■2014年11月
■weepray Presents "死覚" ~ Hexis Japan Tour Final ~
・Presence of Soul
トップはPresence of Soul。セッティングされた膨大すぎるエフェクターでステージが埋め尽くされているのに驚いたけど、そんな機材の量を裏切らないライブだったと思う。音源自体はアルバム「Blinds」しか僕は聴いていなかったのだけど、「Blinds」リリース当時とは明らかに違うバンドになっていた事に驚いた。2本のギターとドラムとベースとキーボード。時にキーボードの女性がギターを弾きトリプルギター編成にもなっていたりもしたけど、のっけから凄まじいアンサンブルを見せる。キーボードの音が静かにメロディを奏で、ギターが静から重轟音を放ち、ミドルテンポで重いグルーブをリズム隊が放つ。照明はプロジェクターによって映し出される映像のみで、そのモノクロの荒涼とした映像がまた彼等の音と見事にシンクロする。ライブ自体は全3曲で、ラストの曲以外はインストではあったけど、スクリーンに映し出されるモノクロの映像同様に白と黒による音の世界は壮絶で神秘的ですらあった。轟音シューゲイジングサウンドの白と、ヘビィなポストメタルリフによる黒が入り混じり、緻密にアンサンブルを組み立てながら、しかしダイナミックにダークネスとサッドネスとピュアネスが溶け合って爆発する様なサウンドスケープを展開し、圧倒的な世界観を四次元的に生み出していた。本当に重厚過ぎる音の洪水に身を任せていたらライブはあっと言う間に終わってしまったし。最後の女性キーボード兼ギターの「ありがとうございました。」っていうこの日唯一のMCでライブが終わり転換に入っても、彼等の音の余韻はモルガーナを包んでいた。本当に良い意味で音源とは全然違ったし、Presence of Soulは日本が生んだYear Of No Lightや!!と声を大にして叫びたくなった。いやポストメタル・シューゲイザー・エクスペリメンタル好きは間違いなく聴くべきバンドだし、そのライブはのっけから死を覚悟するだけのライブだった。

・STUBBORN FATHER
昨年の孔鴉で出会い、カオティックハードコアの先の先を放つ激音に完全に殺されたのだけど、ライブを観るのは実にその孔鴉以来。ステージの中央あたりに設置された蛍光灯の照明が照らし出すメンバー4人のシルエットは最早カリスマの風格すら漂わせ、その中で「裏側」の音声SEが不穏過ぎる空気を生み出し、ノイジーなギターがそれを切り裂き、そしてライブが始まったらカタルシスに続くカタルシスの連続だった。たった1本のギターが常に混沌とヴァイオレンスさしか無いフレーズを生み出し、変則的でありながらも見事な呼吸によってバッチリキメるキメの連続に体が震えそうになるし、絶妙なキャッチーさを持ちながらも、それはあくまでもスパイスであり、ステージ上で渦巻いているのは最初から最後jまで混沌でしか無い。ボーカルのshige氏の佇まいやボーカルも異様さを感じさせる物があったし、練り込まれている楽曲を完全に音の暴力として変換する事によって生み出された音は正に観る物に臨死体験を与えながらも、同時に興奮を与え狂気をバラ撒きまくる。中盤ではANODEの「隠された太陽」のカバーも飛び出し、それにもテンションはブチ上がったけど、やはり終盤の「痣」で見せた混沌の中で見せる悲哀の旋律の美しさ、そしてラストの「創造の山」での目まぐるしく展開していく煉獄の中で爆発を繰り返しまくっているサウンドにはもう絶頂するしか無かったし、大阪で長年戦い続けているSTUBBORNの風格と凄みを十分に叩きつけるライブだったと思う。大阪という地は東京とはまた違ったハードコアが生み出されている地ではあるけど、大阪云々抜きにしてSTUBBORN FATHERの生み出す混沌は唯一無二であり、その世界観とカリスマ性はこの日カバーしていたANODE同様に彼等も孤高の存在である事を証明していた。

・isolate
現在行われている全国ツアーで激音と轟音を各地で放出しまくっているisolateだけど、この日は盟友weepray企画という事もあってか気合が凄まじいライブだった。「ヒビノコト」リリース以降二回ライブを観ているけど、これまでとはパワーも桁違いにビルドアップされ、そしてisolateの持つ世界もより孤高の物になっていたけど、全国ツアーの途中という事もあってか脂が乗りまくっている最高の状態。そしてのっけから「狂う影にあわせて」で始まった時点でこの日のisolateは切れまくっていた。最早ツインギターのトレモロの美しくありながらも暴れ狂う轟音も、キチガイとしか言えないドラムも、極悪な重低音を放つベースも、今のisolateのアンサンブルは全てが完璧としか言えない。そして続く「ヒビノコト」の楽曲達の生み出すサウンドは正に地獄その物でしか無く。美轟音の中で激情を放つだけじゃ無く、美しさとヴァイオレンスさが完全な割合で融合され、闇のカクテルをフロアにブチ撒けまくっている。この日は照明持ち込みのバンドばかりで、唯一モルガーナの照明でライブをやっていたけど、モルガーナ側の照明スタッフにGJとしか言えないレベルで照明も凄く良くて、安藤氏の暴れ狂う影がまた良い感じで空気を生み出していたのも大きいし、濁流に続く濁流の中で終盤の「歪」から「終末」の流れは鳥肌物であったし、最後の最後にクリーントーンのギターのみとなり、その旋律の中でステージに立つ5人の姿に最早頼もしさしか無かった。いよいよ全国ツアーも終盤戦に入ったけど、今年のシーンを象徴する「ヒビノコト」というアルバムをリリースした今のisolateは完全に無敵モードだし、EnvyやkillieやHIHAといったバンドと肩を並べるレベルのバンドになったと僕は思っている。さあこのまま来月のツアーファイナルまで破滅の果てを突き進んでくれisolate!!!!!

