■Boris
■Phenomenons Drive/Boris
結成25周年を迎え、日本のみならず世界中にその独自のヘヴィロックを発信し続けたBoris。昨年リリースのフルアルバム「Dear」はドゥーム/スラッジに回帰しながらも、Borisのさらなる進化を体現した快作に仕上がった。
そんなBorisの新たなる一手は日本のアンダーグラウンドシーンの異端のレーベルとして名高いHello From The Gutterからの12インチアナログ盤のリリース。全3曲28分に及ぶ濃密なる一枚だ。
今作は2016年2月の割礼との2マンライヴで披露した割礼の「散歩」のカヴァーを収録している事からうかがえる様に、サイケデリック方面のBorisを突き詰めた一枚に仕上がっている。
昨年リリースの「Dear」はBorisが持つヘヴィロックからのサイケデリックを高純度でパッケージしたBorisの核の部分が可視化された作品となったが、今作は更に全てを置き去りにするサイケデリックへと突き進んだ物に仕上がっている。
タイトル曲になっている「Phenomenons Drive」は実に15分近くに及ぶパワーアンビエント絵巻。聴覚だけでなくまるで視界をも埋め尽くす様な重低音が終始響き渡りながら、その轟音の奥底からは不思議とメロディとストーリーを想起させるのはBorisだからこそ出来る技だろう。
割礼のカヴァーである「散歩」は原曲を更にスロウかつヘヴィにアップロードした実にBorisらしい仕上がりとなっている。
煉獄の底からうねる重低音の業火、その音像の中から朧げに響くボーカルは割礼が持つスロウなグルーヴとサイケデリアをBoris流に解釈した物。
そんなアプローチから後半でメロディとビートが輪郭を明確にしながらも、更に地底の底へと沈み行く感覚は異様な中毒性に満ちている。
そんな重厚な2曲のサイケデリックパワーアンビエント絵巻を締めくくるのが約4分のコンパクトなアンビエント「センシタイザー」。ただ置き去りにするのではなく、聴き手にしっかりと余韻に浸る時間も用意する事により、今作に一つの結末を想起させる。
時間軸が崩壊した涅槃の世界へと聴き手を誘う全3曲。常に聴き手の想像を裏切り、自らのヘヴィロックを更新し続けるのBorisがこの様な作品をこのタイミングでリリースした事には大きな意味があるだろう。
形骸化したロックに抗い続けるBorisが深淵の底の底を覗き込む様な音をパッケージした今作はまた聴き手に大きな衝撃を与えるはず。
そして今作を経過したBorisが次にどんな一手を繰り出してくるか、僕はそれが楽しみで仕方ない。
■NOISE/BORIS
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遂に出た。「NOISE」である。ヘビィロックを基点に全ての音を縦断する変幻自在であり孤高であり最果てのバンドであるBorisの2014年リリースの最新作。ヘビィロックサイドの大文字名義では実に6年振りのリリースである。昨年は小文字名義のborisでのリリースや昨年から今年頭にかけての精力的な日本でのライブ、勿論世界レベルで評価されるバンドとしてのワールドワイドな活動と本当に止らないバンドだけど、遂に決定打と言える作品をリリースしてしまった。リリースは国内盤CDはエイベックス、アナログ盤はDaymareからで、エイベックス盤にはボーナスディスク付。
Borisはこれまでの多数の作品をリリースし、その形骸を嘲笑う自由過ぎる変化と進化の軌跡を進んできたけど、今作NOISEはBORIS名義の作品でありながら、ヘビィロックサイドに留まらずboris名義での要素を持つ楽曲も普通に存在するどころか、これまでのBorisを総括する作品であり、しかしただ総括するんじゃなくて、散らばりまくった点を一つにせずにそのまま「NOISE」という箱にブチ撒け、そしてそれを最新の形で進化させたのだ。2011年にリリースされた3枚のアルバムは本当に大きな驚きに満ちていたし、特にJ-POPからエクストリームミュージックを奏でた「New Album」のインパクトは相当だったけど、「New Album」同様に成田忍氏がプロデュースした今作は「New Album」が一つの実験であるなら、今作はこれまでリリースした膨大なる作品が持つそれぞれの実験の結果の再検証であり、同時に発表であり、実験を踏まえた上での実践であり、そしてそれらを散らばったままヘビィロックとして鳴らし、結果として非常にBorisらしい総決算的な作品に仕上げたと思う。本当にこのバンドの触れ幅の大きさやアイデアの多彩さは驚くしかない。
