■割礼
■セカイノマヒル/割礼

80年代初頭から現在に至るまで伝説的ロックバンドで終わるのを拒否するかの様にマイペースながらも精力的に活動する割礼の03年発表の5thアルバム。今作で正式にメンバーとしてクレジットされているのはVo&Gtの宍戸氏とDrの松橋氏のみだが、現在のメンバーもサポートで参加し、今作から現在の最強の布陣へと繋がっていたりする訳だが、今作はサイケデリックでありながらも、割礼の歌物ロックとしてのポップさやキャッチーさも出た作品となっている。
個人的に割礼と言うバンドは極端に落としたテンポと宍戸氏の情念が織り成すサイケデリックさが核になっていると思っているのだけれども、それ以外は本当に何のギミックも無いスタンダードなロックを鳴らしているバンドであるし、今作はその情念と歌物ロックの要素が絶妙な配分になっているし、ヘビィではあるのだけれど割礼の音に初めて触れる人に入門編の1枚としてピッタリだと思う。第2曲「ぼくが、ほんとに」は本当に割礼ならではの削ぎ落とされたサウンドがズッシリと聴き手に響きながらも、その剥き出しのイノセンスが胸が震えてしまう1曲となっているが、80年代~90年代のリリースした作品や最新作の「星を見る」に比べたら本当にすんなりと入ってくる優しさがある。割礼はどの楽曲にも精神的な重さを感じさせながらも、それを飲み込んだ先にある優しさというのが存在するのだけれど、今作は本当にその優しさの部分が強く出ている。しかし第3曲「風船ガムのドジ」では重苦しさとインプロ的なアプローチをしかkりと取り入れ、割礼の魅力である重厚なサイケデリックな情念も聴かせてくれているし、第4曲「ハルメンの子守唄」の延々と鳴り響くファズサウンドと宍戸氏の耳にこびり付く唄とバイオリンの調べが織り成すオーケストラの様な楽曲になっており、従来の重苦しいサイケデリックな音も確かに存在している。それでも闇夜から少しずつ様々な色彩が見えてくる楽曲は確かに今までの割礼とは一味違ったアプローチだ。さねよしいさことデュエットし、優しい子守唄になっている第5曲「ソフティ」の淡く優しい調べも魅力的だし、最初期の名曲をより不可解なサイケデリックなまどろみへと変貌させた第7曲「ベッド」と本当に今までに無い位に多様な楽曲が並んでいるけど、それでも統率された極端にスロウなBPMが作品全体にブレを感じさせずにどこをどう切っても割礼と言うべき音に仕上げている。そして終盤の「世界の真昼」と「がけっぷちのモーテル」で見せる一つの夜の終わりと新たな日常の始まりを告げる様な妙なまどろみと開放を素直に鳴らし、聴き手に確かな温もりを与えてくれる。
どの作品でも割礼の純度は決して変わりはしないのだけれども、今作では優しさというベクトルがより明確になっており、聴き手に少しばかりの残酷さと確かな温もりや温度を与えてくれる作品になっている。そして今作以降の割礼は最強の布陣となり、より残酷なサイケデリックロックを鳴らしていると考えると中々不思議な気持ちになったりもするが、それも割礼の確かな魅力であったりするのだ。
■Live9091/割礼

80年代から現在に至るまで活動し、未だ音楽的な実りの季節を謳歌している名古屋が生んだ生ける伝説こと割礼。その甘美でヘビィなスロウなサイケデリックな音をコンパイルしたライブ盤である今作は90年~91年頃の割礼のライブ音源を収録しており、8人編成という大所帯(サポートで不失者の三浦真樹やさかなの林山人とかなり豪華なメンバーが参加している)で鳴らされる重厚なサイケデリック絵巻を余す所無くパッケージングされている。リリースは北村昌士のSSEからで、今は亡き人形師である天野可淡の作品である球体関節人形のジャケットのインパクトも凄いが、今作は正に割礼にしか鳴らせない世界が最大レベルで発揮されている。
