■Syrup16g
■delaidback/syrup16g
DAIZAWA RECORDS/UK.PROJECT (2017-11-08)
売り上げランキング: 635
syrup16gはこれまで「delayed」、「delaydead」と未音源化楽曲の編集盤をオリジナルアルバムとしてリリースしているが、今作は実に13年振りの遅刻シリーズとなる記念すべき10枚目のオリジナルアルバムだ。
収録されている楽曲は「delaydead」リリースから解散までにライブで披露されていた大量の未発表曲の一部、シロップ解散後に五十嵐隆の新バンドとしてスタートしたが作品をリリースする事なく超短期間で解散した犬が吠えるの楽曲、2013年の実施シロップ再結成ライブとなった生還ライブの時に披露された新曲、そしてシロップ結成当初の20年前の未発表曲まで網羅した全13曲。
言うなれば音源化していない楽曲を寄せ集めただけの作品ではあるが、そこはシロップ。スピッツのB面集の様に名曲を寄せ集めただけで名盤が成立してしまうマジックがあるのだ。
収録されている楽曲の生まれた時代には実に20年近い振れ幅があるが、それでも不思議と統一感がある様に聞こえるのは五十嵐隆という男のソングライティングのセンスがシロップ結成当初から現在に至るまで全くブレていないからだろう。
本来、犬が吠えるの代表曲になる予定であった第1曲「光のような」、第7曲「赤いカラス」のシンプルなアレンジだからこそ輝く楽曲の純粋なメロディの良さ。派手な事をしていないが力強いアンサンブル。過去を現在へと変え、色褪せない輝きを放つ。
生還ライブの楽曲も2017年のシロップの楽曲として卸され、第2曲「透明な日」の染み渡るメロと歌、第5曲「ヒーローショー」の軽快さ。どの楽曲も3ピースの美学が生み出した美メロとポップネスにあふれている。
20年近く前の楽曲である第6曲「夢みたい」の歌謡曲的なメロの中に潜む粘り、第10曲「開けられずじまいの心の窓から」も生還ライブで披露された楽曲とも見事にリンクし時を超える名曲である事を証明。
特に当時からファンの間では名曲と呼ばれ解散時に音源化されなかった事を悔やむ声が多かった第3曲「star slave」は今作の中でも一番の名曲。少ないコード進行によって淡々と刻まれる吐きそうな程に美しいメロディと悲壮感はシロップの一番の持ち味であり、煌めきすら悲しく感じさせる情景を描く歌詞とメロディは必聴。
第8曲「upside down」も軽快なカッティングギターから滲み出る80年代UKロックへのセンチメンタリズムも注目すべきだろう。
そんな名曲巡りの今作のラストを飾る「光なき窓」の儚い余韻も含めシロップが持つ魅力を存分に楽しめる全13曲だ。
シロップは他のバンドに比べて未発表の楽曲が非常に多く、今回こうして一度時系列の彼方に消えてしまった楽曲を2017年に蘇らせてくれた事はファンとしても非常に嬉しい。
同時にシロップ入門編としても最適な一枚となっており、五十嵐隆という男の天才的ソングライティングセンスとシロップの3人が織りなす熟練のアンサンブルも堪能出来る。特に今作はキタダマキのベースが今まで以上に変態的かつメロディアスなベースを弾き倒しているのも忘れてはいけない。
僕個人としてはsyrup16gというバンドに関しては過去以上に今後世に生まれるであろう今の音源を楽しみにしている側ではあるが、今作を聴いて、そう遠くない内にまたリリースされるであろう新作への期待が高まったのも事実だ。
00年代以降の日本国内のギターロックに於いてsyrup16gというバンドがここまで多くの支持を今尚集め続けるのか。それは今作を聴けばわかるはずだ。
■darc/syrup16g
DAIZAWA RECORDS/UK.PROJECT (2016-11-16)
売り上げランキング: 12,274
2016年秋の「HAIKAI」ツアーに合わせて突如としてリリースされたsyrup16gの9thアルバム。
