■Viscera///
■2: As Zeitgeist Becomes Profusion of the I/Viscera///

イタリアのポストメタルバンドの2010年リリースの2ndアルバム。元々はグラインドコアをやっていた連中らしいけど(過去作は未聴)、今作はかなり実験性の強いポストメタル作品になっていると思う。ポストメタルの要素にサイケデリックさを加え、更には雑多な要素の音をブチ込んで非常に実験的な音を鳴らしている。
ポストメタルのバンドらしく全4曲どれも長尺の楽曲が並んでいるけど、今作に収録されている4曲はどれもアプローチが全く違う。一貫して言えるのは雑多で実験性が強く、同時にサイケデリックな音を鳴らしているという事。割と従来のポストメタルから絶妙に外れたアプローチをしているバンドだとも思ったし、今作の音は中々に斬新さを感じさせる。先ず第1曲「Ballad of Barry L.」を再生した瞬間に耳に入り込んでくるのは引き摺るスラッジさを更にサイケデリックにしたギターリフだ。重心がかなりあるダウンテンポのビートとスラッジなギターリフはかなりドゥーミーな要素を押し出しているけど、同時にポストメタルらしい美意識も感じさせる。そんな音を機軸にしていながら、曲が進行していくと、サイケデリックな音色の反復もかなり増え、こちらも反復するリフとビートが脳髄を揺らし、まるで浮遊感の中で沈んでいく様な矛盾した感覚が音に表れる。終わり無き反復の音がサイケデリックさを助長し、脳細胞を確実に侵食しながら、より音圧を高めて絶頂へと導く。そこら辺の音は同じイタリアのUfomammutにも通じるけど、彼等はより謎な宇宙的感覚を音で表現していると思う。第2曲「Hand in Gold」は這うベースの重低音と、極限まで音数を削ったギターのアルペジオのサイケデリック音階で始まり、よりサイケデリックさを前面に押し出したアプローチをしながら、その音は一転して高揚感を持ち始めて、アンビエントな音色を生かしながらも、やたら哀愁を漂わせるボーカルがまた印象的だし、割と正統派なポストメタル的アプローチを繰り出しのながらも、徐々に加速し始める音、しかも中盤は完全ブラストビートに変貌し、カオティックな暴走ハードコアなパートが突如表れ、聴き手の意識は別の方向へと持っていかれてしまうけど、再びポストメタルな音へと自然に変貌していくし、最後は高揚感が一気に充満していく一転して一つのアッパーさを感じさせる曲だ。
しかし更なる驚きは第3曲「Um Ad-Dunia」で待ち構えている。こちらもスラッジな激重リフから楽曲が始まり、そしてサイケデリックな高揚感をより肉体的にしたサウンドで蹂躙。ボーカルも完全にブラックメタル的ながなり声のボーカルになり、ギターリフにブルータルさが出始めたと思ったら、いきなりダウンテンポから加速し、カオティック成分が加わり、ブラストビートで加速するパートまで出てくるし、それがまた絶妙にポストメタルに回帰した音となり、やたらメロディアスな旋律へと変貌していく。楽曲も後半はよりブルータルさが出始め、断罪のギターリフがハードコアライクに繰り出され、更にはトレモロリフの応酬なブラックメタル要素まで出てくるという何でもアリな感じ。本当に雑多な要素を詰め込んだ楽曲だし、突拍子も無い展開ばかりなのに、それらが全て自然に繋がり、一つの壮大なストーリーとなっているから凄い。最終曲「They Feel Like C02」は今作で最も長尺な15分近くにも及ぶ大曲であるが、またサイケデリックなポストメタルサウンドを鳴らし始め、容赦無く落とすパートと、静謐な美しさを見せるパートと、絶唱と共に高揚感を生み出すパートがそれぞれの役目を持ち、ブラストビートで暴走するカオティックハードコア・激情系ハードコアなパートもあり、今作の中でも最も音は目まぐるしく変わり、それらの音が混沌として変化しながら繰り出され、全てを蹂躙し尽くした果てに最後はハウリングノイズのエンディングを迎える。
ポストメタルとして見たら実験性が強い筈なのだけど、元々がグラインドコアのバンドだった事もあって、随所随所にカオティックハードコアなパートも入っているし、単にサイケデリックさやアンビエントさを追求するだけの実験性では無くて、本当に闇鍋みたいに雑多な要素を盛り込みながらも、楽曲や作品には何故か一貫性を強く感じたりもする。サイケデリックなポストメタルとしても非常にナイスな作品だとは思うけど、実験性だけで終わらない。ハードコアな粗暴さをしっかり打ち出している点も大きく評価したい。ポストメタルの隠れた名盤だと思う。