・weepray
間違いなくこれまで観たweeprayのライブの中で一番のライブだったし、同時に伝説に残るであろうライブだったと思う。この日のweeprayについてはもう多くを語る必要は無いだろう。全てが完璧であったし、完成されていたと言える。セット自体は「滅びの碧 終末の詩」、未音源化の楽曲である「終着の地」、「この手とその手」、「彼岸花」というセット自体はここ最近のweeprayのライブと変わらなかったんだけど、全てが研ぎ澄まされていたし、全てが完成されていた。weeprayが持っている、ある種演劇的でもあるステージングとストーリー、そしてそんな深遠なる世界の奥底の奈落から手を伸ばす得体の知れなさ、ハードコアバンドとしての根本的な破滅的な音とブルータルさ、全てが完全な形で融合していた。ボーカルの笠原氏は元からオーラ溢れるステージングをする人だったけど、この日は完全にカリスマその物になっていたし、まるで宗教の教祖の様でもあり、宣教師の様でもあり、もしくは破壊神でもあった。衣装が完全に黒魔道士になって結構経っているベースの阿武氏も、ベースという魔道具から放つ重低音の混沌の魔術は完全に唯一無二のベースの方法論だったし、赤塚&小室のギター隊のギターも完全なる調和を生み出していながらも、その調和を変化させながら、フロアの人間をズタズタに切り刻みまくっていた。大野氏のドラムも完璧で、weeprayという舞台を支える黒子でありながらも、存在感しか無い独自の時間軸を生み出し、そして空間を破壊しまくっていた。非常に個人的な話になってしまうけど「滅びの碧 終末の詩」の時にあまりのライブのスゴさにブチ上がってヘドバンしていたら前方の柵に頭を打って軽く流血したのはまあどうでも良いとして、モルガーナの音響とweeprayの音は完全に合っていたし、笠原氏のボーカルが全面に出ているのに、各楽器の音はエグい音を放ちまくるという最高の状態でのライブだったのも大きいだろう。特に後半の「この手とその手」と「彼岸花」ではあまりにも肉体と精神を破壊する音にぶっ壊れた客が続出して、サークルモッシュからクラウドサーフまで発生するというとんでもない盛り上がりを見せ、狂気の世界に完全に心を壊された人々しかいなかったし、特にラストの「彼岸花」ではビートダウンパートで狂った様に暴れる人でピットは溢れていたし、もう何もかもが異常でしかなかった。ライブを観る度にweeprayは一つの狂気の惨劇だと思い続けていたけど、今回のライブはもうベルセルクの蝕の時の様なトラウマしか無いライブだったと思う。いや本当にこの日のモルガーナにいなかった人は一生後悔した方が良いと思うよ。間違いなく伝説が目の前にあった。

・Hexis
そしていよいよHexisのライブ。今回三公演に渡ってHexisのジャパンツアーに足を運んだけど、もうストロボのみの照明で異次元と化した空間でフィリップとかいうアホ外国人を支えるのも最後かと思うと妙な感慨深さもあったりした。そしてHexisの東京での最終公演は間違いなく今回のツアーの集大成と呼べる物だっただろう。セット自体は恐らく前日のブッシュバッシュとほぼ変わらない物であったけど、これまで観た三公演の中で体感時間は一番短く感じたし、ライブ自体は本当に一瞬で終わった様にも感じた(セット自体は30分弱やっていたとは思うけど)。そして早々にフィリップakaアホ外国人のノッソリとしたクラウドサーフ芸も炸裂し、相変わらずのアホなパフォーマンスに実家の様な安心感を何故か覚えてしまった始末ではあったけど、でもこの日のフィリップ君はちゃんとステージに立っている時間が結構長かったりもしたし、一番気迫を感じさせるボーカルをカマしていた。楽器隊に関してはツアー初日からそうだったけど、本当に寸分の狂いも無いアンサンブルを展開しまくっていたけど、この日はトリ前のweepray同様に音響が凄く良くて、極悪な音塊の中に明確な音の粒を無数に感じたし、その無数の粒が押し寄せる様は完全に黒い洪水。更には音の密度も濃厚極まり無かったのも凄く良かった。ツアー初日でのフィリップ君のアホ極まりないパフォーマンスに驚かされたけど、そうした物すら抜きにしてもHexisというバンドはやはり凄いバンドでしか無かったし、途中で地震があったのすら分からなくなる位の轟音の振動は一つの異次元体験だっただろう。音源で聴いた時はその遠慮の無さ過ぎるトレモロ地獄に悶絶させられたけど、演出面もパフォーマンスもバンドのアンサンブルもやっぱり別格の物であったし、Hexisはやっぱり「本物」のバンドだったっていう事だ。こうして書くのも変な話ではあるけど、今回三公演に渡ってHexisのジャパンツアーに足を運んで本当に良かったと思うし、何よりも楽しそうにライブをするメンバーの姿が印象的で、フロアの人々の笑顔も印象的で、音楽性こそ暗黒を極めまくった地獄のドリル音サウンドなのに、そんな音ですら人々にスペシャルな体験を与え笑顔にするんだからHexisって本当に凄いと思う。本当に来日してくれてありがとう!!最高だったよ!!

終演後にHexisメンバーに適当英語で話しかけて「ユアハードコアイズベリークレイジー!!」とか言って、メンバーに「何言ってんだコイツ」って顔をされたのは去年のMilanku来日の時と同じ失態を犯したっていうここだけの話ではあるけど、フィリップ君が顔を覚えてくれて話かけて来たのも凄く嬉しかったし、外タレ来日ツアーと言えど、こうしたDIYツアーでの外タレバンドと客が気軽にハングアウト出来る空気はやっぱ特別だなとか思ったりもしたし、そのライブだけじゃなくて、ハコ全体のハッピーな空気が僕は一番の主役だったと思った。
今回のHexisジャパンツアーは3LAの発の外タレ招聘ライブであったし、僕個人としてもHexis自体好きだったし、3LAというレーベル・ディストロを個人的に応援していたのもあったし、今回は東京公演全部足を運んだけど、少し無茶してでも足を運んで本当に良かったと思う。3LAと各出演バンドと関係者各位とHexis、それぞれの苦労は計り知れないだろうし、それぞれがリスクを抱えながらも覚悟を決めて実行したジャパンツアーだったと思うし、それが各公演大成功で終わったのは本当に幸福なエンディングだ。僕個人は単なる一人の客でしか無いけど、こうしたDIYで作り上げる現場に大きな価値があると思うし、僕だけじゃなく各公演に足を運んだ人たちは確かにシーンをサポートする意志があったんじゃないかって思う。あんまり難しい事は分からないし、ダラダラ書くと長くなるからこの辺にはしておくけど、何もかもが最高のジャパンツアーになった事だけは伝えたかったし、また3LAが外タレを招聘する事があったら、またHexisが来日してくれるなら、今回参戦した人もしていない人も是非ともシーンを揺らがすであろう現場へと足を運んで欲しいし、というか外タレ云々じゃ無くて、普段からメタルだとかパンクだとかハードコアだとかポストロックだとか関係無く、それぞれの現場で行われている宴へともっともっと足を運ぶ人が増えたら、日本のシーンはもっと面白くなると思う。
Hexis来日してくれて本当にありがとう!!また会う日まで!!
■HEXIS japan tour(2014年11月21日)@小岩bushbash
・Redsheer
Redsheerのライブはもう何度も観ているけど、このバンドの音とライブに飽きなんて全く無い。そして何度ライブを観てもRedsheerの本質にはまだ近づけていないのかもしれない。もうメンバーがそれぞれやっていたバンドの事なんて話す必要も無いと思うけど、複雑極まりない音を、あくまでも破壊力重視で放ち、しかし攻撃性の中にある静かな狂気、外側と内側の両方にナイフを向ける様な感覚。頭の「Silence will burn」から怒涛の音の乱打が繰り出され、手数多く独自のトライヴァルさすら感じるドラムは、そもそもの音がとんでもなく強いし、同時に独特のタメとタイム感で既に一つのグルーブを生み出し、そこに乗せるベースの音はまるで人間の脈拍の様にせわしなく音を刻む。メロディも世界観も全て司るギターはライブを重ねる毎に狂気を増幅させている。クリーントーンのアルペジオから不意に入るディストーションとビート、急降下を常に続ける様な音。Redsheerの中でも特にストレートな楽曲である「The End. Rise Above」の許しと救いを求めるメロディと叫びは、最早涙すら浮かびそうになるのに、でも心の奥底にある自分自身の狂気がそれを許さない様な、そんな気分で僕は聴いていた。ライブで聴くのは少し久々だった「In a Coma」もクリーントーン主体で進行しながらも、無尽蔵に突き刺す音しか無いし、最後にプレイした「Curse From Sad Spirit」はやはりRedsheerを象徴する一曲だと思う。もう他のバンドとRedsheerを比較する事も出来ないし、楽曲構成やビートこそ複雑ではあるけど決して難解な音を出している訳では無い。じゃあRedsheerとは何なのだろうか?それはまだまだ俺には分からない。でも五感で感じる彼等のライブは、肉体は勿論だけど精神に訴える物だ。最後の最後に小野里氏がベースを放棄し、ピンマイクで叫ぶ姿を観た時に、僕はまるで精神から全てを蝕む「何か」と戦っている様にも見えた。もしかしたら、自己の負の感情との戦いのドキュメントを音にし、ライブで放っているのがRedsheerなのかもしれない。その答えはまだ僕には分からない。でも一個だけ言えるのは今回のライブも凄まじいライブだったって事だ。

・Young Lizard
ライブを観るのは実に1年振り位になってはしまったけど、たった一年でとんでもないバンドに進化してしまっていた。ほぼ真っ暗になっているステージで繰り広げられていたには、最早完全に惨劇でレイプだったと思う。Young Lizardは単なるドゥームじゃないし、単なるハードコアでは無い。今回久々にライブを体感して実感したけどエクストリームミュージックの暴力その物でしか無いのだ。構成する音自体は極めてシンプルではあるし、ドゥームなリフをガンガン取り入れたハードコアであるんだけど、その音はヘビィでありヴァイオレンスであり続けているし、というかそれしかない。例えば中本の冷やし味噌は具がモヤシとバラ肉だけなんだけど、あの激辛激旨なスープと麺だけで全て成立させてしまっている。Young Lizardはそんなバンドなんだ。時には速いパートもあり、時には遅いパートもある。でも曲は決して長くないし、破壊的なリフとグルーブのみで全てを形成する。余計な小細工がそこには無いし、ただただシンプルに強いしおぞましい。ベクトルこそ勿論違うけどThe Donorのライブが有無を言わせない強さに溢れているのと同じで、彼らも有無を言わせない破壊的恐怖しかライブでは生み出さない。ギタボの人は何度もギター毎ステージにダイブしていたし、非常に破壊的でスリリングなパフォーマンスを見せていたけど、本当に一瞬で全てを殺し尽くしてしまっている様だった。そしてライブを終わった後は、何かもう色々凄いとしか思えなかった。Young Lizardはドゥームミーツハードコアじゃ絶対に片付けられない。本気で殺気だけを音にしてしまった悪夢だ。

