■こうなったのは誰のせい
■さよならノスタルジア/こうなったのは誰のせい

神戸を拠点に活動する若手ダウナー系ギターロックバンド、こうなったのは誰のせいのタワーレコード限定リリースデビューミニアルバム。
プロデューサーとしてそれでも世界が続くならの篠塚将行を迎えている事からこのバンドを知ったが、若手バンドながら既に高水準の音を完成させている。
00年代初頭頃の内省的なギターロックの空気感とマスロック・ポストロックを融合させたサウンドは残業レコード辺りのバンドの空気感と近いものを個人的に感じるが、このバンドはより痛みや後悔といった感情をストレートに歌い上げている。
目まぐるしく繰り出されるタッピングフレーズと変則的なリズム隊のグルーヴのプログレッシブなサウンドが展開されているが、そうしたテクニカルさ以上に、Vo.Gtのカイトが歌い上げる個人的感情の生々しい痛みが響く。
変態的サウンドとは裏腹に収録されている楽曲はどれも哀愁のメロディと歌が全面に押し出されており、その対比がこのバンドの魅力だ。
一寸の隙の無いアンサンブルが時にノイジーに変貌し、うずくまった感情をそのまま音にした様なサウンドは生々しいザラつきと共に美しく響き渡る。
第5曲「拝啓」の様なアコギ弾き語りの楽曲を聴くと分かるのが、あくまでも歌とメロディを軸にした上で、技術先行型ではなく表現の為のプログレッシブなアプローチをこのバンドが展開している事。
変態的なフレーズの数々も印象に残るが、それ以上に歌と言葉が脳に残るのはこのバンドの持つ内省的個人的感情としてのロックが確かなリアリティと共に確かに伝わるからだ。
鋭いサウンドアプローチの中に潜むアメーバの様に聴き手に忍び込み、気付いたら浸透し毒となり麻薬となる様なサウンドは青紫色の美しさと醜さが同居したものであり、聴き手の数だけ後悔や諦念といった感情に訴えかけて来る。
残業レコードを代表する伝説的バンドthe cabsが持っていたポストハードコアの域まで迫る鋭角の鋭さも、プロデューサーを務めた篠塚のそれでも世界が続くならの持つ見たくない事や聞きたくない事をノイジーに暴く様な生々しさもこのバンドには確かに存在している。
この生々しい痛さと重さは人を選ぶかもしれないが、今の時代だからこそ、感受性が豊かな人には確かに届く作品になっている。
00年代ギターロックが青春だった人は勿論だが、今の時代だからこそこうした音が若いリスナーに届いて欲しいと願う。
今後が楽しみなギターロックバンドが久々に登場した事が僕は嬉しい。