■Angel'in Heavy Syrup
■Angel'in Heavy Syrup/Angel'in Heavy Syrup

ガールズサイケデリックロックバンドであるエンジェリンの91年発表の1stアルバム。リリースは今作から解散までに発表した4枚とも全てJOJO広重のアルケミーレコードからのリリースとなっている。彼女達は花電車の影響からスタートしたプログレッシブなバンドであり、そこに日本語フォークの要素を加えた音楽性であるが、1stである今作は一番フォーク要素を強く持った作品であると言える。4枚のアルバムは一貫しながらもそれぞれ違う要素を強く持っているのだが、1stである今作が彼女たちの音楽のスタート地点が本当に明確になった作品だと言える。
しかし幾らフォーク色が強い作品と言えどもエンジェリンのプログレッシブなサイケデリックの感覚はこの当時から存在している。ファズギターと変態的なベースラインがうねるプログレッシブなインストである第1曲「S.G.E (Space Giant Eye)」から異次元の甘い陶酔の世界へと僕達を誘ってくれる。そして11分にも及ぶ第2曲「きっと逢えるよ」で哀愁の世界へと飛び込む。クリーントーンのフォーク色の強いギターとディストーションなかかったブルージーな泣きのギターが絡み合いエンジェリンの歌世界の儚さをより浮き彫りにしていく。そしてプログレッシブな構成によって時にはファンキーに、時にはファズギターの洪水が押し寄せる展開にもなるのだが、一貫してその旋律とコード進行は哀愁のフォークサウンドであるのだ。第3曲の「僕と観光バスに乗ってみませんか」は森田童子のカバーであるが、原曲の日本語フォークの退廃的な空気はそのままにエンジェリンの持ち前のブルージーさも色濃くでた名カバーだ。今作はフォーク要素もそうだが、彼女達の持っているブルージーさもかなり強く感じさせてくれるし、そのエレキギターの旋律が聴き手の胸を刺さるのだ。今にも消え入りそうな儚さから悲しみ渦巻くファズギターが吹き荒れて悲しみの世界を嘆く様な第4曲「Underground Railroad」からエンジェリンで最もフォーク要素が強く荒涼とした音の描く甘い悲しみその物である第5曲「My Dream」の流れなんて彼女達の描く悲しみを嘆く音が見事に体現されているのだ。
今作はエンジェリンの始まりの1枚でもあり、彼女達のルーツであるフォーク要素が本当に強い、それだけでなくファズギターの描くブルージーな哀愁といった要素も色濃それを持ち前のプログレッシブさで鳴らした作品だ。確かに他の作品に比べたらプログレッシブな要素はあまり強くは無いのだけれども、だからこそ彼女達の核になってる日本語フォークの歌の世界を強く感じる事が出来る筈さ。バンド名同様に「天使の歌」と形容される事の多いエンジェリンであるが、その天使の歌は1stである今作からラストアルバムになった4thまで全くブレる事無く、エンジェリンの核として存在している事が今作を聴くと強く実感するのだ。
■Ⅱ/Angel'in Heavy Syrup

大阪が生んだ伝説的ガールズサイケデリックプログレバンドであるエンジェリンの92年発表の2nd。エンジェリン特有の日本語フォーク的な退廃感、時に甘い旋律を時にノイジーなファズギターをといった酩酊感と甘くも柔らかに突き刺さる旋律も発揮され、それをプログレッシブに鳴らすという音は91年の1stから99年の4thまでエンジェリンの核として存在しているし、今作でもそれは変わらないが、今作は特にプログレッシブかつ長尺の楽曲が並び、僅か5曲であるがその内の3曲がそんなプログレッシブな楽曲だ。