・ZOTHIQUE
今回のZOTHIQUEは本当に凄まじいライブだったと思う。元々今年リリースした2ndで大化けを果たし、サイケデリックと
ドゥームの一番純粋で危険な音のみで構成された宇宙も時空も歪ませる音の世界を彼等は完全に手に入れているし、ライブは三週間振りとあんまり間を空けないで観た事にはなったけど、たった数週間で更に音を研ぎ澄ませまくっていた。2ndでもそうだったけど、あのキーボードはZOTHIQUEの核になる要素の一つであるし、ライブでも爆音で気が狂っているとしか思えないテンションでノイズと不協和音を垂れ流しまくりながら、それは右脳と左脳の両方が共存したノイズであり、本能的に放つ音ではあるけど、その音をバンドのサウンドにどう活かしていくかって点は非常に計算され尽くしていると個人的には思うし、非常に四次元的でもあるのだ。勿論根本のバンドの音も極悪。ドゥームリフとドゥームグルーブによるドス黒く蠢くヘビィ過ぎる音はシンプルではあるけど、岩石が落ちてくる様な重みと重力による無慈悲な破壊のサウンド。肉体と精神を粉々に粉砕する音が本当に凄い。そして後半はGOUMのkumi嬢が加わり2ndの「Hypnotic Kaleidoscope」をプレイ。一転してアコースティックなギターとノイズの中でkumi嬢が不穏な歌を聴かせる。そして最後の最後はGOUMでも聴かせている痛々しい叫びを全身全霊で繰り出し、そして下中氏と共に叫びを繰り出しまくり、キーボードもギターもドラムもベースもリミッターを完全に解除して全てを蝕む化物を音で生み出していた。ZOTHIQUEは単なるドゥームバンドじゃ無いし、kumi嬢を迎えたスペシャルなセットでも、本質にあるサイケデリックさとドゥームさを極めた極限の体験としてのライブは何もブレちゃいなかった。このバンドはもっともっととんでもないバンドになるだろう。

・DISGUNDER
ここまでの3バンドはそれぞれベクトルの違いこそあれど、3バンド全部地獄を生み出していた。でもDISGUNDERは違った。極悪なスラッシュグラインドから地獄のパーティを生み出していたのだ。最早グラインドアイドルとしても名高いDISGUNDERであるけど、このバンドは僕個人としてはグラインドというよりも、もっと根底にスラッシュメタルのロック的な格好良さがあると思う。それぞれのメンバーのキャリアだって凄いけど、そんな事すら全てゴチャゴチャにしながらも、爆音で爆走しまくっている。MCでは「今回唯一速いバンドですみません。」とかそんな感じの事を言っていたりしたけど、10曲程のライブの中で休む暇なんて全く無かった。メンバー全員がアグレッシブに暴れまくりながら超速フレーズを繰り出しまくり、時にはギターソロも繰り出し、アンナ嬢が叫び、爆音でもうよく分からなくなっているけど、とにかく速さを追求しまくったブラストとリフの混沌は全てを貫くし、バンドとしての力量は兎に角凄い。でもそんな極悪な音を放出しているんだけど、何処となく楽しさがメンバーそれぞれから伝わって来るし、速さを追求した音でいかに遊べるかってのをライブを観ている人に試している気もする。とにかくDISGUNDERのライブは楽しさに溢れてたし、それはフロアの人々の笑顔からも伝わってきた。

・Hexis
そして今回の主役であるHexisである。初日のFLATでの全てが想像の斜め上だったライブからツアーを経てどうなっていたか非常に楽しみであったけど。結論を言うとボーカルのフィリップはやっぱりアホだったって事だ。この日の自前のストロボを持ち込み、ストロボのみの照明によってハコを異空間に変え、そして完璧極まりないHexis印のブラッケンドハードコアを炸裂させる。FLATの時も思ったけど、このバンドの楽器隊の音には寸分の狂いすら無くて驚く。まるで音源をそのまま再生してるんじゃないかって疑いたくなるレベルで、音が高次元で再現されているのだ。シンバルハイハットの乱打によって時空を歪ませ、終わり無く暗黒トレモロリフを放出し、重低音が攻めまくる。やっぱり曲の細かい違いはライブだとそんなに分からなかったりするけど、徹底して無慈悲な音を放出し続けるスタイルはストイックでもあると思うし、でもやっぱり馬鹿だとも思う。そんな極限過ぎる音の中でフィリップ君はやっぱりフィリップ君だった。FLATの時に比べたらまだステージにちゃんといた時間は長かったけど、やっぱり早々にフロアにクラウドサーフをキメるし、客に絡むし、寧ろ何人かのサークルモッシュしていたお客さんと一緒にモッシュしていた始末。僕はHexisのライブを観に行った筈だったけど、やっぱりデカイデンマーク人を支える運動会になっていたし、フィリップ君はやたらご機嫌で無尽蔵に暴れまくっていた。FLATの時に比べたらフィリップ君のパフォーマンスのインパクトは少しだけ弱かったけど、この日初めてHexisを観た人にとってはFLATの時のフィリップ君のパフォーマンスについてネットとかで知っていたとしても衝撃だっただろうし、この日はよりファストに濃縮されたライブだったと思う。フィリップ君が「One More?」ってステージから掃けずにMCしてそのままアンコール入ったし、FLATの時以上にあっという間なライブだった。というかやっぱHexisってアホだわ。最高だ!!

そもそもHexis来日を抜きにしてこの日のブッシュバッシュは完全に伝説になるであろう面子だったし、実際にはとんでもない伝説の夜になったと思う。勿論Hexisのライブも最高だったけど、今回出演した国内バンド4バンドは正直全然Hexisに負けていなかったし、寧ろ喰い殺してしまいかねないライブをしていたと思う。国外国内問わずに、こうした暗黒エクストリームミュージックを奏でるバンドが共演し、殺り合い、共闘する事が出来るってのは本当に幸福な事だと思うし、きっとHexisのメンバーも日本のバンドが凄いって事を実感したと思う。こうしてブッシュバッシュ史上最凶であろう地獄の一夜は幕を閉じた。そして翌日のHexisジャパンツアーファイナルであるweepray企画へと続く。
■Could You Be Loved/HIMO

北新宿ハードコアを名乗る超強面ハードコアバンドであるHIMOの2014年リリースの3rdアルバム。リリースは自らのレーベルであるKITASHINJUKU RECORDSから。今作は全25曲で17分という相変わらずの超ショートカットチューンのみの内容であり、HIMO独自の超ショートなサウンドスタイルは相変わらず健在。しかしよりダークかつドープに研ぎ澄まされた音は更にとんでもない事になっている。
そもそもHIMOは既存のハードコアから完全に逸脱しているバンドである、超ショートな楽曲しかないにも関わらずファストさは全く無し、変則的なキメを多様しまくり、ドープなテンポで繰り出される音の暴力。ルーツとなる音が本当に解読不可能。ポストハードコアやアンビエントや果てはヒップホップの流れもあるとは思ったりもするけど、その消化された音は最早HIMOでしか無い音。世界中で他にHIMOみたいなバンドがいるかと問われたら僕は即刻「そんなんいねえ!!」と答えるだろう。しかも徹底したHIMOスタイルを貫きながらも、サウンドの要素は実に多彩であり続けるし、雑多過ぎる音の要素を持ちながらも、それをHIMOスタイルとして統率し、作品全体でカビと精液と泥臭い生々しさを持っているし、それは人間の精神を抉る音であり言葉だ。捲し立てるボーカルとポエトリーによるボーカルスタイル。殴る様なドラムとベースのビートの連続、アンビエントもカオティックも使いこなす空間的ギター。HIMOを構成する全ての要素がそもそもとしておかしいのだ。隙間だらけの音なのに、一発一発の音が暴力でしか無いし、強烈な密度と粘度と濃度を持つ。今作ではこれまでの作品以上に音が鋭利に鋭く録音されているのも大きいし、合間合間のインタールード的な楽曲も作品の中で大きな効果を持つ。より音楽性を膨張させ、アンビエントなギターの音が増えたりもしているし、よりサウンドに無駄な音が無くなっている。よりジャジーな旋律を楽曲に取り入れているし、時にはポストロック的なアプローチもあったりする。でも基軸はジャンクな顔ティックハードコアである事は変わらないし、より多くの要素をこれまで通りのショートな楽曲に詰め込む事によって、情報量が更に凄い事になっている。その音と言葉の情報量は1枚80分近くの大作志向の作品に並ぶだけの物であるけど、HIMOには余計な冗長さを必要としない。この圧倒的かつ膨大な音をHIMOなら17分で放出してしまう。
一曲一曲を細かく紹介するなんて最早野暮だとすら思う。今作は全25発のHIMOという暴力であり、ラブソングであるし、たった17分間の濃密過ぎるセックスでしかない。でもHIMOは決してリスナーを乱暴に犯したりはしない。異形過ぎる音でリスナーを完全に虜にして愛するのだ。地下室の匂いを充満させた音の連続の中で、際限無く繰り返される絶頂。無尽蔵に精神と肉体を今作の音は解き放ってくれる。それをどう受け止めるかは人ぞれぞれであるが、HIMOは誰しも平等にHIMoサウンドをぶっかけるだけだ。だから最高にドープでイルで格好良いし、これこそが北新宿ハードコアだ。
■LongLegsLongArms presents「HEXIS JAPAN TOUR 2014」(2014年11月14日)@西荻窪FLAT
そしてこの日はHexisのジャパンツアー一発目となる西荻窪FLATでの公演。東京公演は小岩とweepray企画の国分寺も含めて計3本であるけど、ツアー一発目は、水谷氏・塚本純氏・DETRYTUS亀井氏という二郎狂いの猛者によるスーパーバンドtwolow、国産激情の最高峰バンドの一つであるkillie、そしてHexisという最強メンツの3マンとなった。金曜のライブにも関わらずチケットはソールドアウトだったし、本当に多くのフリークスがHexisというバンドに注目しているってのは間違いない事実であろう。そしていよいよ3LAの新たな一歩であり、確実に伝説になるであろうHexisのジャパンツアーが始まった!!