今作はこれまでのBorisをほぼ網羅した作品であり、収録されている8曲が見せる音は完全にバラバラだ。しかしどこを切っても存在するのはBorisにしか生み出せなかった音だし、それぞれの楽曲がこれまでの作品の焼き直しや再利用では無く、これまでの作品を完全に通過させる事によって全く別の次元へと到達させた作品だ。言ってしまえば「flood」も「PINK」も「New Album」も「feedbacker」も「Heavy Rocks」も今作にはあるし、同時にその過去の作品は存在すらしていないのかもしれない。全曲が必然的にそれらの作品の新たなる息吹であり、長い実験とリリースとライブを重ねて生み出した終着点であり、そして次の出発点なのだから。そう考えると今作は「NOISE」というタイトル以外を受け付けない作品だと思うし、あらゆる音の混迷と、ヘビィロックが放つ幾多の音の色が混ざり合った得体の知れない「何か」。そうかそれがBorisが生み出すノイズなのか。
先ずそのタイトルに驚かされる第1曲「黒猫メロディ」は「New Album」で見せたポップネスが生み出すエクストリームミュージックの最果てであり、冒頭のV系ライクなギターフレーズなんかモロ過ぎて最高だけど、「New Album」と明らかに違うのは、サウンドプロダクトを小奇麗に纏めていない事だ。「New Album」に収録されているポップネスの極限を生み出した「フレア」と違うのは、曲自体は「フレア」同様にBoris流のポップスやらギターロックへの回答であるのだけど、音質はハイファイな音じゃなくて、確かな歪みを感じさせるし、ヘビィなリフが音の粒子を拡大させ、轟音として轟いているし、中盤のギターソロは最高にストーナーでサイケデリックだ。ポップさとヘビィさとサイケデリックの融合であると同時に、それらの音楽が持つ高揚感の極限のみを追求した音は最高に気持ち良いんだけど、歪んだサウンドが聴き手の耳に残り続け、中毒成分として残り続ける。一方で第2曲「Vanilla」は02年にリリースされた方の「Heavy Rocks」に収録されている楽曲を彷彿とさせるギターリフから始まりながらも、ポップで煌きに満ちた音像であるし、曲自体はこれまでのストーナー色の強く爆音でブギーするBORISとしてのヘビィロックの王道の楽曲であるけど、同時にこれまでに無くポップな高揚感がサイケデリックで宇宙的なサウンドで鳴らされているから、全然印象が違う。ポップネスからヘビィロックへ、ヘビィロックからポップネスへ。冒頭の2曲は起点が全然違うけど、その起点同士はすんなりと線として繋がるし、もっと言ってしまえば凄くシンプルに最高に格好良いヘビィロックでしか無いのだ。
ヘビィロックサイドの音から一転して第3曲「あの人たち」はアンビエントとサイケデリックな音像による揺らぎの音像。くぐもった音像でありながら、一つ一つの音の音圧は最初から凄まじく、これまでにリリースした「flood」や「feedbacker」の系譜の楽曲だけど、冗長さを完全に削ぎ落とし、同時にアンビエントな轟音でありながら、非常に歌物な曲に仕上がっていて、ここ最近の作品でもあったborisとBORISの融合と言える楽曲でありながら、ドゥーミーな轟音とアンビエントの融合であると同時に、それを普遍的な歌物の感触すら感じさせるのはBorisの大きな成果だと思う。wataがメインボーカルの第4曲「雨」は更に極端に音数を減らしながらも、更に揺らぎ歪んだ轟音の壁すら目に浮かび、それをあくまでも6分と言う枠組の中で、アンビエント方向に振り切らずに、焦らし無しの轟音と歌が生み出す、美しいメロディが飛び交うパワーアンビエントの一つの到達系だと思う。第5曲「太陽のバカ」はまた一転してロッキングオンライクなポップな曲だけど、ギターの音作りがもっとヘビィだったり、もっと奥行きのある感触がやたら耳に残る。SUPERCAR辺りがやっててもおかしく無い位に普遍性に満ちた曲なのに、それすらもborisというフィルターを通過させると独自の捻れが生れるのは本当に面白い。
