■カイモクジショウ
■Jidou/カイモクジショウ

本当に凄いバンドになったと思う。ベースレス女性ボーカル3ピースヘビィロックバンドであるカイモクジショウはいよいよ待望の1stアルバムをドロップ。90年代から続くヘビィロックの系譜にありながら、ヘビィロックバンドが持つべき武器の全てを持ち、ボーカル・ギター・ドラムだけで全てを塗り潰す音を放つカイモクの1stは実に600日にも及ぶ長い時間をかけて製作されただけあって、本当に渾身の一枚になったし、1stにして最高傑作とも呼べる作品になった。これまでの音源でも、その凄さは実感していたけど、日本のヘビィロックを完全に更新してしまっているし、言ってしまえばモダンヘビィネスとかヘビィなグランジの怨念と亡霊を全て憑依させてしまっているのだ。
ベースレスという編成自体も別にもう珍しくもない、女性ボーカルのバンドだって掃いて捨てる程にいる。しかしカイモクジショウというバンドは何でカイモクジショウにしか生み出せない音を鳴らすのか?簡単だ、全て必然だからだ。本来僕個人は、ベースレスの格好良いバンドは、その音が良ければ良い程に「でもベースいたらもっと良くなるし最高なのになあ。」なんて事を思ったりする(特にNoLAに対してはそれを本当に思う)。でもカイモクに対してはそれが無い。それはカイモクはベースが最早必要ないんじゃないかって奇跡のバランスを3人が生み出しているし、他の音が入り込む余地が最早無いのだ。しかもベースレスのバンドの弱点となってしまう「ベース特有の重低音によるグルーブ」の弱さだったり、「低域の音圧」の弱さといった部分をカイモクには感じない。それも簡単だ、ギターとドラムだけで十分過ぎる位のグルーブを生み出しているし、高橋氏のギターはベース的な役割も見事に果たしているし、3人で生み出す音には隙間が無いからだ。カイモクジショウという箱に3人の声と音が見事にピッタリ入っているし、余計な不純物はそこには無い。
カイモクの凄さは正にそのバランス感覚だと言う事をタイトル通り証明する実質アルバムのオープニングである第2曲「BALANCE」が先ず凄まじい。カオティックなフレーズから始まり、上田氏のタイトでストイック極まりないドラムがバンドの音を引率し、高橋氏のギターは高域も低域も、クリーントーンも歪みも、ヘビィネスも全て引き受けて音を変化させ続けていく。そしてカイモクのアイコンとも言えるボーカルの西田嬢の怨念と深みのあるクリーントーンのボーカル、時にはシャウトも使いながらも、完全に何かに取り憑かれている。また単にヘビィロックなリフだけじゃ無く、クリーントーンで混沌を生み出す変則的かつテクニカルなフレーズも、グランジ感覚溢れるリフも、全てが必然だ。今作のリードトラックになっている第3曲「BUSKET」は正に「本質的な意味でのポストグランジ」だと僕は思う。ミドルテンポのグルーブ、まるでアリチェンの様な引き摺る音とダークネスの坩堝、押しも引きも絶妙に使い、寓話的世界観を音と歌で描き、ヘビィロックが持つ退廃的美学を若手最強クラスの技術と表現力で描いている。終盤の情念が加速しまくり、ヘビィなリフとタイトなドラムの応酬と儀式めいた西田嬢のボーカルが生み出すカタルシスはもうグレイト!!の一言だ。
勿論、他の楽曲も完成度が素晴らしいし、今作には一曲も単なるヘビィロックは存在しない。捲し立てるシャウトから始まりながらも、メロウなメロディと歌も自然と同居させ、メランコリックさが咲き乱れながらも、終盤のクリーンのギターワークで低域と高域の両方の音を交互に繰り出す奇才としか言えないフレーズがドラッギーな感覚で紡がれ、最後はヘビィネスの応酬で混沌のまま終わる第4曲「hourglass」、空間的揺らぎとポエトリーによる静謐ながらも確かな激も存在する第6曲「OPAL」、ドープさによるヘビィネスと圧倒的情報量によって目まぐるしい展開を見せる第7曲「DRAPE」、今作で最もメランコリックで悲哀溢れる歌物であり、物悲しくシンプルな音で構成されながらも、その悲しみの物語を最後の最後で無慈悲なリフの応酬で燃やし尽くす救いの無い最終曲「シルバー」。約40分近くに渡って繰り広げられるのは、あらゆる感情を呼び集めた末の混沌であり、それら全てをかき集めた末のヘビィロックはカイモクジショウだけの物だ。
ここ最近になって少しずつモダンヘビィネスサウンドに対する再評価的な流れも一部で起きている様にも個人的に思ったりもするし、硬派でストイックなヘビィロックという物がまた新たな動きとして起きようとしているのかもしれない。しかしカイモクは懐古趣味のバンドではない。勿論先人たちの影響を感じる音ではあるのかもしれないけど、カイモクはヘビィロックの怨念を受け継いだ悪鬼だと僕は思う。あらゆる物を咀嚼しまくって消化して生み出された音は本質的な意味でのミクスチャーであると思うし、カイモクは形骸化する事に対して全力で「NO」を叩きつけた。だからこそ混沌に混沌を塗りつぶした音も、一つの枠組みで全く収まらない西田嬢のボーカルも、幾重の音を使いこなし、その変化が本当に予測出来ない高橋氏のギターも、繊細と熱情の狭間でストイックさを極めた上田氏のドラムも、全部必然として存在しているし、ブレが無い。だからこそ、異質過ぎるスタイルの音なのに、全て自然で、全てのピースが美しいフォルムを形成している。そしてその異質さをアバンギャルドへ逃げるのでは無く、堂々とオーバーグラウンドなヘビィロックとして一発ブチかましているのだ。だからこそカイモクジショウは格好良い。