・towlow
約10分程押して先ずはtowlowのライブからキックオフ。最初に水谷氏がMCでこの日足を運んだ人々への感謝の言葉を述べ、そして「Hexisが果たして本物なのか、それとも違うのか、その目で確かめて欲しい。」という旨を話し、ライブはスタート。全5曲のセットであったけど、しかしたった3人で生み出すグルーブの快楽が本当に凄い。前にライブを観た時も思ったけど、塚本&亀井のリズム隊ぬグルーブは他のバンドを圧倒する物だし、水谷氏のカオティック成分を持ちながらも、あくまでもひたすらリフを刻みまくるギターはそんなグルーブとガッツリハマり、更にグルーブを増幅させる。古き良きヘビィネスだったりとか、オルタナティブな成分を持ちながらも、リフが持つ音階はダークだし、水谷氏のボーカルも前にライブで観た時よりも冴えていたし、熱とダークさの両方を感じる叫びは熱い。楽曲構成もかなり複雑で入り組んでいるし、こうした方法論はポストメタル的でもあるんだけど、もっとシンプルなリフとグルーブによるダークでありながらも、クールで渋くて格好良い音に帰結させているし、その着地点は実にシンプルなんじゃないかとも思ったりもした。何にせよ、このバンドが持つヘビィなグルーブはかなりの物だし、初ライブからまだ二ヶ月も経ってないけど、既に確かな貫禄が存在していた。
・killie
国内激情最高峰として名高いkillieだけど、この日のセットは完全に殺しに来ていた。「エコロジーを壊せ!」、「体脂肪と戦う」、「先入観を考える」、「落書きされた放置死体」の全4曲で、ライブ自体は20分弱とかではあったけど、killieというその瞬間のカタルシスを乱打しまくる惨劇のドキュメントの中でも特に攻撃的で尖がりまくった曲しかプレイしていなかったし、ライブ自体は本当に一瞬だったと思う。「エコロジーを壊せ!」なんて結構長尺の楽曲にも関わらず、激の中で見事なまでの起承転結があり、そして冗長に感じる箇所なんて全く無い。いつも以上に音がノイジーに炸裂しまくっていたのも大きいし、あまりにも爆音過ぎてFLATの床が振動していたレベルだった。killieというバンドの大きな魅力である、瞬きすら許さない音とグルーブが生み出す混沌の連続という点が、この日は特に際立っていたし、killieというバンドを構成するダークで血塗れな言葉、リフ、ビート、それぞれが主張しまくりながらぶつかり合っていたし、特に「先入観を考える」というkillie最強の一曲は本当に一瞬に感じた。以前観たkillieのライブで伊藤氏が「その瞬間を楽しめ」なんて言ってたけど、killieってバンドは本当にそんなバンドだし、毎回ラストを締める「落書きされた放置死体」の2分未満で蠢くジェットコースターカオティックサウンドは毎回圧巻。twolowがリフで攻めながらも聴かせるサウンドなら、killieは全てが歪に歪みまくったままの強靭なる音を爆破させまくる悪鬼であり、だからこそkillieは最高のバンドなのだ。
・Hexis
そしていよいよHexisの全貌が明らかになる瞬間が訪れた。ステージのバックにストロボを設置し、照明は完全に消え、ストロボのみの照明でライブをするってスタイルが何ともCeleste感あってワクワクしたりしたんだけど、いざライブが始まったらもう全てが想像の斜め上にあった。なんというか一言で言うとアホ過ぎるし頭悪過ぎる。そりゃバンドの音自体はブラックメタル・ドゥームを飲み込んで、更にドス黒く染められた暗黒サウンドだし、音源で聴かせていた邪悪なる濁流はライブでも見事に再現されていた。ぶっちゃけ曲の細かい違いとかは爆音極悪ブラッケンドサウンドの前じゃあんまり分からなかったりもしたけど、二本のギターが生み出すドス黒いトレモロの応酬、ベースが繰り出す凄まじい重低音、安定感がありながらも、凄まじいドラム。音源でのサウンドを見事に再現していたし、ストロボのみの点滅のの中で繰り出されるサウンドは極限過ぎて、とんでもない異次元感しか無かった。いや音だけでも十分過ぎる位に凄かったけど、それだけじゃ無かった。とにかくボーカルのフィリップ君のパフォーマンスが凄くアホ丸出しだったのだ。フィリップ君はライブ始まって早々にフロアにダイブしてサーフしていたし、もうなんつうか馬鹿丸出しだった。ボーカルをカッチリやってないし、とにかく叫びまくっている。ステージに戻ったとしても直ぐにフロアに飛び出す、何度もサーフして客にずっと持ち上げられている、客に抱きついたらマイク向けたり、時には客の色々な人間がマイクを通して叫んでいたり、ストロボの点滅のみのフロアは完全に異質過ぎる空間になっていた。ライブ自体はアンコール含めて40分近くはやっていたかもしれないけど、フィリップ君がちゃんとステージにいたのって5分にも満たなかったと思うし、常に持ち上げられているか、フロアを所狭しと徘徊しているか、客に絡みまくっているか、なんというか完全にMilkcowのツルさんに通じるパフォーマンス。ちょこちょこMCはしたいたけど、デンマーク語だから殆ど何を言っているか分からなかったけど、もしかしたらフィリップ君はMCで「俺たちが日本のtwolowだ!!」なんてツルさんみたいなMCをデンマーク語でしてたんじゃねえかって錯覚してしまっていたし、Hexisというバンドに対するイメージは良い意味で完全に破壊された。音だったり、アートワークだったり、MVだったりで見せていたいかにもブラッケンドの世界観はそこには無くて、音こそ音源完全再現の全てを崩壊させる黒の濁流だったけど、そのパフォーマンスは最高にハードコアパンクのそれだったし、海外のMilkcowはデンマークにいたって本気で思ったし、もうMilkcowが冬眠してなかったら、今回のツアーで対バンして欲しかったし、ツルさんに「俺たちがデンマークから来たHexisだ!!」ってMCして欲しかった。もう一度言うけどフィリップ君は完全にアホを極めていた。敢えて言おう最高だろ!!!!!