まず今作の楽曲はスタジオ盤とは全く違うアレンジが施されている。スタジオ盤ではスタンダードなバンド編成で録音されていた楽曲は大所帯編成でのアレンジに生まれ変わっており、音がスタジオ盤以上に重厚な物になっている。それだけでは無くスタジオ盤以上にダークさとスロウになったBPMも際立っており、全体的に長尺の楽曲が多くなっているのも特徴だ。第1曲「ラブ?」や第2曲「海のあの娘」こそスタジオ盤とあまりアレンジは変わっていないけど音の厚みが増しているし、緩やかにダークサイドへと堕落していく様な音になっている。しかし第3曲「散歩」から完全に別次元の割礼に変貌を遂げている。本当に音数少なく今にも止まりそうなまでにスロウに削ぎ落とされているのに、その僅かな音のみで紡がれるアンサンブルの重厚さと振り絞る様な宍戸の歌が生み出す甘美なラブソングが並ぶ。特に「ネイルフラン」に収録されている楽曲はかなりの変貌を遂げている。「ネイルフラン」もかなり少ない音数で録音された作品であるが、その音数の少なさはそのままに一音の厚みと存在感が増したスロウコアの世界へと誘われる。第5曲「ネイルフラン」の静謐な中でのアンサンブルの止まりそうなタイム感が生み出す緊張感もそうだが、第6曲「太陽の真中のリフ」のスタジオ盤以上にスロウになりながらもその心拍数停止寸前の感覚が生み出すサイケデリックな世界が咲き乱れ、第7曲「君の写真」の空間的なノイジーさが波紋の様に広がり、神秘的なシンセの音と共にねっとりとした感触の歌とギターが生み出す情念に満ちた怨歌と化した様は、人間の奥底の純粋であるが故の感情の静かな螺旋がドラマティックに鳴らされている。そしてラスト第10曲の「ゲーペーウー」の緩やかさと今作で一番優しい空気で歌われたラブソングは全ての音が静かに呼吸し、今までの窒息する様な重苦しさから少しだけ開放された様な救いすら感じる。
ただでさえ重苦しくサイケデリックな割礼の音をよりスロウに、より重苦しくしたアレンジを8人編成のアンサンブルで奏でるサイケデリックオーケストラと言っても過言ではない今作は、本当に削ぎ落とした音数でありながら、全ての音が重厚であるし、その音と音の隙間が作り出す空白ですら割礼の音楽として重要な存在にしてしまった作品だ。止まりそうな速度で紡がれる歌と音が生み出す空気こそが割礼の持つサイケデリックな空気であり、その空白すら重苦しく感じさせる極上のスロウコアである。スタジオ盤もかなりドロドロとした情念の歌ばかりであるが、本当に剥き出しの割礼の核に今作では触れる事が出来る。この音は割礼にしか出せないスロウな純粋過ぎる情念の世界だ。
■ネイルフラン/割礼

89年発表の割礼の2ndアルバム。現在の割礼の様なスロウコアであり、甘く重い世界観を完成させた作品であり、少ない音数で作り上げた、陶酔感に満ちたサイケデリックな作品である。
割礼独自のファズサウンドは今作ではあまり見られないが、静謐さから成る緊張感はかなりの物であるし、ズブズブと地底の奥底に潜り込んでいくかの様な作品だ。
全編に渡って浮遊するファズギターと宍戸の歌でと無造作に鳴るドラムのみで構成された第1曲「溺れっぱなし」で割礼の描く暗闇の地底の世界に誘われる。しかし他の楽曲はほぼクリーントーンで鳴るギターのシンプルなリズム隊の音で楽曲が構成されている。第3曲「目かくし」は僅か1分半の尺でありながら、剥き出しになったギターと宍戸の歌のみのゴスペルの様な楽曲であり、割礼の核の部分に触れる事が出来る。第4曲「太陽の真ん中のリフ」はクラシカルなチェロの音とクリーントーンのギターが交錯しながらも、骨だけしか存在しない様な楽曲。しかしあまりにスロウテンポで鳴る音と緩やかに紡がれる歌は確かに聴き手に纏わり付くし、内面的世界を体現するアプローチであるのだ。
今作は終盤の2曲の完成度が本当に素晴らしいと言える。第6曲「ネイルフラン」のメロウさと僅かばかりの湿度が素晴らしく、シンプルだからこそ生まれる甘くドープな揺らぎは割礼に於いて絶対の核になっている要素だ。そして今作のハイライトである第7曲「君の写真」は割礼にしか鳴らす事の出来ないラブソングだ。「君が好き」という誰もが歌うテーマを純粋にかつヘビィに謡ったバラードであるし、ダークなコード進行の陰鬱さから、歪みや轟音に頼らず、純粋な想いを暴発させるドラマチックなラストは震える位に美しい。
今作にてスロウでありながらも確かな呼吸を鳴らす割礼のサウンドの核は完全に完成しており、割礼はその核の部分を変える事無く現在も活動している。日本のサイケデリックロックの中でもかなりメロウでシンプルな音を鳴らす割礼だが、その地底の奥底から湧き上がる情念と空間を支配する揺らぎは間違い無くサイケデリックだ。
悲しみと情念を純粋なまま鳴らす割礼の世界は今作から決して変わる事は無いと断言出来る。揺らぎと陶酔のロックは割礼だからこそ鳴らせる物だ。
■ゆれつづける/割礼