全8曲36分とアルバムとミニアルバムの中間の何とも言えないサイズのアルバムで、ジャケもFOO FIGHTERSへのオマージュであるがそこら辺で売ってそうな水鉄砲と本気なのかふざけてるのかよくわからない感じではあるが、それとは裏腹に再結成後のシロップの新たな音を提示した名作に仕上がった。
公式でのインフォメーションでは1stアルバムである「COPY」制作当時と同じ気持ちで作られた作品とアナウンスされていたが、結論から言えば過去のシロップへの懐古的な作品ではなく、自らの原点を見つめ直した上で現在進行形のシロップへとアップロードした長年追いかけて来たファンならずとも必聴の名盤となった。
リードトラックとしてMVが公開されている「Deathparade」こそロック色の強いアプローチをしているが、残りの楽曲では派手なアプローチは全くしておらず、その点はシロップが新たなファンを獲得する気があるのかと言う批判も生んでいるが、そもそもシロップというバンド自体が外へのアプローチに必要以上に固執せず、自らの愛した音楽へのセンチメンタルな感情と五十嵐隆という男の個人的感情の吐露であるのだから、自らに素直になった結果生まれたアプローチだと僕は思う。
再結成後の「Hurt」、「Kranke」という2作品では様々なアプローチを試み、再結成後のシロップを構築している作品だと僕は感じたが、今作が持つ不穏さはシロップが持つ糖度の粘りを新しい感触で蘇らせた物だろう。
少しロウでくぐもったサウンドプロダクトもあるが、第1曲「Cassis soda&Honeymoon」の最低限の展開の中で不協和音の中の甘さで陶酔させ沈んでいく音にいきなり飲み込まれていく。
第4曲「Father's Day」の繰り返されるフレーズが徐々に轟音へと変貌しながら、決して高揚感へと導かないドープなサウンドも不思議と胸に突き刺さる。
その一方で五十嵐隆の十八番である最低限のシンプルなコード進行で吐きそうな程に甘いメロディを携えたシロップのアプローチも磨きがかかっている。第3曲「I'll be there」と第7曲「Murder you know」の2曲が今作の肝となる2曲であり、これまでのキャリアの中で築き上げたシロップ名曲殿堂の中でもトップレベルの普遍的名曲だ。
そしてラストを飾る「Rookie Yankee」のアコギと共に振り絞るように歌い上げるやけっぱちながらも前向きな言葉と音の生々しさは胸に突き刺さる物だ。
syrup16gという多くの熱狂的ファンを抱えるだけでなく、奇跡的な生還劇を果たしたバンドは他の再結成バンド以上に過去は美化され、再結成後も活動させしてくれたら嬉しいみたいな感情が生まれやすいのかもしれない。
だけど僕はシロップが再結成のアナウンスと同時に新作アルバムを引っさげてくれた事を含めて、シロップの今を支持したい。
それは過去への懐古でも焼き直しでもなく、もがきながらも自らの武器を磨き上げ、解散前という過去を焼きはらおうとしてくれているからなのかもしれない。
決して派手なアルバムではないが、シロップが持つ屈指のメロディセンスと五十嵐隆の言葉のセンスが鈍く光る今作を僕は支持したい。
80年代UKロックや日本のオルタナティブロックという自らのルーツを見つめ直したアプローチが並ぶという点は確かに「COPY」と同じ気持ちで作られた作品なのかもしれないが、15年という時を経てsyrup16gというバンドが新たな進化を遂げた事を証明している。
時流に流されず、どっしりと力強く構えた全8曲。五十嵐隆が歌うリアルは未来へと確かに向けられている。
■Kranke/Syrup16g

奇跡の生還ライブから再結成、そして昨年のアルバムリリースとシロップは完全に表舞台に帰ってきたけど、意外と間を空けないであっさりとリリースされた5曲入EPである今作。昨年リリースされた「Hurt」では荒さが結構出ていたし、一先ずはシロップ復活記念作品でありながらも、新たなシロップの始まりを告げる作品となったが、今作は非常に優しい歌物の楽曲が並び、五十嵐がソングライターとしてまだまだ枯れてなんかいないって強く確信させてくれる傑作になっている。