こうしてHexisジャパンツアー一発目は全てが観る人々の想像を遥かに超えたライブで終わった。もうHexisのライブが最高に楽しかったし、あんな暗黒サウンドであるにも関わらず、異常な緊張感と楽しさが同居するライブをしてくれるなんても思って無かった。もしかしたらFLATというステージとフロアの垣根が無いハコだったからこそのパフォーマンスだったのかもしれないし、もしかしたらその日はフィリップ君のテンションが凄く高かったのかもしれないし、そこは俺には分からないけど、ブラッケンドから生まれる異常さと楽しさって点は本当に想像外でしか無かったし、最高のライブを頭から見せてくれた。勿論towlowとkillieのライブも最高だったし、こうしてHexisジャパンツアーは最高の形で始まったのだ。
Hexisはまだまだツアーがあるし、11/23の名古屋まで各地でライブをする。東京公演もまだ二本残っているし、本当に少しでも時間がある人は、どこか行ける公演に足を運んでHexisのライブを体験して欲しい。サポートする国内バンドもどれも素晴らしいし、僕は既に残りのツアーも全部伝説のライブになるんじゃないかって思うんだ。水谷さんも言ってたけど、Hexisが本物かそうじゃないかは、自分自身で見極めて欲しいけど、でも観ないで後悔だけは本当にしないで欲しい。僕自身も残りの東京二公演は足を運ぶし、そちらもレポを書かせて頂くつもりだ。何にせよ確実に伝説として語り継がれるであろうジャパンツアーはまだ始まったばかりだ。
■ZOTHIQUE/ZOTHIQUE

今年はDRAGGED INTO SUNLIGHTの来日ツアーのサポートも努めたZOTHIQUEであるが、前作からたった一年という、この手のバンドじゃ随分と短いスパンで新作をリリース。今作は2014年リリースの2ndアルバムであり、今作は現在の新編成でレコーディングされているけど、前作よりも更にサイケデリックな成分が増幅し、更には音の破壊力も強化され、更にはZOTHIQUEが単なるドゥーム・スラッジを超えて自らにしか鳴らせない音を手に入れた傑作だ。
今作は3曲30分というより大作志向の作品に仕上がっており、JAH EXCRETIONをベーシスト兼ノイズ担当としてメンバーに迎えて製作されたらしいけど、前作ではサイケデリック成分を持ちながらも、あくまでもハードコア経過型のドゥームとしての破壊力を尊重し、サイケデリックなシンセの音をあくまでもアクセントに使い、ヘビィなグルーブとリフの破壊力を前面に押し出していたけど、今作では完全にサイケデリックな成分をここぞとばかりに出しまくっている。大作志向になった事によって、バンド名からも分かる通りクトュルフ神話の世界観に影響を受けているだろう禍々しいサウンドもより際立ち、電子音と爆音のバンドサウンドが織り成す異次元サウンドはとてつもない進化を遂げた。
いきなり這い寄る混沌なベースとシンセの電子音が異様な空気を生み出し、錯綜しまくるサイケデリックなシンセの音と、引き摺りまくったビートとリフによるグルーブに悶絶必至の第1曲「The Shadow Of Linxia」から今作の異様さが伺える。殆ど推進力を無くし、ドロドロと脳髄を掻き回す重低音と電子音の異常過ぎるセックス。簡単には絶頂させずに、訳の分からない焦らし方を聴き手にしかけまくり、でもギターリフとボーカルは見事に巨根絶倫だし、それでねっとりと攻めていく。前作でもそうだったけど、ZOTHIQUEというバンドはバンド自体の音の破壊力がそもそも凄いし、今作でのより混沌を極めるノイズと電子音の数々は、低域を攻めまくるバンドサウンド、高域を犯し尽くすシンセという二つの方面からの蹂躙っぷり、しかし終盤になると一気にBPMを速くして、前作でも見せていた激ヘビィなハードコアサウンドで高速抜き差し、でもよりノイズが混沌を極めているし、とてつもなく強いリフとビートが暴走しまくり、所構わずに犯しまくる。こうしたハードコアな格好良さこそZOTHIQUEの魅力だとは思うけど、それがより禍々しさを手に入れているし、本当に全部の音が精液を撒き散らしまくりながら全てをグチャグチャに壊していく。
個人的に驚いたのは第2曲「Hypnotic Kaleidoscope」だ。まるでCorruptedの「月光の大地」を思わせるアコギの荒涼とした物悲しい旋律と、裏で揺らめくノイズ。ディストーションギターに頼らなくても今のZOTHIQUEは根本として重い音を鳴らせるバンドになっているし、そして女性ボーカルの謎の歌が聞こえてくる。ギターの音色が歌に合わせて牧歌的になっているし、恐らく元々あった楽曲を歌っているのか、それとも普通にオリジナルの曲なのか、そもそもサンプリングしているのか、それは分からないけど(そもそも今作には何のクレジットも無い)、アコギの調べが終わり、静かに余韻が続いていたと思ったら、全てを切り裂くヒステリックな叫びが幾重にも響き渡り、そして非常階段かよってレベルのノイズと終わり無く叩きつけられるドゥーミーなリフの応酬。まるで、ほんの微かな救いすら絶望で犯してしまう様な、そんな凄さを個人的に感じた。そして最終曲「Amoy」は正に現在のZOTHIQUEの真骨頂。全盛期Electric Wizardに匹敵するうんじゃねえかってレベルの漆黒で、凄まじく重くて、酩酊しまくっている音しか無いし、バンドの音自体は非常にシンプルだったりするにも関わらず、狂騒の電子音が、そんな漆黒の音を更に精液で塗りたくる。終盤のシンセソロ(?)は今作を象徴する圧巻の物であり、終わり無くシンセがぶっ壊れた音を放出しまくり、最後の最後は全てが形を失い、単なるノイズの塊となってしまっている。
バンドの方向性をより明確にし大胆に変化させた今作だが、その決断は大正解だったと言えるだろう。前作も凄まじい作品ではあったけど、よりドロドロと蠢く音は唯一無二の領域に達しているし、サイケデリックドゥームとしか言えない混沌を生み出している。何よりも今作の音は不協和音ばかりなのに、凄まじくトリップ出来るのだ。その酩酊の果ての果てにある絶頂感覚は素晴らしいし、ドゥームとかハードコアとかノイズって枠組みに収まらない得体の知れなさをZOTHIQUEはこれからも生み出していくのだろう。今作も見事な傑作。
■The Last Dawn/mono
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日本が世界に誇る轟音ポストロック4人組であるmonoの2年振りの2014年リリースの最新作は、「明」と「暗」をテーマにした2枚同時リリースとなり、2枚で2つの世界を描き、それぞれのベクトルでmonoは極限世界を描いているのだけど、今作は「明」をテーマにして作品となっており、ここ最近のオーケストラとのコラボでは無く、再び4人の音に回帰した作品にはなっているけど、闇から光を描く今作は恐らく多くの人がイメージするmonoその物な音が存在し、シリアスでありながらも、闇の世界を切り裂く光を轟音で描き、全6曲に渡って新たなる夜明けの物語を描く。
今回の2枚同時リリースとなる最新作は、monoの原点を見直しながらも、そこに回帰するのでは無く、それをより進化した最新のmonoのサウンドで描くといった物になっているし、今作では過去のmonoの作品も、ここ最近のmonoの作品の感触や空気感を確かに受け継ぎながらも、それをネクストレベルに更新する事に成功している。「明」をテーマにしながらも、monoが安易な光を描く訳が無いし、monoが持つシリアスな緊張感を充満させながらストーリーを描くソングライティングの世界は今作で更に研ぎ澄まされていると言える。そして作品全体で紡がれる物語は、最早オーケストラ抜きでも圧巻のスケールなのだ!!