そして決定打とも言えるのはこれまでライブでも演奏していた第6曲「Angel」だろう。20分近くにも及ぶこの曲は、ここ最近のBoris名義での大作志向の壮大な音像が生み出すサイケデリアの究極系であり、同時に痛々しく胸を抉る最強のエレジーだ。物悲しく、荒涼としていて、痛々しいwataのアルペジオの反復が終わり無く続き、ビートも極端に音数を減らし、本当に隙間だらけの音な筈なのに、その隙間を感じさせない。そこに歪みまくったギターが薄っすら入り、そこから轟音のヘビィアンビエントになり、青紫の轟音の中で、ただ哀しみを歌うTakeshiのボーカルが本当に胸を打つ。ストーナーやドゥームといった要素を強く感じる音作りなのに、深淵の深遠へと聴き手を導く、内側にも外側にも放射される悲しきヘビィネス。特に曲の後半は本当に神々しくて泣けてしまうよ。
そんな空気をまたしてもブチ壊すのが第7曲の「Quicksilver」で、これは完全にBorisの最強のアンセムであり、同時に「Pink」に収録されている「俺を捨てたところ」の更に先を行く最強の進化系だ。ドラムのカウントから、せわしなく刻まれるギターリフと性急なDビート、本当に久々にシャウトをガンガン使いながらも、ここ最近のアニソン・V系ライクなBorisを感じさせるメロディ、Borisがずっと持っていたヘビィロックとアニソン的メロディセンスの融合という点を、再構築して生れたのがこの「Quicksilver」だし、彼等がここまでストレートにアンセムを作り上げた意味は本当に大きい。「Quicksilver」は間違いなくここ5年程のBorisを最高の形で総括した名曲だ。とおもったらラスト数分は極悪すぎるドゥームリフによる暗黒ドローンをアウトロにしているし、その落差が自然になってしまうのもBorisなんだと改めて実感した。最終曲「シエスタ」の約3分のアンビエントの静謐な美しさで終わるのも、やっぱりBorisらいいと思う。
そしてエイベックス盤のボーナスディスクは、今回「NOISE」という枠組みから外されてはいるけど、また別の視点のBorisを味わえる内容で、Borisが提供したタイアップ曲中心に収録されている。Borisらしいパワーアンビエントさと、繊細で静謐な美しさが光り、地獄の様な歪んだ音像と対比を織り成すインスト曲「Bit」、「New Album」の「フレア」の路線を更にポップに突き詰めて、完全にBoris流のヘビィロックJ-POPと化した青き疾走「君の行方」、ストーナーロックと90年代V系が衝突してしまっているのに、そこをポップさで落としつけた、こちらもポップなBorisの進化系「有視界Revue」、昨年リリースされた「目をそらした瞬間」の再発CD-BOXの新録音源として収録されていた「ディスチャージ」の新verと、この4曲もそれぞれの楽曲が「NOISE」という作品を補足しつつも、強烈なインパクトを持つキラーチューンばかりだ。
これまでその全貌を決して明確にはしないで、常に聴き手を嘲笑ってばかりいたBorisがここまで素直にこれまでの自らを見直す作品を作るとは思っていなかったし、これまでの膨大な作品を完全に一枚のアルバムに落とし込んだ。でもそれによってBorisの姿がやっと掴めるかと言ったら、それは完全に大間違いで、今作の音は進化系でありながら、脱ぎ捨てた蛹な気もするし、常に人を置き去りにしかしないBorisならではの置き土産なのかもしれない。今後、このバンドがどうなるかは結局想像なんて出来ないし、そんなの本人達ももしかしたら知らない事かもしれないけど、総括する、一つの点にするのではなく、散らばらせたまま、それをそのまま新たな枠に取り込み、それぞれの楽曲が反発しながら新たな調和を生み出す。その不自然さと自然さこそがもしかしたらBorisが提唱した「NOISE」なのかもしれないし、そんな歪みすら超えて、ただ単純に最高のヘビィロックアルバムだと思う。俺はこれを待っていたんだ!!