と書いてはみたけど、今作を先ず一周聴いてみて抱いた感想は言い方が悪いけど「地味」の一言だった。いやシロップ自体が元々優れたメロディセンスを持つバンドでありながら、アレンジ等が非常に地味だったりするバンドだし、それは今作もそうなんだけど、一言で言えば解散前の作品達にあった毒素だったり切迫感だったり絶望感がほぼ無くなっている。今作で歌われている事は言ってしまえば諦めの悪さと、思春期的な拗らせた感情とこれ以上に無い位にシロップではあるけど、本当に優しいのだ。シロップはその完膚無きまでの虚無感と絶望感を甘いコードに乗せて突き刺すバンドではあったけど、今作は言ってしまえば救いの作品であり、シロップの奥底にあった諦めの悪さという感情を曲にした物ばかり。そして個人的な空想の域を脱してはいないけど、今作を聴いて思ったのは五十嵐はバンド名の意味の一つであった「ぬるいままで好きな音楽を好きなだけやろう」というスタンスになっているんだと思う。楽曲はここ最近の流行りの音の要素なんて勿論無いし、五十嵐のルーツである80年代UKロックだったりとかの影響がやっぱり強い。でもそれで良いんだと思う。今のシロップのモードは完全に気ままに好きな音だけ奏でたいってモードであるがこそ、今作は純粋な作品であり、そして聴き込む程にゆるやかに浸透していく。結局は根底としては何も変わっていないって安心感があるし、「Hurt」と違って肩の力が抜けているからこそ五十嵐の伝家の宝刀である甘く美しいメロディセンスが見事に光っている。
今作のリードトラックである第1曲「冷たい掌」も転調こそあったりはするけど、コードワークはシンプル極まりないし、切なさ溢れるラブソングになっている。北田氏のベースラインのセンスはやっぱり天才的であったり、大樹ちゃんのドラムは荒々しく猛る訳では無いにしても、シンプルであるからこそ強くもある。何よりも五十嵐の歌が本当に優しい。今作の中では異質でロック的で刺々しいギターワークが光る第2曲「vampire's store」もそんな優しさがあるし、攻撃的なサウンドではあるけど、禍々しくは無いし、自然体のシロップのロックだ。
「オーオーアアエー」なんてボーカルで思わず笑みが溢れてしまったインタールードである第3曲「songline」を挟んでの後半の2曲は特に素晴らしい。第4曲「Thank you」なんてタイトルがもうらしく無いんだけど、歌詞も曲も完全にシロップ。やっぱり地味だなーって思いつつも、風通しの良い疾走感だったりは再結成後のシロップの中で大きなファクターなんじゃないかなって思ったりもする。爽やかではあるけど、でもちょっとだけドロっとしていたりって言うのが、シロップの諦めの悪さそのままなんだ。そして第5曲「To be honor」はシロップの解散前と再結成後という区切りを作った上で、完全に再結成後を象徴する屈指の名曲になっているだろう。諦めを言葉で羅列していると思わせといて、でも先にゆっくりと歩いていくという意思を歌っている様にも思えたし、解散前の楽曲で言えば「イマジン」とかに近いサウンドでありながらも、ドロドロはしていないし、五十嵐の歌はやっぱ不安定でもありつつ、でも話しかけるようでもある。気が付けばこの曲が頭の中でずっとリフレインしているし、壮大でも無いしダークでも無いけど、これが再結成後のシロップの新たなるスタンダードなんだと思う。