もうこれ以上に無くmonoらしいと言える第1曲「The Land Between Tides & Glory」から今作は幕開けなのだが、序盤の静謐なパートは「明」をテーマにした今作の中でも物悲しさに溢れた2本のギターによって紡がれる。チェロの重々しい音色とアルペジオとトレモロによる三重奏に、徐々にビートが入り込み、静謐さから次第に躍動の音色を見せ、この悲しみに満ちた世界を少しずつ崩壊させんとするアンサンブルは漆黒のキャンパスを徐々に白が侵食して染めていく様な感覚を覚えるし、深みと壮絶さに満ち溢れたトレモロとmonoお得意のマーチングの様なビートが物語を加速させまくり、次第に世界は白銀の轟音で塗り潰されていく。そして轟音パートの後にピアノとヴァイオリンの織り成すエンドロールは、悲しき世界へのある種のレクイエムであり、そして新たな始まりの宣告でもある。非常にmonoらしい楽曲でありながらも、これまで以上に研ぎ澄まされた世界観は非常に感動的。
そして第2曲からはmonoによる光の物語が続く。第2曲「Kanata」はドラマ「かなたの子」に提供した楽曲であり、まるでAnathemaの様なピアノのフレーズが楽曲を次第に色彩で染めていき、闇の底から光へと手を伸ばす。叙情性溢れる音色、壮絶な轟音とはまた違う、トレモロが時に叫びを上げながらも、ピアノの美しき音色が奏でる心を豊かにしていく一編の壮大な叙情詩だ。約6分半程とmonoにしては短めの尺でありながらも、美しいアルペジオから世界を祝福する轟音のシャワーへと雪崩込み、全てを解き放つ第3曲「Cyclone」、monoが持つ映画的世界観をより明確に進化させ、エヴァーグリーンな空気と共に、湖畔で静かに夜明けを見つめている様な情景がスっと思い浮かんでしまい、ピアノとヴァイオリンとギターが交錯し織り成す音色の美しさに惚れ惚れしてしまう第4曲「Elysian Castles」も素晴らしいけど、第5曲「Where We Begin」のmono史上最もポジティブなメロディを持ち、ラスト2分の轟音パートはまるで賛美歌の様でもあり、明確な強度で終わりに対して絶対のNOを叩きつけている様なカタルシスに溢れ、肉体と精神が別次元へと解放される感覚が最高にグレイトだし、世界の全てを肯定する様な光のクライマックスは本当にmonoという神に選ばれし4人の奏者による闇に飲まれた人間共に対する救済だ。エンディングの最終曲「The Last Dawn」は本当に映画のエンドロールの様な感覚で紡がれ、同時に、特にクリーンでありながらも確かな歪みや鉄の感触を感じるギターの音色が印象に残る。そして最後はまた新たな始まりをたおやかに描き、今作という光の物語を総括する。
「暗」をテーマにした「Rays Of Darkness」とは完全に真逆のベクトルの作品であるし、ここ最近のmonoが持つ世界観をより明確に具現化した作品だと言える。monoが持つ映画的ソングライティングセンスの凄みと、アンサンブルの壮大さ、本当に轟音系という音楽が世に溢れまくっている昨今だけど、monoは常に別格の存在である続けているし、今作に溢れる美しき音色を数々は僕たちの穢れた魂を浄化してくれる。そして今作を聴き終えた後に僕は思った。monoってやっぱ凄いと。
■Rays of Darkness/mono
![]() | Rays of Darkness (2014/11/05) MONO 商品詳細を見る |
今や日本が世界に誇るバンドだと思うし、日本のバンドの中でも特に世界で評価されているであろう轟音系インストバンドであるmonoの2年振りの2014年リリースの最新作はまさかの2枚同時リリースだ。ここ最近の作品はオーケストラとのコラボレーションによる作風であったし、それもとんでもなく絶賛されたけど、今回の新作は再び4人でのバンドサウンドに回帰し、そして「明」と「暗」をテーマにmonoが描く情景の極限世界をそれぞれ描いている。今作はタイトル通り「暗」をテーマにして作品で、mono史上最もダークであり、漆黒の轟音渦巻く全4曲となっている。
ここ最近のmonoは壮大なスケールでシリアスでありながらも闇に差し込む光を映画的な世界観で描き、重さこそあれど、その先に確かな光を生み出していたし、そこには至福の音色があった。でも今作では救いなんて全く無い。第1曲以外は比較的尺はこれまでのmonoに比べたら短めの曲が収録されてはいるけど、そこに救いは全く無い。盤が進む程に黒で黒を塗り潰す様な、精神的な痛みを音で体現する作品になっている。初期のmonoは確かにダークなシリアスさもかなりあったし、こうした路線の作風は決して予想外って訳では無いけど、でも初期の作品と比べても明らかにダークサイドに振り切っている作風になっているし、それを現在のmonoの表現力で描いているのだから、過去の作品と比べても明らかに説得力とスケールが違う。
静謐なアルペジオに引率されて始まる第1曲「Recoil, Ignite」から先ず空気がこれまでの作品と格段に違う。ミドルテンポのビートにすら重みがあるし、アルペジオとトレモロリフの2本のギターが織り成す音色は、鋭利な刃の様に牙を剥いているし、徐々に熱量とスケールを高めていく展開はmonoのお家芸とも言える物であるけど、よりダイナミックなカタルシスと重みを音から感じるし、轟音による破壊力はこれまでの楽曲の中でも屈指の出来になっているだろう。特に後半からの轟音スケープが渦巻くサウンドの寒々しさは凄まじく、ディストーションギターが悲鳴を上げ、ビートが叫び狂い、ノイズにこの世の悲哀の全てを詰め込み、聴き手の心を握り潰していく。終盤はまるでこの世を飲み込む洪水の様な悲劇的な結末を体現する轟音ノイズの嵐だし、そのカタルシスには救いは全く無い。monoのこれまでの強靭なる轟音組曲の数々すら無二還してしまうであろう名曲だし、ただ沈んでいくだけだ。
第2曲「Surrender」では幽玄のサウンドスケープが織り成す美しい音色に惚れ惚れしてしまうけど、推進力をかなり放棄しているグルーブの重みと、終わり無く降り注ぐトレモロとゲストであるJacob Valenzuelaのトランペットの調べが溶け合い、精神世界の螺旋階段を終わりなく上り続けているのか、ただ下り続けているのか、それすらも分からなくなってしまいそうな迷宮っぷり。轟音カタルシスこそ無いけど、個人的にThe Kilimanjaro Darkjazz Ensembleが描くダークジャズな世界観と同じ物を感じた。第3曲「The Hands That Holds The Truth」に至っては最早ポストブラックメタルの領域に達しているサウンドだし、mono特有のドラマティックな表現力を存分に生かした前半のクリーントーンのギターの調べの前振りからラスト2分半のポストブラック化したサウンドに乗るのは、あのEnvyの深川哲也氏のボーカルだ、これまでになくドラムの音も荒れ狂い、轟音ギターもmono史上最も攻撃的に狂い記し、深川氏のボーカルと共にダークなエモーションを放ち、漆黒の業火として全てを焼き尽くす。そして最終曲「The Last Rays」は約6分半に及ぶ暗黒ドローンであり、ノイズのみで描かれる荒涼とした情景は完全に無を描き、これまでのmonoのイメージを完全に裏切る美しさすら放棄したノイズの洪水。そこには何の救いも無いし、心を真っ暗に塗り潰されたまま終わる。
全4曲に渡り、それぞれが全く違うベクトルの楽曲でありながらも、確かな繋がりを感じるし、作品の中で明確なストーリーを生み出すのは正にmonoとも言うべき手腕ではあるけど、今作はまるで残酷過ぎる大量虐殺映像のBGMなんじゃねえかって救いの無さだし、今作から聴き手はまたそれぞれストーリーを想起するんだと思うけど、でも今作の音に光を感じる人は決していないだろう。monoというバンドが持つシリアスさを究極レベルまで高めた末に描く轟音による奈落、その世界は酷く残酷だけど、それでも美しい。
■ELEVATION DEPTH/deepslauter
![]() | ELEVATION DEPTH (2014/11/05) DEEPSLAUTER 商品詳細を見る |
