■痛郎
■Ver.3.02/痛郎

井手宜裕率いる伝説的プログレッシブロックバンドが2008年にまさかの活動再開を果たし、ライブ活動を再開した。そして09年に製作された3曲入りのCD-R作品が今作である。井手宜裕、大橋義典、HAMMER LEE、渡邊靖之の4人でのレコーディング作品となっており、痛郎を知らない人はこの3曲で十分に痛郎の魅力を味わえるし、再指導した痛郎の姿を確認できる物だ。
内容は3曲中2曲は今までの発表した楽曲の再録で、1曲は新曲かどうかは分からないが今までに音源化されていない楽曲である。その事からは一先ずは再始動の狼煙代わりの作品であると取れるが、その高い演奏技術は全く衰えていない。ハードロック×プログレを基調に複雑なコード進行と構成の楽曲に悲しみと怨念に満ちた井手氏の世界が歌として乗るというスタイルも全く変わっていない。井手氏の声こそかつての様な少年性は無くなっており枯れた歌声になっているけど、それがかえって哀愁を加速させてもいる。第1曲「Can't Get Winds」は痛郎の代表曲であるが、大橋氏のバッキングギターの切れ味と高い演奏力は全くブレていないし、HAMMER LEEのリードギターはこれでもかと哀愁のフレーズが咲き乱れている。井手氏のベースボーカルとは思えない複雑なベースラインも変わっていないし、当時の痛郎の純度を保ったまま、その儚い歌世界とプログレを独自解釈した上での蒼い世界も全く揺るいでいない。第2曲「Fly」は初めて音源化された楽曲であり、恐らくは再始動以降の新曲であるが、プログレとハードロックと怨歌が奇跡のバランスで同居する楽曲であるし、痛郎しか鳴らせなかった「Hardcore jazz punk」は健在である、複雑極まりない構成を持ちながらもキャッチーさと哀愁が加速し、最終的には歌物に帰結するスタイルは不変であるが、この楽曲でのHAMMER LEEのリードギターも手伝ってかハードロック色の強くなった印象もあるし、再始動以降の痛郎として十分過ぎる魅力を持った楽曲になっている。そして第3曲は痛郎屈指の名曲として名高い「Blue Blue Sea」。10分にも及ぶプログレ絵巻としての怨歌は詩人井手の世界が咲き乱れる名曲であり、泣きのギターがこれでもかと聴き手に突き刺さり涙腺を直撃していく。ドラマティックでありながらも、救いの全く無いその絶望感に打ちひしがれ、終盤では一気にそのロマンが性急に加速し楽曲のBPMも急速に上がり破滅へとダイブしていく。そして一気に輪郭が崩壊した音で埋め尽くしそのままブツ切りになって終わった瞬間に井手の世界に取り残されたままで圧倒的絶望に飲み込まれる。
現在では痛郎は再び活動休止してしまっているが、2012年に再び痛郎は再始動する予定らしい。その時には再び痛郎にしか鳴らせない怨歌をステージで鳴らすだろうし、再始動以降の新しい音を僕達に届けてくれる筈だ。今作を聴いて思ったのは真のオルタナティブを鳴らす痛郎が多くの人に知られないまま消え去ってしまうのは本当に勿体無い事であるという事で、この音は本当に多くの人に評価されるべき物なのだ。
■LAST GIG and RARE TAKES/痛郎

90年代の日本のインディーズシーンを代表するレーベルであったZK RECORDSの代表であった井手が率いていた伝説的プログレバンドである痛郎、町田町蔵によって命名されたこのバンドは、本当に散発的で短い活動期間であったが、伝説的バンドとしてアンダーグラウンドシーンで語り継がれているバンドである。そんな痛郎のライブ音源と未発表スタジオテイクをコンパイルしたのが今作だ。
痛郎は自らを「Hardcore jazz punk」と称し、スタンダードなハードロックを基調にしながらも、ジャズ等に通じるコード進行にプログレッシブな変拍子を多用した楽曲が多く、それでいて井手の歌をしっかりとフューチャーし、キャッチーな要素を持ちながらも一筋縄でいかない楽曲ばかりだ。
今作は3ピース編成での音源であるが、ギターの大橋氏のバッキングギターがまず凄まじい、絶妙に歪ませながらも、クリーントーンを駆使したギターの音に、寸分の狂いも無いギターの切れ味と、感傷的な哀愁に満ちたメロディーは見事なまでに井手の歌の世界を支えている。井手自身もとてもベースボーカルとは思えない、変拍子と転調を駆使する楽曲を支え、なおかつルート弾きなど皆無な変態的ベースラインを弾き倒している。
第1曲「逃げる風のカケラ」なんかはキャッチーな哀愁のメロディーを持ちながら、そのキャッチーさを殺さずに必殺のキメを繰り返し、3ピースならではの殺気立った緊張感を体現している。第5曲「カラカラ」は分かりやすいプログレ的アプローチを見せている。しかし即興性と緻密な計算のバランスが絶妙な楽曲構成に対して、井手の歌は聴き手の感情にそっと寄り添い、詩人井手の文学的でありながら、悲しみに満ちた精神世界を見事に表現している。
ハイライトは間違い無く第8曲「海」だ。約8分間の痛郎流プログレ絵巻は、ドラマチックな展開を持ち、大橋のギターは殺気と悲しみを撒き散らし、終盤にて詩人井手の世界が暴発する百花繚乱の美しさは本当に背筋がゾクゾクとしてしまう。
80年代末期~90年代冒頭にかけて活躍した痛郎であるが、キャッチーなメロディーと深い音楽的緻密さを持ちながらも、分かりやすい形な方法論にはどこまでも中指を立て、痛論としてのプログレッシブロックを見事に完成させている。
文学的世界と哀愁とプログレッシブさを何処までも日本人ならではのやり方で完成させた痛郎。ありとあらゆる場所でオルタナティブという言葉は耳にするが、痛郎こそ本当の意味でのオルタナティブな音を鳴らしているバンドだと僕は勝手に思っている。