先ずエンジェリンらしい甘いアレペジオが重なるフレーズから第1曲「Introduction Ⅰ ~ Naked Sky Hi」が幕を開く。淡々とした進行の中で徐々に音のテンションを高めていくIntroductionのパートを終え、本編の「Naked Sky Hi」からその空気を一変させる。鉄琴の音をフューチャーし、その儚い歌声と今にも崩れてしまいそうな楽曲の旋律の美しさに聴き手は破滅的世界へと否応なしに飲み込まれていく。だがフランジャーのかかったギターがサイケデリックな色を持ち楽曲はまた一変。ファズギターの音をバックに、ワウをかましたギターのフレーズが徐々にその旋律を変貌させ別次元の空間へとトリップしていく。その流れからの終盤は鳥肌物でより儚い歌世界の美しさが退廃の世界へと飲み込んでいく様はエンジェリンだからこそ出来るサイケデリックなプログレ絵巻だ。轟音とフォーク音階の旋律が織り成す天国でも地獄でも無い世界の悲劇を描く第2曲「Crazy Blues」も圧巻のサイケデリック絵巻であり、フィードバックする音の儚さとは別にタイトに変拍子を刻むビート、今にも消えてしまいそうな歌声を皮切りに轟音が崩壊を描き、美しい音世界を焼き尽くしていくドラマティックさ。そして最終的にプログレッシブなパートへと帰結していく楽曲構成。一つの楽曲の中で幾多のドラマを描き、優しく儚い世界からの崩壊を描いていく様には身震いしてしまう。1stの再録である第3曲「きっと逢えるよ」のノイジーかつプログレッシブでありながら日本語フォーク的世界観と音階が生み出す耽美な美しさもエンジェリンの音をこれまでに無い位に叩き付けてくる名曲だ。今作は第4曲「Introduction Ⅱ」という2分弱の楽曲で完結し実質4曲の構成であるが、たった4曲で一つの美しい破滅を嘆く天使の歌を見事に完成させてしまっている。ボーナストラック的な立ち位置になる第5曲「I Got You Babe」は60年代から70年代に活動していた男女フォークデュオの名曲のカバーであり、エンジェリンのルーツを垣間見れると同時に、原曲に忠実でありながらもその儚い歌声とサイケデリックさはエンジェリンの物でありこちらも名カバーと言える。
今作はエンジェリンで最もプログレッシブかつ壮大なスケールを持つ楽曲が並ぶ作品となった。エンジェリンはその儚い天使の歌声とサイケデリックな音のスケールとフォークソング的世界観が売りであるが、花電車等に影響によるプログレッシブさこそが彼女達の楽曲の核でもある。それが前面にでているし、そのプログレッシブさがあるからこそエンジェリンは美しく儚い崩壊の音を鳴らしているのだ。
■Ⅲ/Angel'in Heavy Syrup

アルケミーが誇るガールズプログレバンドであるエンジェリンの96年発表の3rdアルバム。エンジェリンの持ち味はプログレを基調としながら、70年代フォークの陰鬱な甘さを前面に出し、甘くサイケデリックなサウンドであるが、今作は長尺の曲は少なめでコンパクトで歌物要素が強い作品となっている。しかし聴き易さがある反面、エンジェリンのサイケデリックさがより濃縮された作品になっている。全5曲にあるのはあまりにも儚く壊れそうになる歌の世界の美しさだ。
