■2016年09月
■BALLOONS 20th Anniversary & Last Tour(2016年9月4日)@代官山UNIT
今年に入り最後のツアーを行ってきたが、この日の代官山UNITでBALLOONSはその活動を終えた。最後の最後のライブはheaven in her arms、LITE、MIRROR、killieと共にシーンで切磋琢磨し戦ってきた盟友4バンドを迎えてのライブ。イベントはソールドアウトを記録し、UNITのキャパを明らかに超える人数を動員し、冗談抜きで伝説の夜となった。
僕自身も早めにUNITに向かったが、代官山には兄貴の最後の勇姿を目に焼き付けるべく集まったフリークスが長蛇の列を作っており、僕もなんとかHIHAが始まるギリギリの所でUNITへの潜入に成功。
一つの歴史の終わりを迎えたこの日、世界中のエモを全て集めたかの様な瞬間が何度もあった。僕はこの一夜に参加できた事を誇りに思いながら、色々と整理が付いた今こそ2016年9月4日の記憶をここに記す。
・heaven in her arms
HIHA名物のアンプの山を隠す形でロゴが記された二つの巨大バックドロップが飾られた異様なステージの光景。トップのHIHAからこの日はハイライトを迎えたと言える。
普段はMCを殆どしないHIHAだが、この日ばかりはkent氏が何度も兄貴へのリスペクトを言葉にし、そして兄貴達からは進化し続ける事を学んだ事、それを体現するライブを行うという旨を口にし、その言葉通り最新のHIHAを見せるライブを展開した。
もうリリースこそ3年前だが「終焉の眩しさ」からライブは始まり、新曲2曲を含めた最新のHIHAをダイレクトに体現するライブで攻める。バンドの持つ世界観をより色濃く反映させながら、これまで闇といったワードで語られる事の多かったHIHAを更新し、光を感じさせる音像をハードコアだけでなくブラッケンドやメタルを新たな解釈で盛り込んだ新曲はこの日初めて聴く人も多かった筈だが、フロアからはより四次元的なサウンドを展開するまでになったHIHAに酔いしれる人が多かった筈。
全4曲のセットだったが、ラストはHIHAの看板曲の一つである「赤い夢」で締め括り。かつてはライブのラストにプレイされる事の多かったドラマティックな名曲は兄貴達の最後の一日だからこそより大きな感動と煌きの瞬間をもたらし、頭から涙腺が緩みそうになるエモが炸裂した。
HIHAは12/23に同じく代官山UNITで自主企画を敢行するという大勝負に出る。BALLOONSの常に挑戦し続けるという意志を受け継いだHIHAはこれからも新たな景色を僕たちに見せてくれるだろう。
・LITE
二番手のLITEもMCで何度もBALLOONSへのリスペクトを口にし、兄貴達がいてこそ自分たちがある事を口にしていた。
BALLOONSのインスト曲「9:40pm」をカバーするというサプライズを用意しながらも、ライブ自体はあくまでもいつも通りのLITEで攻める。代表曲「Ef」から始まり、言葉こそ無いが、バチバチと火花を散らすスリリングなインストが迫るライブ。BALLOONSの影響を受けながらも、それを模倣せずに自らのサウンドを確立したLITEもまた兄貴達の挑戦し続ける意志を受け継いだバンドであるのだなって妙に感慨深い気持ちに。
あくまでもいつも通りのライブではあったが、どこかいつも以上に演奏に熱が篭っている様にも感じ、その一瞬の音のぶつかり合いの瞬間すら彼らは楽しんでいた様にも思えた。
BALLOONSという国内ポストロックの先駆けが生み出したLITEというバンドも今やシーンを代表するバンドへと進化を遂げた。言葉を用いない彼らの音はより素直なエモを一瞬の音に全力で投じていた。一瞬で駆け巡るライブではあったが、その一瞬が生み出す高揚感と熱さにフロアからは何度も熱い歓声が起こり、みんな全力でLITEの兄貴達へのアンサーを全身で受け止めていたのだ。
・MIRROR
転換中に物販を見てフロアに戻ったらあまりの人の多さにフロアの大分後ろの方でライブを観る事になったが、MIRRORはLITEとはまた違うエモをMIRRORの流儀のまま描いたライブを展開。
LITE同様に言葉を用いないインスト音楽であるが、LITEが一瞬のぶつかり合いに命を懸けたライブをしていたのに対し、MIRRORはその音の全てでBALLOONSへのリスペクトを歌い上げる様なライブをしていた。