もう断言しちゃうけど、今作を切欠にこのバンドは一気に知名度を上げるだろうし、来年辺りにはクアトロとかでライブやっててもおかしくないバンドになってるとも思う。今作は王道を往く作品でもあり、カウンターでもある。だからこそ2014年に日本のヘビィロックの新たな必然として生まれたのだ。この音を望んでいた人は本当に多いと思うし、だからこそカイモクは大きいバンドになると確信している。
■発声・源/カイモクジショウ
![]() | 発声・源 (2012/09/12) カイモクジショウ 商品詳細を見る |
女性ボーカル、ギター、ドラムによるベースレス3ピースヘビィロックバンドであるカイモクジショウの2012年リリースのミニアルバム。90年代からずっと連なり続けるヘビィロックの系譜の中にあるサウンドでありながら、狂気と獰猛さと美しさと退廃的空気を持ち、多くの素晴らしき先人達が持っていた武器を全て持つヘビィロックの最新の進化系だ。きっと誰もがこんな音を求めていたんだと思う。
ベースレスであり、ボーカルとギターとドラムのみという最小限極まりない編成のバンドだけど、それだからこそ彼等のサウンドは光る。先ず楽器隊の二人の演奏技術は郡を抜いている。どちらも徹底的に低域の音を追求し、ギターはヘビィネス全開のリフで刺しに行くだけじゃなく、そこに混沌の成分を取り入れ、変幻自在に変化し、チューニングの重さだけじゃ無く、要塞化した膨大なエフェクターを操り、音を豊かに変化させていく。ドラムも繊細で複雑であり、それだけでビートとグルーブを司る。しかし共通して言えるのはどちらも修行僧の如くストイックだと言う事だ。リフを磨きに磨いたギターと、重みと強さを追求したドラム、それだけで強い。そんなサウンドに女性ボーカル西田夏海の表現力豊かな素晴らしいボーカルが乗るのだ。クリーントーンの美しい歌声から、理性を放棄したダミ声のシャウトまで使いこなす。彼等は多くのヘビィロックバンドが嫉妬する才能と武器を持っていた。ヘビィロックとしての強さ、スケール、複雑さと緻密さの融和、耽美で退廃的な美しさ。それが全てある。DeftonesやTOOLといったバンドの系譜を継承しながら、それを更に研ぎ澄まし混沌に落とし、HEAD PHONES PRESIDENTやotepといったバンドにも連なる女性ボーカルならではの空気、それをストイックに突き詰めたバンドがカイモクジショウである。
いきなりカオティックなタッピングから始まり、後乗りのギターリフとドラムのグルーブが最高に心地良く、しかしクリーンなパートになるとメロディアスに流暢な旋律が美しく、リフの強靭さとカオティック成分が正面衝突し、混沌の中の美しさを描き出す。彼等の持ち味である統率された混沌と鍛え上げたヘビィネスによるグルーブに裏打ちされた、強靭さの中から感じるコードの美しさやドロドロした感覚、西田夏海による捲くし立てるボーカルからダミ声シャウトから、国内の情念系女性シンガーにも通じるクリーントーンボーカルという表現力をフルに使った変幻自在のボーカルという、このバンドの音を最
大限に伝える第1曲「ECDYSIS」の完成度の高さには驚くしかない。一方でDeftonesを彷彿とさせる耽美でゴスで退廃的なメロディを前面に押し出し、スケールを増幅させたサウンドとクリーントーンで歌い上げるボーカルによる美しきヘビィロック抒情詩である第2曲「13TH,AUGUST」。恐怖と美しさという二律背反する二つの楽曲が自然と同じ線で結ばれてしまうのもこのバンドの魅力だし、それはストイックさだけじゃなく、ある種のヘビィロックバンド側のキャッチーなアプローチも彼等が忘れていない事の証明だし、凄く濃厚なのに、スッと飲み干せるし、しかしその味は舌に染み付いたら離れない。
クリーンでアンビエンスなギターのみの小品である第3曲や打ち込みのアンビエントである第6曲といったインストの小品も作品の随所随所を締めているけど、特筆すべきは第4曲「発声・源」だろう。ソリッドなギターとタイトなドラムが交錯しながら、渦を巻き調和を生み出しているけど、激と美、暴と静、それらが確かに統率されながら次々と繰り出されて行く中で調和は徐々に崩壊し、TOOLばりにダークに沈む結末を迎え、混沌は収束しないでフェードアウトしていく。この曲は先日初めてライブで観た時に本当にびっくりする位のインパクトがあったし、カイモクジショウの凄みを一番感じる名曲だろう。最終曲第7曲「リプレイ」はもうCocco辺りが歌ってもおかしくないメロディアスで退廃的なヘビィロックバラードだし、ストイックなラウドさだけじゃなくて、メジャーフィールドでも十分通用する大衆性を持っているのもカイモクの良さだと思ったりもする。
最小限の編成で最大の効果を生み出すヘビィロックであり、90年代に登場した多くの素晴らしいニューメタルバンドが持つ良さを卑怯過ぎる位に継承し、それをよりストイックに鍛え、同時によりキャッチーな形でカイモクはヘビィロックを更新した。確かにあの時代のニューメタルの空気や音でもあるんだけど、これは間違いなく最新のヘビィロックの進化系だし、何よりも妥協無しに鍛えたアンサンブルと唯一無二なボーカル西田夏海という最強の武器をカイモクは持っている。先日初めて観たライブでは、音源とは更に桁違いの音を展開していたし、ライブバンドとしての実力もとんでもない。いずれリリースされるであろうフルアルバムでは更に進化した音を聴かせてくれるに違いないだろうし、これからの飛躍が本当に楽しみで仕方ない。