■praparat/boris
![]() | praparat [Analog 限定180g盤] (2013/03/06) boris 商品詳細を見る |
日本を代表する世界的ロックバンドの一つであるBoris、2013年に入ってから一気に音源のリリースラッシュに入り、今作はその先陣を切る1枚であり小文字borisとしては本当に久々にリリースされる新作だ。2011年にリリースされた3枚はこれまでのBorisでもあり、これからのBorisでもある3枚だったが、この久々のboris名義でリリースされた今作はこれまでのborisのアンビエントでサイケデリックな流れにありながらも、今まで以上にキャッチーさもある1枚になっている。
全11曲で40分弱とborisにしてはコンパクトなサイズであり、ほぼインストで占められてる作品構成なんかはかつての名作「Mabuta no Ura」の様な一種のサントラ的な作品に仕上がっていると言えるし、borisの持つ実験精神と幾多の要素を行き来しながら、サイケデリックやアンビエントと言った要素を飲み込み、それをミクロの視点から生み出す作風は健在。しかしこれまで以上に聴きやすくもあるし、それぞれの楽曲のコンセプトが本当に明確になった気もする。少し難解な印象もあったりしたboris名義の作品だけど、今作は基本軸はborisでありながら、ここ最近のミクロもマクロも同時に見せるBoris名義での作品の感覚に近くもあり、それはBORIS名義やBoris名義で多くの作品をリリースした先にある、一つの洗練としての進化である。
第1曲「December」は静謐さから生まれるアンビエントなサイケデリックさに揺らされ、美しい旋律に陶酔してしまう1曲であり、そこから今回のborisは始まるのだが、第2曲「哀歌」はborisらしいヘビィさと美しさの両方を手にした音像が非常に印象的であり、何よりもboris名義では今までに無いレベルで歌に接近しており、一つの荒涼とした情景を想起させる1曲になっており、今作でも特に象徴的な1曲になっている、特に楽曲の終盤で一気にBPMを上げてポップになっていく様なんかは「New Album」を作り出したからこそ出来た事だとも思うし、今回のborisは堂々とポップであるのだ。第4曲「砂時計」はサイケデリック要素もありつつも、正統派な轟音系ポストロック的アプローチであり、クリアな旋律が柔らかくも爆音で意識を覚醒させる。とにかく今回の新作は音楽的なレンジが非常に広い作品でありながらも、それをborisらしいヘビィロックから生まれるサイケデリックさで上手に統率し、作品の統一性も損なっていない。
中盤に入るとヘビィな楽曲が続き、第5曲「Method Of Error」ではスラッジリフの反復と鐘の音色の音が生み出す神秘的でありながらも、粗暴で重苦しいアンサンブル、シンプルなリフの反復でありながら、随所にインプロ的アプローチも加え、ヘビィロックから新たな音を生み出してきたborisらしいストーナーな酩酊へと帰結する楽曲になっている。第6曲「Bataille Suere」は本当にBORISとborisの中間を絶妙に掻い潜る楽曲だし、ライブで聴いたら一気に陶酔の世界に呑み込まれそうになるだろう。今作のもう一つの歌物楽曲である第9曲「Mirano」では再びサイケデリックなポップさへと飛躍し、重苦しい哀愁とアシッドさを前面に出している。そして第10曲「カンヴァス」で全てを開放する激重サイケデリックの音像を見せつけ、今作を総括する。
久々のboris名義のリリースとなった今作だが、コンパクトな作品でありつつも、borisの持つ音楽性の広さとヘビィさから生み出すサイケデリックさはやはり健在で、それをより分かりやすく聴かせる懐の大きさも手に入れた作品という印象を受けた。しかし個人的には今作はまだboeisが新たな段階へと到達する進化過程の間にある作品だとも思ったし、今作の先にある音は一体どんな世界なのか期待も膨らむ。ここ最近のBorisの作品から入った人もすんなり聴けるし、これまでのborisを知ってる人も唸らせる作品だとは思うけど、まだまだこんな物じゃないって期待をしっかりと抱かせてくれる1枚。
■PINK/Boris
![]() | PINK (2005/11/18) BORIS 商品詳細を見る |
ドゥームからストーナーからアンビエントまでと幅広い振れ幅を持っているBorisというバンドであるが、2005年発表の今作は、ヘビィロックとストーナーを基調にしている作品であるが、それぞれの楽曲が大きく振れ幅を持っており、決して単調な作品にはなっていない。しかしその殺気立った爆音も空間的な轟音も全て混ざり合った瞬間のカタルシスが今作にはパッケージングされており、それがBoris流のヘビィロックへと集結されていると言える作品だ。そしてBorisのヘビィロックの一つの到達点とも言える作品である。