何となくだけど、今作は五十嵐が再結成以降のシロップを新たに作っている段階の作品であると感じたし、解散前とは色々と状況も違うからこそ、現在進行形でのシロップを新たに構築している最中だと思うのだ。だからこそその再構築が完了した時にシロップはまた凄まじい作品を生み出すと思うし、どうしても解散前のシロップが神格化されてしまっているからこそ、色々と思うことがある人は多いのかもしれないけど、でも今作の楽曲たちは間違いなくシロップ以外には作れない曲ばかりだし、静かにゆるやかに、でも確実にシロップは歩み続けている。だからこそ地味ではあるが、不変的な名曲ばかりの作品だ。
■Hurt/Syrup16g
![]() | Hurt (2014/08/27) syrup16g 商品詳細を見る |
2013年の五月に五十嵐隆生還ライブと言う名の実質Syrup16gの再結成ライブ。そしてその一年後の2014年の6月にに正式に再結成がアナウンスされ、そして突如としてアナウンスされた再結成後の完全なる最新作。この作品をどれだけの人が心待ちにしていて、どれだけの人が本当にリリースされるかビクビクしていただろうか。今作は2014年リリースの実に6年半振りのシロップの最新作であり、シロップが一度解散してからポストシロップなんて売り文句で色々なバンドが登場したりしたけど、その穴は誰も埋められなくて、日々の絶望や怠惰や諦めや嘆きや、それでも希望とか少しばかりの意地や愛とか、どこまでも人間臭い事を歌い続け、それは鬱ロックなんてゴミみてえな括りに括られたりもしたけど、五十嵐隆という天才であり、ゴミクズなギターロック界の冨樫みてえな立ち位置にいた天才メロディメイカーの最新作だ。先ずはこのアルバムがリリースされただけで、中学生の頃からずっとこのバンドを追いかけ続けた僕としては本当に心から嬉しい。
ここからは本当に個人的感情ばかり入り混じってまともな紹介にはならないんだろうけど、今作で感じた事は本当に沢山ある。五十嵐隆という男は本当に素晴らしいソングライターである事、同時に五十嵐・中畑・北田の鉄壁の三人によるシロップというバンドはまだまだ未完成であるという事。これまで数多くリリースされたシロップの作品はどれも余計な装飾の無い、剥き出しの作品ばかりであったけど、どれもがとんでもない完成度の作品ばかりであった。解散前にリリースされた「Syrup16g」という作品の延長線上にある作品であるけど、今作を何度も聴いて感じたのは、シロップというバンドはまだ未完成であるし、何も完全じゃ無かったという事だ。正直に言ってしまうと今作はシロップのリリースしたこれまでの作品の中でそれぞれの楽曲の完成度のバラつきが出ている作品でもあるし、それはシロップと言うバンドが劣化したと感じる人も多いのかもしれない。でも僕個人としては、完成度自体はやっぱりどの曲も高いし、ただ新たに再結成してバンドを新たな地平に持っていくまでの試行錯誤と探り探りな感じがどうしても出ている。これは再結成後の完全で完璧な作品では無くて、
再結成から新たな一歩を踏み出す為の「経過」としての作品なのだろう。今作は解散前の延長にありながら、同時に五十嵐が再び原点に戻った作品でもある。そりゃ洗練なんて全く無い。
ソリッドなギターリフとやたらとオリエンタルなギターフレーズの反復と、ニューウェイブ的なビートの構築理論、これまで以上に目立ち、テクニカルさを発揮し、よりメロディを司るベース、これまでのシロップらしさがありながらも、これまでにないシロップを感じさせる第1曲「Share the light」はよりダイナミックになった音の連続に驚くし、五十嵐が何も日和って難解ねえ事を証明する見事なまでにシロップらしい復帰宣言の一曲だろう。ギターロックの甘さとソリッドさを音と言葉に詰めて、相変わらずなどうしようもねえ感じも健在。第2曲「イカれた HOLIDAYS」はこれ以上に無い位にメロディメイカー五十嵐の才能が発揮された名曲で、諦めややるせなさを相変わらず歌っているどうしようもなさ、シンプルな構成と音、そして余計な装飾の無さ。ああ、これこそがシロップであるし、こんなシンプルなのに誰も真似出来ない事をこのバンドはやっていたんだなって改めて実感させられた。