元々歌なんか無くても楽器の音全てが歌声を上げるポジティブでハイボルテージなエネルギーを持つライブをするMIRRORだが、この日はそんなMIRRORの持ち味が感情の決壊とも言える情報量で押し寄せる演奏を見せてくれていた。決して常軌を逸した爆発を描くバンドでは無いし、MIRRORの音は日常や人間の平熱といった自然体な熱をそのまま自然体で繰り出し、不思議と観る人を笑顔に変える物であるけど、言葉にならない熱をただ全力で描き出していたMIRRORの正直な音は多くの人の胸を打ち抜く物であったし、この伝説的なライブを前の方で観る事が出来なかったのは今でも大分悔やんでいる。
まるでBALLOONSという物語に対し花束を添える様な美しく感動的なライブ、MCでの何の飾りっけも無い「ありがとうございました」の言葉。それが全てを語っていた。
・killie
それぞれのバンドが自らのキャリアの中で最高を記録するであろう神アクトを展開する中、BALLOONSと共に歩んできたkillieも例外無くキャリア屈指のライブを見せてくれた事はこの記憶を記した記事を読んで下さっている皆さんは簡単に想像出来るだろう。
頭からアンセム「先入観を考える」、そして「キリストは復活する」とこの日のkillieはただでさえライブを事件にしてしまうkillieというバンドの本領だけを発揮した物となった。
「先入観を考える」が始まった瞬間から異様なテンションでモッシュがそこら中で発生するフロア、バンドのテンションも序盤からギアの限界を超えた物となり、バンドとフロアの熱量の化学反応が常軌を逸した音と共に目まぐるしく展開されていく情景。決して狭くないUNITというハコの中は致死量の熱さで包み込まれ、ボーカルの伊藤氏は最初にMCで「BALLOONSの墓を埋めに来ました。」なんてらしい事を言っていたけど、告別式にしては幾ら何でも盛り上がり過ぎだし、僕自身もモッシュに巻き込まれて揉みくちゃになりながら、言葉にする事の出来ない興奮に襲われていたよ。
最後は「エコロジーを壊せ!」で幕を閉じたが、曲の途中で伊藤氏が照明の蛍光灯を一つずつ消していき、真っ暗になったステージ、フロアからは異様な緊張感、そして蛍光灯では無くUNITの照明が一気に点火した瞬間にはkillieの楽器隊がBALLOONSと入れ替わっているというサプライズ!!そして伊藤氏と吉武氏のツインピンボーカルで演奏されるクライマックス!!この瞬間は正にロックバンドkillieだからこそ生み出せた物であり、その場にいた人間全員の想いが爆発したからこそ生まれた光景だろう。
主役のBALLOONS以上にクライマックスで盛大に墓を準備したkillie。常にあらゆる有象無象と闘い続けたバンドが兄貴達に手向けた瞬間のドキュメント。この光景は一生忘れないだろう。
・BALLOONS
4つのバンドが4つの忘れられないエモを生み出した中、主役のBALLOONSの最後のライブはどんなドラマが生まれるのかと僕は色々と思いを馳せながら考えつつBALLONSの最後の瞬間を待っていたが、結論から言うと安易な感傷なんかに全く浸らせてくれない、BALLOONSはあくまでBALLOONSのまま全てを終えただけに過ぎなかった。
「Intensity」からライブは始まり、新旧問わず20年の間で生み出された来た名曲達が淡々と出番を終えていく。MCもそれぞれのメンバーがしたりもしていたが、あくまでも感傷では無く、等身大の自分たちのままでその言葉を綴っていたのも印象的であった。
圧倒的演奏力と全く隙の無い構築美によるBALLOONS節としか言えない数多くの楽曲。その一つ一つは安易にエモい気持ちにはさせてくれず、静かにそれぞれの楽曲と向き合わせるストイック極まりない演奏。BALLOONSは他のどのバンドよりもストイックの自分たちの居場所を作り続けて来た。そんな事がただ表れたライブであり、何処かで孤独を抱えている様な気持ちになってしまった。
だけどあくまでも孤高の存在であり続けたBALLOONSのラストライブを特別な物へと変えたのは、きっとそれまでに出演した4バンドもそうだし、この日来ていた650人を超える客もそうだし、それぞれの立場や形でBALLOONSというバンドに憧れを抱いてきた人々が生み出す熱量だったのだと今では理解できる。
完璧主義を最後まで貫き通した一時間以上にも及ぶ熱演、アンコールの時のフロアから配られた風船が数多く掲げられる光景にすら「風紀を乱すな」なんて言えてしまうどこかツンデレめいたスタンスすらBALLOONSなりの愛なのだろう。
僕自身はBALLOONSというバンドを決して昔から知っていた訳では無いし、バンドのこれまでの歴史なんかは僕よりもずっと記憶している人の方が多いと思う。だけどBALLOONSが作り上げて来た物は音楽だけでなく、一つのリアルなシーンとして確かに受け継がれた来た。それは世代や立場とかを超えて「みんなで作り上げた物」として今でも残り続けている。