序盤からストーナーな轟音が襲ってくる作品にはなっておらず、第1曲「決別」はヘビィロックサイドとアンビエントサイドのBorisが一つのうねりとして現れた作品だ。耳を劈く爆音の轟音は非常に美しく、荒い爆音サウンドの粒子はどこか儚さすら感じさせてくれる物であるし、自らのストーナーサウンドをより奥深い物として仕立て上げた名曲で幕を開ける。そして第2曲「PINK」で刻みのリフとストーナーなヘビィロックサウンドがブギーするヘビィロックとしてのBorisで攻め立てる流れはBorisだからこそ生み出せる流れだ。神秘的な轟音から煙たい凶悪な爆音のリフが一つのロックとして均整の取れた物として存在している。そのまま続く「スクリーンの女」と「別になんでもない」のブギーするヘビィロックの砂埃とサイケデリックな感触が同居した音も今作の大きな魅力だ。ロックバンドとしてのBorisの馬力を否応無しに感じさせてくれる。
今作は基調はヘビィロックとストーナーであるが、アンビエントやドゥームのカラーを持った楽曲も自然な形で同居させるBorisの懐の大きさが感じられる作品でもある。第5曲「ブラックアウト」はドゥーミーなリフの音塊が鉄槌の様に振り翳されていながら、サイケデリックな酩酊感が空間的轟音として響き渡っており、不意打ちの様に脳髄を侵されてしまう。第7曲「偽ブレッド」も思いっきりストーナーロックな音でありながら、その旋律の哀愁とヘビィロックからサイケデリックなドープさへと雪崩込んでいく瞬間はやはり一筋縄ではいかないと感じさせてくれる。そして集大成的な楽曲といえる最終曲「俺を捨てたところ」はBoris史上屈指の名曲だ。破滅へと暴走していくかの様な空間全てを埋め尽くす爆音のサウンドスケープはヘビィロックとしての破壊力も奥深い旋律も同居させ、その向こう側の世界へと無理矢理に連れて行かれ全てを飲み込む爆音と轟音の海へと誘っていく。
今作はBorisの一つの到達点とも言える重要作品であり、自らの持っている武器を惜しみも無く開放し、その自らのヘビィロックを決定的な物にした。今作に至るまでBorisは様々なアプローチを繰り広げ多くの名作を生み出してきた訳であるが、今作でBorisのヘビィロックは確固たる形になったのだ。そしてBorisは現在も新たなアプローチを繰り返し、何をやらかすか分からないバンドとして多くのリスナーに支持され、毎回毎回多くの人々を驚かせ続けている。ヘビィロックの最果てへと暴走していくBorisのサウンドは矢張り唯一無二だ。
■New Album/Boris
![]() | New Album (2011/03/16) Boris 商品詳細を見る |
2011年に入り3枚のアルバムを発表したBorisであるが、まさかのエイベックスからリリースとなった今作は間違い無くBoris史上最大の問題作だ。Borisの持ち味とも言える殺人的爆音を封印し、歌メロに重きをおいた楽曲が並び、とてつもなくポップな作品であるからだ。プロデューサーに成田忍氏を迎え、徹底的にポップな作品として仕上げた今作はBorisがJ-POPを鳴らしているかの様な作品。ヘビィロックの可能性を模索し続けるBorisがこの様な作品を発表した事に驚きを隠せないファンも多いはずだ。
なんせ第1曲「Party Boy」からキラキラとしたアレンジが施されたwataボーカルの四つ打ちポップナンバーで幕を開けるのだから。Borisを解体するとかそれ以前の全く別物のアプローチを見せているのだから。第2曲「希望 -Hope-」も疾走感のあるオーソドックスなギターロックナンバーであるし、Borisはどうなってしまったんだ!?と僕は思わずなってしまった。しかしながらただポップなだけの作品ではないのは矢張りBorisだ。第5曲「Pardon?」の静謐で不穏なサイケデリックな世界はborisサイドの音であるし、ノイズギターが疾走するディスコナンバーである第7曲「ジャクソンヘッド」とアプローチの幅は本当に広い。今作は「Heavy Rocks 2011」と「Attention Please」の楽曲を解体し再構築した作品らしいのだが、本来のBorisでのアプローチを禁じ手にする事によって、ポップミュージックとしての方向に否応なしに向かっているし、そこでどこまで出来るかを試しているかの様な感覚なのだ。だがそんな事は無いのでは無いかって事を第3曲「フレア」を聴いて思ったりもする。今作屈指の問題作であり、アニソンBorisとか言われている楽曲であるが、Borisは元々分かりやすい構成をもった楽曲も全然あるし、歌メロに重きをおいてる楽曲もかなり多い。ただ殺人的爆音を封印し、アレンジを変えるだけでここまでポップに聴こえてしまうだけなのではないかって感覚にもなるのだ。
Borisが今作をどのような考えで作ったかは分からないが、今作はポップミュージックとしての観点で見たら純粋に完成度の高い作品であるのは間違いない。ただそれをBorisがやってしまっているから問題作になってしまっているのだろうし、BorisファンのBorisに抱いている先入観だったりを破壊する事が今作の意図なのかもしれない。安易なBorisらしさという先入観を破壊するという行為は、多彩なアプローチで聴き手に衝撃を与えてきたBorisとして見たら全うなBorisらしいやり方であるのは間違いないからだ。純度の高いポップミュージックとしての作品を作り上げたBoris。例えどんな形であろうとBorisが異形である事は決して揺るがない事は確かだ。だがやはり今作を安易に評価するのは難しいし、そんな聴き手達をBorisは指差して笑っている気すらするのだ。