90年に発表された割礼の3rdアルバムである今作であるが、割礼の代表作であると同時に、ジャパニーズロックの屈指の大名盤といっても過言では無い作品である。耽美さ、湿ったダークさ、ゆらゆら燃え続ける炎の様であり、甘いドラッグの様な退廃的な世界観を持ちながらも、宍戸幸司が歌うのはラブソングである。
安易にカテゴライズさせない強さを持ちながら、割礼独自の湿り気と優しさで歌われるラブソングは素直なまでに聴き手に突き刺さり溺れさせる。
全9曲、世界観は統一され、余計なギミックの無いシンプルな音でありながらも、どこまでもスロウで甘く重い割礼の音は貫かれている。ネオアコ的な要素を持ちながら、蛇の如く這いずり回る第1曲「緑色の炎」からその世界は展開され、最小限の音のみで構成され、宍戸の歌を見事にフューチャーした第2曲「散歩」で聴き手をホルマリンの様なドロドロの世界に引きずり込み、今作屈指のドラマチックさと優しさを持つ名曲の第3曲「電話の悪魔」の冒頭からの流れで完全なまでに割礼の音を表現している。
第5曲「快人20面相」の様な何処か陽性のメロディとポップさをもった楽曲でも割礼の退廃的世界は貫かれてるし、ファズギターをフューチャーした第6曲「歪み」の様なサイケ色の強い楽曲でもそれは分かると思う。最小限の音をタイトに鳴らすリズム隊に反して、宍戸と山際氏のギターは、スロウでありながらも聴き手の耳に確実に浸食するファズギターとハイの効いたクリーントーンを使い分け、シンプルながらも感傷的メロディを鳴らし、宍戸の歌声と世界観を完全な形にして表現しているのだ。第8曲「ゆれつづける」でその割礼独自のタイム感を持ったサウンドは一寸もブレ無く鳴っている。
割礼の音には安易な救いや、下らない自己陶酔に基づいた安い絶望なんか全く無い。宍戸の歌は重くダークではあるが、それと同時に愚直なまでに素直でロマンチックでもあるのだ。
僕は割礼はバンド結成から現在に至るまでラブソングばかり歌うバンドだと思っている。しかしそのラブソングは割礼にしかないスロウさと温もりと残酷が痛い位に伝わるのだ。
人を溺れさせる、内側に向かうロックを突き詰めたからこその優しさと強さが今作には貫かれている。
■PARADAISE-K/割礼
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長らく廃盤になっていた割礼の86年発表の1stアルバムにリマスターを施し、追加音源を収録し再発されたのが今作である。今の割礼よりもストレートでロックな曲が並んでいるが、この頃から割礼の世界観は完成されている事を見事に証明している。20年以上前の作品ながら、今でも色褪せない新鮮さを確かに持っているし、この作品は当時のサイケデリックロックやパンク・ニューウェイブの流れを感じるものだが、しっかりと割礼としてのカラーを確立している。
幻想と甘さと陶酔感と哀愁。これらは割礼が昔から今に至るまで揺るがずに持ち合わせている物であり、その確かな芯があるからこそ、今作以降スロウかつダークな楽曲がメインになってもバンドとしては何も揺らぐ事は無かったのでは無いだろうか?
第1曲「キノコ」は現在のスロウコアな割礼の流れに通じる横揺れのサイケデリックナンバー、日本のサイケの先人達へのリスペクトを感じる曲でもあり、哀愁漂うノイジーなギターが印象的だ。しかし第2曲「ベッド」はBPM速めな縦ノリのロックナンバーであり、宍戸の声も若々しい。Television等のニューヨーク・パンクの流れも見事に継承。歯切れの良いギターのカッティングも気持ちが良い。
第4曲「ゲーペーウー」が今作のハイライトではないだろうか。シンプルながらもうねるベースラインに、シンプルなビートと、パンキッシュながらもルーツミュージックとしてのロックを感じるギターフレーズ。割礼は根本の部分は今も昔も変わってない。宍戸のセンチメンタルな歌とアッパーかつ横ノリな曲調が見事にマッチしている。
後に発表されるライブ盤にも収録されている第5曲「ラブ?」のサイケデリックな陶酔感。第7曲「光り輝く少女」のスロウかつ幻想的な世界観。それらは今も昔も決して揺らがない割礼のカラーをしっかりと浮き彫りにしているナンバーだといえる。
今作の再発で、音源を持っていなかったファンも、新たに割礼を知った人も、割礼のバンドとしての若かりし時代を知る事が出来るであろう。割礼はこの作品以降メジャーから音源をリリースしたり、バンド自体が無くなったりしながらも今に至る。強靭なる世界を持ったバンドの記念すべき最初の足跡である。