メロディアスでありながら動きまくるベースワークと、コーラス基調のギターワークでありながら、よりバンドとしての生々しさを手にし、同時にThe Cureモロな音がまたどうしようもなく愛おしくなる第3曲「Stop brain」、メロディアスな疾走感とソリッドな音とシンプルなコード進行による第4曲「ゆびきりをしたのは」。ここまでどの曲も良いけど、どの曲も解散前のシロップを越えたかと言われるとそれはNOだし、言うならば良くも悪くも解散前と変わっていない。よりプリミティブなバンドサウンドとしての生々しさを手にしているという点や、これまでに無かったアプローチも若干あったりもするけど、どうしようもなく危ういまんまだ。
中盤のダウナーさとメロディアスさの融和した「(You will) never dance tonight」、こちらも80年代のニューウェイブ感を出している「哀しき Shoegaze」、ダンサブルなビートをとギターワークを機軸にしたダンサブルな「メビウスゲート」。ここらへんの曲は五十嵐のルーツにかなり接近した楽曲ばかりだけど、これまでのシロップの楽曲たちに迫る完成度があるかというと、それはNOだし、五十嵐自身が自らのルーツを再認識してまたシロップに昇華する為の楽曲なのかもしれない。だけど今作のリードトラックになっている第8曲「生きているよりマシさ」はこれ以上に無いシロップらしいネガティブさで突き落としながら、同時に無垢な愛を歌っていたりするし、余計なアプローチが無いからこそ、この曲のシンプルな輝きと、五十嵐の言葉の数々はどうしようもなく嵌るし、「死んでる方がマシさ」なんて一見諦めで全てを突き落としている様にも思える言葉だけど、でも結局は諦める事なんて出来ないちっぽけな意地やプライド、このもどかしくてクズな感じ、ネガティブな癖に、でもまだ希望捨てられねえ感じ、この感覚をシロップの他に表現できたバンドはいないし、「君といれたのが嬉しい」なんて言葉が素直に出てきてしまうのがもうずるい。そして驚くべきは終盤の2曲だ。「宇宙遊泳」なんて甘いメロディが疾走感と共に、彼方へと連れ去るロマンティックな曲だし、シロップのドロドロしたあの音では無くて、まるでSportsの様な浮遊感と疾走感と甘さと躍動感が未知へと導く名曲で、見事にシロップらしくないのに、なんでシロップにしか出せない音なんだろうか。そして最終曲「旅立ちの歌」なんて本当にらしくない。こんなやけぱっちだけど結局前向きな事を歌っちゃう五十嵐はらしくない!!なのに、本当にらしいからムカつく。五十嵐なんてウダウダしててバンド解散させて、新しくバンド組んだけど直ぐに解散して、結局中畑と北田いないと何も出来ないクズ野郎の癖にって思ったし、でもそんなゴミクズ野郎だからこの曲歌えるんだし、開き直りじゃなくて、やっと決めた覚悟を歌っているし、だからこそこの曲を聴いて俺はシロップは本当に戻って来たと確信した。
このアルバムはこれまでシロップを聴いていた人からしたら、それぞれの想いがあるし、絶賛する人もいればdisる人もいるだろうし、僕を含めた元々シロップ好きだった人間の今作に対する感想なんて、シロップ知らない人からしたら本当にアテになんてならないから耳を貸す必要なんて無いけど、でもなんで五十嵐隆とかいうゴミクズニートの癖にメンヘラのカリスマになっちまって、武道館ライブまでやってしまったんだっていう男が率いるSyrup16gというバンドが、他に代えのいないバンドなのかは、今作を聴けば分かるだろう。結局絶望にも希望にも振り切れないゴミクズっぷり、その癖シンプルなアプローチをすればする程に際立つ天才的メロディーセンス、聴き手を突き放しもしないし、抱きしめもしない所。ああ、これこそがシロップなんだって思う。今作は始まりの作品だ。だからこそ歪だし、全曲名曲とは言えないけど、でも最高にシロップらしいシロップにしか生み出せなかった作品だ。結局僕にとってシロップは一生好きなバンドなんだと思う。