千葉県柏市が日本、いや世界に誇るハードコアバンドであるdeepslauter。キチガイとしか言えない本数のライブをこなしまくり、活動当初から知名度を上げまくり、今や日本のハードコアじゃ知らない人の方が少ない位の存在になったと思うけど、今作は2014年リリースの実に8年振りの3rdアルバムだ。TialaとShitとの3Wayスプリットや、kamomekamomeとFUCK YOU HEROESとの3wayスプリットの参加はあったし、そこに収録されている新曲は正に宇宙すら手に入れてしまいかねないハードコアが炸裂していたが、やっとリリースされた3rdは、更にロックに、更にキャッチーに、更にハードコアに、更に顔ティックに、そして更に楽しく。最高の爆裂パーティサウンドしかない全15曲24分の未知への招待状だ。
そもそもdeepslauterというバンドは、日本国内のハードコアの中でもかなり異端児だと僕は思っていたし、そのカラっと乾いた陽性のポップネスを混沌と狂騒でミックスしまくり、大半の曲が1分台というショートカットさの中に、膨大な情報量を埋め込み、正に柏市発宇宙行きなサウンドを展開していた。国内ハードコアよりも、海外のファストコアやカオティックハードコアんお影響を強く感じさせる音は、LOCUSTやThe Blood Brothersといった海外カオティックの異端児たちのそれと完全にシンクロしていたと思う。前作2ndやそれ以降のスプリットやオムニバスの楽曲はキャッチーでありながらも、脳天を吹き飛ばす奇天烈サウンドの連続による混沌であったけど、今作はそんな混沌はそのままに、よりロックでパンクでハードコアでキャッチーな作品になった。
先行公開されていた第1曲「RIP OFF」にて今作の凄さは分かるだろう。のっけからドラムの乱打で始まりながらも、ギターフレーズがこれまで以上にキャッチーになり、更にコーラスワークが格段に増え、しかし楽曲の展開はより奇天烈になり、しかしソリッドに高まっていく音は常に必殺であり続けている。この何とも言えないパーティ感はdeepslauterの大きな武器であったけど、それがこれまでの作品よりも進化し、混沌はそのままに、より間口が広く多くの人々を巻き込めるだけの物になっているのだ。第2曲「since then」もよりロッキンになったサウンドが展開され、リフの一つ一つがシンプルな格好良さを持っているのだけど、それを壊さない程度に分解し、ハイボルテージさだけで突き抜けまくっている。またビートの部分もより進化していると言えるし、彼等の持ち味である必殺のキメの数々はより研ぎ澄まされている。
しかし全編通して音のレンジの広さを感じさせながらも、爆裂っぷりは相変わらず過ぎる。彼らなりのメロコア調のアンセムであろう第3曲「Extraordinary」、スプリットに収録されている楽曲の流れを汲みながら、より宇宙へとぶっ飛ぶ激顔ティック脳天直撃サウンドである第5曲「Bombay」、変則ビートとうねるベースが印象的な第7曲「The Best Shower in My Life」、超光速ビートと共に天へと上り詰める第9曲「REACTANCE」、フリーキーなビートが引率する第12曲「FADE IN FUNK」、激情を最高にキャッチーに放つ第14曲「I'm here」とそれぞれの楽曲で多彩なアイデアを盛り込んでいたりもするけど、それらを全てdeepslauter印のサウンドに帰結させているし、よりオーソドックスなハードコアといった感触と、他に存在しないカオティックという両方の側面を両立させている。何よりも格段に増えまくったコーラスワークが激熱だし、ハードコアの楽しさを全身全霊で体現しているのは最高だ。最終曲「フィラデルフィア」は空間的なギターがトランスへと導きながら、最後の最後は狂騒のままに宇宙から柏市へと急降下する感じだし、こういった振れ幅を常にハイテンションで発揮しているからこそのdeepslauterなんだと思う。
実に8年振りのアルバムになった訳だけど、deepslauterだけが持つ事を許された狂騒は相変わらず健在であるし、より多くの人々を巻き込むパーティ感と楽しさがより際立った作品になった。30分未満で圧倒的情報量を休み無く繰り出し、最高にハッピーな興奮材料としての音は非常に危険でありながらも、最高にピースフルでもある。だからこそdeepslauterは無敵のハードコアヒーローであり続けているのだ。
■TOUR 2014 ”Dubbing 07″ 記憶の旅(2014年11月9日)@東京キネマ倶楽部
・world's end girlfriend
音源ではずっと聴いてはいたけど、ライブは観るのが初めてなweg。今回のライブは、チェロやヴァイオリンを含めた生バンドでの編成でのライブで、さて音源での世界観をどう表現するかと楽しみではあったけど、これがもう桁違いの凄さだった。僕自身がライブでwegを観るのが初めてだったというのもあるけど、wegは正にライブバンドという形容が相応しいライブをしていたと思う。セット自体は未発表の曲も、初期の曲もやっていたけど、一時間近いセットの中で圧巻の世界観を生み出していたと思う。weg自体が映画音楽とも関わっているのもあるのかもしれないけど、wegのライブは一本の映画を観ている様な重みを感じさせる物であったし、VJも含めて世界観を体現するのがとんでもなく上手いと思ったりした。音源での世界観を守りながらも、音源とはまた違う世界観を生み出し、言うならば血生臭さを音から感じるのだ。チェロやバイオリンだけになる静謐なパートはじっくりと聴き手を陶酔させながらも、音源と全く違うアレンジを施された音は、肉体的な快楽も間違いなくあった。オルガンの音がメロディを引率しながらも、時にはディストーションが炸裂しまくる轟音ギターを繰り出し、静謐なビートを繊細にドラムが叩いていると思ったら、2ビートまで繰り出し、怒涛のビートが他の音と共に酩酊の坩堝を生み出していたりもする。それぞれの音が明確に分離したアンサンブルはどちらかというとハイファイさが際立っている音にはなっていたけど、圧倒的な情報量を誇る音が入り込み、同時に明確な起承転結を丁寧に描きながらも、それを時には爆音で破壊していたし、構築と破壊のドキュメントとしてwegのライブは存在していたと思う。ある意味では厨二病的な世界観を持つwegではあるけど、その感情的な異質さは音に現れていたし、一時間が本当にあっという間に感じた。単にポストロックやエレクトロニカの文脈ではwegは語れないし、音のヘビィさも、精神的ヘビィさも同時に生み出し、それをしっかりと調理して食わせてくれたのだ。濃厚過ぎる一時間は非常に感動的だったし、wegの底知れなさを体感するには十分過ぎた。
・あらかじめ決められた恋人たちへ
約30分程の転換を終えて、本日の主役であるあら恋のライブへ。あら恋自体は音源も聴いていたし、ライブも何度か観てはいたけど、ライブを観るのは実に5年振り位だったし、その時に比べるとあら恋自身が本当に大きな存在になったと思うけど、ライブの方もそんなバンドの進化を実感させられるライブだったと思う。5年前に観た時よりも明らかにバンドとしても大きさが桁違いになっていたし、爆音でありながら哀愁を生み出すネクストレベルのダブ・エレクトロニカは唯一無二の物になっていたと思う。先ずはのっけから新曲でキックオフだったけど、今のあら恋には客が曲を知っているとか知らないとかは完全に関係無くなってしまっている。続く「カナタ」という必殺の一曲で、キネマ倶楽部はのっけからダンスホールになってしまっていたし、バンドメンバー全員が卓越しまくった演奏技術を持ち、ギター・ベース・ドラム・テルミンという異質な編成にも、異常なまでの普遍性を感じるし、とにかく観る物を興奮に陥れ、踊らせまくる音を繰り出すのだ。ダブを基軸にしながらも、よりグルーブを踊れる方向へとシフトさせたあら恋のバンドサウンドは、グルーブと哀愁の衝突地点にある「何か」をライブで体現しているし、その狭間にある感情と肉体の交錯こそが、あら恋が持つ大きな魅力の一つだと僕は思ったりもする。コンポーザーでありトラックメイカーであり、鍵盤ハーモニカを担当する池永氏のパフォーマンスも、とにかくとんでも無いパッションに溢れまくっていて、鍵盤ハーモニカの音色で、あら恋独自の哀愁を決定付けながらも、鍵盤を吹かないパートでは頭を振りながら暴れ狂い、その音に全身を任せまくっているのも印象深かった。
