに忠実でありながらも、よりドゥーミーによりサイケデリックに音を追求して荒涼としたサウンドとは裏腹に情念に満ちたヘビィロックが確かに存在している。そしてリリースはJOJO広重のアルケミーから。もう何か色々完璧だ。
2ndに比べるとこの1stはもっとハードロックやヘビィロックという物に忠実なサウンドを鳴らし、ドゥームやスラッジの要素も盛り込みつつも、もっとタイトで直接的なアプローチをしていると言える。サウンド自体は王道のハードロックだし、初期サバスからの流れも確かにsる。しかしそれでも彼等は真っ当なヘビィロックバンドではとても片付ける事なんか不可能な違和感やざらつきが常に付きまとっている気がする。ヘビィさを極めたからこそサイケデリックでトランス出来るグルーブの陶酔感、おどろおどろしいボーカル。しかし乾いたハードロックサウンドは極めて痛快で、ストレートなリフを突きつける事による殺傷力、そのリフの重みからくる酩酊の世界。相反する様な要素が絶妙な融和を果たし、時にのた打ち回るビートがよりグルーブをかき乱し、結果として殺気と狂気のロックに仕上がっているのではないか。そして今作の殆どの楽曲が難しい理論なんて実は全く存在しない。コード進行なんてブルースコード基調だし、楽曲自体は長尺の楽曲こそあってもシンプルではあると思うし、プログレッシブロックの要素も存在するが、それがより色濃い2nd以上にロックでしかない。ギターソロなんて本当にド直球のストーナーだし、海外のロックバンドにも匹敵する馬力が彼等にはあったからこそ堂々とギミック無しのハードロックをしているのだ。でも海外バンドの模倣で終わってたら花電車を聴いてて感じる違和感や居場所の無さは全く生まれない筈だ。彼等は日本人のロックバンドであるからこそ堂々とハードロックを鳴らしながらも、そこにありったけの情念を込めて、ヘビィロックやストーナーが持つ最も純度の高い危険な部分を全部情念という物に変換している。第1曲「Bad Tube」から鋭角のビートと煙たさを持ちながらも乾きざわついたギターリフの応酬。第2曲「Blood Star」の淡々と紡がれるダウンテンポのヘビィさから転調して終盤からプログレッシブな要素を見せる展開。第4曲「Future Deadlock」では正統派ヘビィロックとプログレッシブロックの正面衝突。第5曲「Headspinningdizzyblues」はストーナーとハードコアパンクの融合とも言える1曲だし、一筋縄ではいかない音を鳴らし、それをヘビィロックに帰結させる力こそ、彼等がマスターオブハードロックと言われている所以であろう。正統派の音に自らのエッセンスを加えて、それを煮えたぎるマグマのドロドロ具合にとして彼等は表現しているのだ。
1stにして彼等は既にヘビィロックの鬼と化し、どこまでもロックであり続けることから逃げずに、それを自らの音として鳴らしてしまっていた。より孤高の領域に到達している2ndも勿論大傑作なんだけれども、無尽蔵に溢れ出るエネルギーをより深淵の物としながらもロックであり続けている今作も花電車を語る上では絶対に外せない1枚だし、だからこそ彼等はマスターオブハードロックと呼ばれていたのだ。
■Hanaden Bless All/花電車

90年代初頭に活躍し日本の伝説的ヘビィロックバンドとして現在も語り継がれる存在である大阪の花電車。マスターオブハードロックと呼ぶに相応しい痛烈なヘビィロックサウンドとサイケデリック・プログレ。スラッジの領域まで到達した無尽蔵かつ破壊的な音を鳴らしたバンドであるが、今作は花電車の92年発表の2ndにして2枚組の大作だ。日本が誇るアングラレーベルであるアルケミーからリリースされ日本のアングラのロック史を語る上では外せない1枚となっている。
彼等が鳴らしているのは徹底的に乾ききったヘビィロックであり、その音は痛烈の一言に尽きる。それでいて長尺の楽曲も多くプログレ要素をふんだんに盛り込んでいるし、ドゥームやストーナーの要素を盛り込んだギターリフは非常にサイケデリックに響く。録音自体は非常に乾いた感触だし、無慈悲にヘビィなリフで突き通しているのにその奥底にあるのは非常にドロドロとした情念的なサウンドだ。disc1の方の楽曲は無慈悲かつ冷徹な悪夢のハードロックの鬼神に呼ぶに相応しい楽曲を叩き付ける。初期サバス系統のドゥーミーなサイケデリック感覚を押し出しつつもよりバッドに入った不安と恐怖を駆り立てる楽曲は脳髄を粉砕する岩石の急降下サウンドだ。しかし第4曲「TTT」では一転してミドルテンポで揺らぎのギターフレーズが空間を支配しドロドロとした情念を前面に押し出す名曲になっており、日本人だからこそ生み出せる情念のヘビィロックの一大絵巻になっている。ゴリゴリのヘビィロックサウンドを展開しながらも長尺の楽曲になるとプログレッシブな複雑な楽曲構成を見せるし、第6曲「Worship」ではドープなダウナーさを極めているし、ヘビィロックの危険度をMAXまで極めて、それを多方面に放出している。変わってdisc2の方はよりサイケデリック要素を強めた楽曲が並んでおり、プログレッシブな要素も強くなっている。サイケデリックさとヘビィさで押し倒しながらも中盤の転調で一気にプログレッシブサイケデリックと化す第8曲「Blues For Jaronote」はKing Crimsonの様なプログレ絵巻を見せ付けるし、disc1とはまた違う花電車のサウンドが展開される。直接的なギターリフは減り、殆どのリフがワウ等を駆使しよりノイジーに聴こえてくるし、花電車のヘビィロックの輪郭が全く掴めなくなってしまいそうになる。ヘビィロックやプログレのルーツに忠実なサウンドの筈なのに、それらと全く違う花電車にしか生み出せなかったヘビィロックが確かに存在しているのだ。それはサイケデリックさに彼等が忠実だったのと、乾ききったサウンドプロダクトでありながら奥底に眠るダークさを彼等が無尽蔵に放出しているからこそだと思う。完全にスラッジプログレとしか呼べないサウンドを展開する第10曲「Virgin Oyster Juice」と空間的な揺らぎで美しく甘い世界を生み出し、それをかき消す狂気の叫びが入り込んだ瞬間にその音色を狂気と恐怖に変えて、最後は全てを粉砕するスラッジリフの鬼になりふざけた幻想をブチ殺す第11曲「Deepfreezemania」は本当に彼等じゃなかったら生み出せなかった名曲だと思う。
ヘビィロックやプログレに非常に忠実でありながらも、決してそこで満足はせずに情念のサイケデリックロックを極めたからこそ到達できたヘビィロックの極地。90年代初頭でスラッジやドゥームさを取り入れながらも、決して誰かの真似事ではなく、殺意と情念でそれを自らの物にした作品であるし、それは決して揺らぐ事は無いし、現在でも圧倒的な存在感を誇り花電車は伝説のバンドとして君臨している。日本人だからこそ生み出せたヘビィロックの一つの到達点として今作は存在しているし、だからこそ花電車は現在も語り継がれる伝説なのだ。