第1曲「Breath Of Life」はエンジェリンらしい長尺のプログレッシブな楽曲であるが、プログレッシブさを持ちながらも楽曲を支配するのは儚い美しさだ。楽曲は淡々と進行し、ギターの美しい音色が重なりあっていく様はサイケデリックであり、そこから一気にシューゲイジングなノイズが響き渡り、サイケデリックな音階を鳴らすロングギターソロに移行していく様は圧巻のエンジェリン節を見せ付けてくれている。しかし今作は殆どの楽曲がフォーク要素を前面に出した楽曲だ。第2曲「花と夢」は奇妙なスケール感を持つ旋律が印象に残る楽曲であるが、それらは決して前には出てきていないし、哀愁に満ちた歌があくまでも楽曲の核になっている。そのサイケデリックなプログレッシブさがエンジェリンの持ち味であるのは確かであるのだが、楽曲の基盤になってるフォークの哀愁を持つシンプルな歌と楽曲の骨組みがあるからこそエンジェリンにしか無い悲しき甘さがあると僕は思っている。第4曲「僕だけが・・・」なんてエンジェリンの歌心が最も出た楽曲であるし、シンプルな構成を持っている楽曲であるからこそ、そのサイケデリックなアレンジも際立っているし、絶望感が柔らかに聴き手を包み込む様な重さを確かに持っているのだ。そして第5曲「Water Mind」で次回作である「Ⅳ」に繋がる様な完全な形での歌心とプログレッシブさを完全に一つにしたサイケデリック絵巻を見せ付け今作は終わる。
今作はエンジェリンで最も聴き易く分かりやすい作品になっているが、そこにあったのはエンジェリンの核となっている70年代フォークの哀愁だ。自らの核を露にした作品だからこそ、エンジェリンの特異さが浮き彫りになっている。何より今作の持つ儚さと繊細さは女性だからこそ出せる優しき狂気だと思う。矢張りエンジェリンの存在は異形であるし、その甘い天使の歌は彼女達にしか歌えない物だと今作を聴けば分かると思う。
■Ⅳ/Angel'in Heavy Syrup

JOJO広重のアルケミーレコードから音源を発表し、JOJO広重の秘蔵っ子的バンドであったAngel'in Heavy Syrup(以下エンジェリン)。メンバー全員女性のガールズバンドであるが、プログレ・サイケ・70年代フォークを基盤にし、甘くドロドロとした酩酊感に満ちたメロディ、哀愁と陰鬱さに満ちた世界観、独自の体温を持った音、エンジェリンは誰にも真似出来ない完全にオリジナルな音を鳴らしていたバンドである。今作は99年に発表された4thであり、日本のロック史の隠された大傑作である。
森田童子の様な、陰鬱で物悲しい歌の世界と、フォークを基調にしたコード進行を骨組みに、聴けば聴く程に異様なスケールに基づいたサイケデリックなメロディが体の最深部に流れ込む柔らかい狂気はエンジェリン独自の物だ。バンド全体の音圧はかなり抑えられていて、ギターの音はアタック感の全く無いのだけれど、浮遊する音は柔らかに聴き手を刺し殺していく。第1曲「はつ恋」は透明感溢れぬ曲でありながら、足下からじわじわとコールタールの海に飲み込まれてしまいそうなアシッドさを鳴らしている。第4曲「Adios Those Days」ではバンドのプログレ的ドラマ性も存分に発揮され更なる中毒性を持っている。
柔らかで美しい歌声もエンジェリンの世界観を確立させるのに一役買っており、天使の歌声とも言わんばかり神秘さを感じる。しかしそこにあるのは祝福の福音ではなく、穢れてしまった世界を嘆き悲しむかの様な、静かな断末魔の叫びなのだ。最終曲である第6曲「君に」にてエンジェリンの寸分の狂いの無い世界は完成されている。ファジーでありながら空間系エフィクターを駆使した悲しみの轟音が鳴り響き、緩やかな破滅をプログレッシブに歌っている。天界が崩れ落ちるかの様な救い無き終末すら僕は感じる。
エンジェリンは既に解散してしまったが、関西のアンダーグラウンドの空気を何処までも取り込み、それに女性的な純度と、バンドの持つ重い透明感を血肉にした果てにあったのは唯一無二の悲しき福音だった。血まみれの天使が涙を流し謡うこの世界は恐ろしい位に残酷で、彼女達の歌には救いは全く無い、なのにその終末の世界から僕は抜け出せる気が到底しない。これは最果ての音楽の到達点だ、この甘く重い鳥籠に取り込まれたままで良い。