去年リリースされた最新作と新曲中心の前半は、とにかく踊れる音を繰り出しまくっていたけど、後半のセットになると、その中でもより哀愁を聴かせる音が増えていく。特に「キオク」での漂う哀愁には、ただひたすらに身を任せてしまいたくなったし、爆音のサウンドスケープでインストの音楽性にも関わらず、一つのエモーションを壮大に表現するサウンドに、完全に心を奪われてしまう。「Back」もグルーブ自体は踊れる音になっているにも関わらず、ピアニカとテルミンの音が導く、狭間の悲哀には心を揺さぶられたし、バックで流れているMVのVJもまた良い味を出していたと思う。そして「前日」での崩壊しそうな感情の洪水から、吉野氏が登場し、吉野氏がビールを飲みながらのポエトリーから始まった「Fly」がこの日のハイライトになったと思う。もう何ていうか、吉野寿という男が言葉を加え、歌い叫ぶ瞬間ばかりは、あら恋の音が完全にイースタンになっていたし、あら恋メンバーは完全に吉野氏のバックバンドになっていたと思う。ポエトリーから歌、そしてイースタンでもお馴染みの激情の叫び。あら恋の音が完全にあら恋のままエモに振り切ったドラマティックな音に変貌し、そしてラストの吉野氏の叫びと共にシンクロして、叫びを上げるバンドサウンド。もう最高に感情を揺さぶられたし、涙が何度も溢れそうになってしまった。そして更に決定打はアンコールでプレイした「翌日」だと思う。15分以上に渡る壮大なるサウンドスケープが生み出す、言葉を用いいないエモーションの完成形は、ダブだとかエレクトロニカとかを抜きにして、感情に訴える音のみで描く一つのドラマであるし、この音の波が永遠に終わらないで欲しいと心の底から願うしか無くなった。久しくライブを観ていなかったけど、本当にライブを観ない間に全然違うバンドになっていたし、元々はソロユニットとして始まったあら恋が、完全にバンドとして一つの成熟を迎えている事を実感させられた一時間半だった。
セットリスト
1.新曲
2.カナタ
3.Res
4.Going
5.ヘヴン
6.新曲
7.キオク
8.back
9.前日
10.Fly
en.翌日
僕個人としては、普段行くライブとはベクトルの違うライブであったし、ハコも客層もアウェイな場所ではあったりもしたけど、そんな人間ですら引き込むだけの力が今のあら恋にはあったし、ゲストのwegも日本のエレクトロニカ・ポストロックの第一人者としての貫禄を見せつける圧巻のライブをしていた。本当に濃厚極まりない2マンであったと思うし、国内で確かな実力とキャリアを持つ二者だからこそ生まれた特別な夜だったと思う。
■Jidou/カイモクジショウ

本当に凄いバンドになったと思う。ベースレス女性ボーカル3ピースヘビィロックバンドであるカイモクジショウはいよいよ待望の1stアルバムをドロップ。90年代から続くヘビィロックの系譜にありながら、ヘビィロックバンドが持つべき武器の全てを持ち、ボーカル・ギター・ドラムだけで全てを塗り潰す音を放つカイモクの1stは実に600日にも及ぶ長い時間をかけて製作されただけあって、本当に渾身の一枚になったし、1stにして最高傑作とも呼べる作品になった。これまでの音源でも、その凄さは実感していたけど、日本のヘビィロックを完全に更新してしまっているし、言ってしまえばモダンヘビィネスとかヘビィなグランジの怨念と亡霊を全て憑依させてしまっているのだ。
ベースレスという編成自体も別にもう珍しくもない、女性ボーカルのバンドだって掃いて捨てる程にいる。しかしカイモクジショウというバンドは何でカイモクジショウにしか生み出せない音を鳴らすのか?簡単だ、全て必然だからだ。本来僕個人は、ベースレスの格好良いバンドは、その音が良ければ良い程に「でもベースいたらもっと良くなるし最高なのになあ。」なんて事を思ったりする(特にNoLAに対してはそれを本当に思う)。でもカイモクに対してはそれが無い。それはカイモクはベースが最早必要ないんじゃないかって奇跡のバランスを3人が生み出しているし、他の音が入り込む余地が最早無いのだ。しかもベースレスのバンドの弱点となってしまう「ベース特有の重低音によるグルーブ」の弱さだったり、「低域の音圧」の弱さといった部分をカイモクには感じない。それも簡単だ、ギターとドラムだけで十分過ぎる位のグルーブを生み出しているし、高橋氏のギターはベース的な役割も見事に果たしているし、3人で生み出す音には隙間が無いからだ。カイモクジショウという箱に3人の声と音が見事にピッタリ入っているし、余計な不純物はそこには無い。
カイモクの凄さは正にそのバランス感覚だと言う事をタイトル通り証明する実質アルバムのオープニングである第2曲「BALANCE」が先ず凄まじい。カオティックなフレーズから始まり、上田氏のタイトでストイック極まりないドラムがバンドの音を引率し、高橋氏のギターは高域も低域も、クリーントーンも歪みも、ヘビィネスも全て引き受けて音を変化させ続けていく。そしてカイモクのアイコンとも言えるボーカルの西田嬢の怨念と深みのあるクリーントーンのボーカル、時にはシャウトも使いながらも、完全に何かに取り憑かれている。また単にヘビィロックなリフだけじゃ無く、クリーントーンで混沌を生み出す変則的かつテクニカルなフレーズも、グランジ感覚溢れるリフも、全てが必然だ。今作のリードトラックになっている第3曲「BUSKET」は正に「本質的な意味でのポストグランジ」だと僕は思う。ミドルテンポのグルーブ、まるでアリチェンの様な引き摺る音とダークネスの坩堝、押しも引きも絶妙に使い、寓話的世界観を音と歌で描き、ヘビィロックが持つ退廃的美学を若手最強クラスの技術と表現力で描いている。終盤の情念が加速しまくり、ヘビィなリフとタイトなドラムの応酬と儀式めいた西田嬢のボーカルが生み出すカタルシスはもうグレイト!!の一言だ。
勿論、他の楽曲も完成度が素晴らしいし、今作には一曲も単なるヘビィロックは存在しない。捲し立てるシャウトから始まりながらも、メロウなメロディと歌も自然と同居させ、メランコリックさが咲き乱れながらも、終盤のクリーンのギターワークで低域と高域の両方の音を交互に繰り出す奇才としか言えないフレーズがドラッギーな感覚で紡がれ、最後はヘビィネスの応酬で混沌のまま終わる第4曲「hourglass」、空間的揺らぎとポエトリーによる静謐ながらも確かな激も存在する第6曲「OPAL」、ドープさによるヘビィネスと圧倒的情報量によって目まぐるしい展開を見せる第7曲「DRAPE」、今作で最もメランコリックで悲哀溢れる歌物であり、物悲しくシンプルな音で構成されながらも、その悲しみの物語を最後の最後で無慈悲なリフの応酬で燃やし尽くす救いの無い最終曲「シルバー」。約40分近くに渡って繰り広げられるのは、あらゆる感情を呼び集めた末の混沌であり、それら全てをかき集めた末のヘビィロックはカイモクジショウだけの物だ。
ここ最近になって少しずつモダンヘビィネスサウンドに対する再評価的な流れも一部で起きている様にも個人的に思ったりもするし、硬派でストイックなヘビィロックという物がまた新たな動きとして起きようとしているのかもしれない。しかしカイモクは懐古趣味のバンドではない。勿論先人たちの影響を感じる音ではあるのかもしれないけど、カイモクはヘビィロックの怨念を受け継いだ悪鬼だと僕は思う。あらゆる物を咀嚼しまくって消化して生み出された音は本質的な意味でのミクスチャーであると思うし、カイモクは形骸化する事に対して全力で「NO」を叩きつけた。だからこそ混沌に混沌を塗りつぶした音も、一つの枠組みで全く収まらない西田嬢のボーカルも、幾重の音を使いこなし、その変化が本当に予測出来ない高橋氏のギターも、繊細と熱情の狭間でストイックさを極めた上田氏のドラムも、全部必然として存在しているし、ブレが無い。だからこそ、異質過ぎるスタイルの音なのに、全て自然で、全てのピースが美しいフォルムを形成している。そしてその異質さをアバンギャルドへ逃げるのでは無く、堂々とオーバーグラウンドなヘビィロックとして一発ブチかましているのだ。だからこそカイモクジショウは格好良い。
もう断言しちゃうけど、今作を切欠にこのバンドは一気に知名度を上げるだろうし、来年辺りにはクアトロとかでライブやっててもおかしくないバンドになってるとも思う。今作は王道を往く作品でもあり、カウンターでもある。だからこそ2014年に日本のヘビィロックの新たな必然として生まれたのだ。この音を望んでいた人は本当に多いと思うし、だからこそカイモクは大きいバンドになると確信している。