■coup d'Etat/Syrup16g
![]() | coup d'Etat【reissue】 (2010/10/27) syrup16g 商品詳細を見る |
気が付いたら00年代の日本のギターロックを代表する存在と言える様になってしまったシロップの02年発表の2ndにしてメジャーデビュー作品である今作は、シロップで最も尖った殺傷力と甘さが濃縮された非常に中毒性の高い作品である、諦めが一周回って開き直りの希望みたいになっている歌の世界と、ディレイとコーラスを多用した音作りと、シャープな轟音が作品に充満しており、本当の聴き手の無視してしまいたい感情との対峙を促すような、ダークさだけに逃げる事じゃなく、諦めの向こう側から聴き手に刃を突き付ける様な、陶酔の果てにあるドロドロとした醜い感情を暴いていく、そんな作品だと思う。
ぶっちゃけるとシロップの歌詞に関しては色々な所で語り尽くされているので僕の方からは何も言う事は無いに等しいと思うのだけど、シロップはそのダークな歌詞が表層ばかり取り立たされている印象が僕の中でどうしてもあるのだ。シロップの核になっているのはその歌詞ではなく、初期U2直系の甘さとエッジの調和が見事に取れたサウンドであると僕は思っているし、今作はシロップの作品の中で最もそのエッジの部分が鋭い作品であるし、そのサウンドに乗るからこそ五十嵐の言葉の鋭さも増すのだと僕は思っている。甘く中毒性のある旋律と、エッジの利いたギターサウンド。これが存在するだけでロックとしての攻撃力は十分だし、その音が作品の中で見事に統一されているのだ。特に第7曲「天才」と第12曲「空をなくす」はシロップの切れ味の鋭さが前面に出た必殺の楽曲だと思う。
そのエッジの利いた楽曲郡に混ざって静謐でメロウな甘さを持つ楽曲も収録されている。第5曲「遊体離脱」なんかはシンプルなコード進行でありながら精神世界の後悔と諦めに満ちた内に向かう陰鬱さを持つロックの名曲であるし、第10曲「ハピネス」のアコースティックなサウンドが生み出すモノクロの風景なんかもシロップも持ち味であるし、今作はそれらの楽曲が本当に魅力的な甘さを持っているのだ。そして最終曲である第13曲「汚れたいだけ」のボリュームペダルを駆使した浮遊する音と、儚い轟音と懺悔の様に紡がれる言葉。荒涼として空っぽな虚無感に満ちた楽曲なのに、血液の流れと僅かな光を感じさせてくれる名曲であるし、僕はシロップの一つの到達点と言っても良い楽曲だと勝手に思っている。
シロップは決して安易な絶望を歌ってるバンドなんかじゃないし、聴き手をそれに陶酔させるだけのバンドなんかじゃないと僕は思う。今作に収録されている楽曲の鋭さと甘さは確かに中毒性があるが、それに言葉が乗った瞬間に聴き手に生きることと死ぬことを同時に突き付け、それらの感情を一気に暴いていくのだ。今作は外側に向かう殺意に満ちたサウンドと、内側に向かう自問自答と諦めと開き直りが同時に存在し、それらがシロップをロックバンドとしてより魅力的にしているのだ。
最近、安易に鬱や絶望を歌うバンドが増えた気がするけど、殆どのバンドが独りよがりな構ってちゃんバンドであるし、そのインスタントな絶望ばかり求め、ダークサイドをファッションとしてしか捉えてない甘ったれたリスナーが凄く増えたなと勝手に思っているし、シロップもそうゆう聴き方をかなりされているバンドだとも思う。でも都合悪い事も目を覆いたくなることも含めて暴いていくのがロックであるし、シロップはそのサウンドの説得力と、開き直りながらもただ精一杯人間臭い感情を鳴らしたバンドだ。今作で鳴っている音は楽曲自体のクオリティこそは高いが全然洗練されてないし、アレンジも派手ではない、でもシロップは解散まで洗練される事は無かった。だからこそ僕は未だに今作を再生する。
シロップは決してロックバンドである事からは逃げなかった。だからこそ今作は初期U2の様な美しさを持っているのだ。