ライブレポ的な部分から大分脱線はしてしまったが、この日のライブはBALLOONSが妥協なき姿勢をブレずに貫いたからこそ生み出せた集大成だったという事だったのだろう。ベタな言葉ではあるが有終の美という言葉が一番相応しいライブとなった。
最後の最後まで決してデレてくれた訳では無いけど、そのオリジナリティとストイックさをただ淡々と描き続けたラストライブだからこそ、また特別な磁場があの場所にはあった。
こうしてBALLOONS最後の夜から色々思っていた事を自分なりに整理してやっとこの駄文を記すまでに至れたのだけど、この日は今でも不思議と終わりの日という気持ちにはなっていない。
それはBALLOONSというバンドは終わってしまっても、兄貴達が残し続けた名曲と行動は今でも僕たちの身近な世界で確かに呼吸を続けているからだろう。
一つの区切りではあったのかもしれないが、決して終わりの日では無かった。BALLOONSが残した多くの財産はこれからも様々な形で受け継がれて続いていく。その事実だけあればいい。それでいいし、それがいい。
「BALLOONS、20年間お疲れ様でした。」ただこの一言しか僕が言うことは無い。全てはこれからも続いていくのだから。
■EXTREME MAD TERROR -Jack The Stripper(AUS) Japan Tour 2016 w/NoLA-(2016年9月3日)@新松戸FIREBIRD
そのツアーの2本目となる千葉公演は新松戸FIREBIRDの名物企画「EXTREME MAD TERROR」にて国内の多数の個性溢れる猛者がJack The Stripperの首を狙うというバトルロワイヤルな一夜。土曜の夕方前から激音に溺れる濃厚な一日となった。
・小手
トップバッターからいきなり小手である。かなり久々にライブを観る事になったが、トップから新松戸を自らの自問自答の世界へと飲み込んでいく圧倒的なアクトを見せてくれた。
約25分の持ち時間でプレイされたのはたったの2曲。小手というバンドが歌い上げる繊細で決して明るく無い、仄暗いリアルを歌え上げるたった2曲であったが、このバンドはたった2曲で自らの全てを曝け出せるバンドだ。
ほぼポエトリーで生々しい現実との対峙、退くに退けなくなってしまった事への後悔、それでも必死に足掻いていく強さ。特に「お前も俺もまだ何も始まっちゃいない。」と何度も何度も自らに言い聞かせる2曲目にプレイされた新曲が小手屈指の名曲と言える物だ。
和の音階を大切にしたポストロック的なアプローチがじわじわ熱量を上げ、最後の最後はダイナミックな各楽器のぶつかり合いによって生み出されるクライマックス。この声と音が届く全ての人にむき出しのまま訴えかける力。緊張感溢れるライブだったが、その終焉は開放感の中で自分自身を許される気持ちとなる物となった。この途方もないエネルギーが生み出す生々しい表現は日本語の分からないJack The Stripperの面々にもきっと伝わった筈!!
・Azami
この日唯一初見のAzamiは色々な所でその評判は聞いていたので観るのが楽しみだったバンドの一つ。サウンドスタイルは柏シティハードコアの血統を色濃く受け継いだ叙情系ハードコアであるが、メロディアスなフレーズが疾走するさなかの瞬発力と筋力のタフネスは中々の物。やっている事自体は特別目新しさがある訳では無いが、真っ直ぐにフロアを射抜く熱量は確かに心に響くものがある。
メロディと叫びから情景を想起させるアンサンブルの立体感も良いが、小手先の誤魔化しなんて何一つ無い純粋無垢なパッションを25分で全て出し尽くす短距離走型のライブパフォーマンス、ここぞという所での爆発力は積み重ねてきたライブによる確かな実力から生み出されている物。小手と一転してアプローチも音楽性も違うバンドだったが、その実力は確かな物!!
・wombscape
新体制も大分板に付いてきたwombscape。序盤は久々に「新世界標本」の楽曲群をプレイし、旧体制でリリースされた音を現体制の音としてアップデートが進行している事をアピール。これらの楽曲は何度もライブで体感していたが、サウンドによりソリッドな攻めの部分が表出されている様にも感じる。
中盤のwombscapeの看板曲「新世界標本」の時はギタリストのHirokiが見事にやらかしてくれた。何度も何度も返しのスピーカーに蹴りを入れ、勢い余って機材トラブルが起きたらアンプを思っきり叩き出すというブチキレっぷり。wombscape加入当初はそのポテンシャルの高さは十分感じさせていたが、どうしても固さが目立っていた彼のプレイだけど、その固さは完全に取れ、これまで在籍していたwombscapeの歴代ギタリストの誰よりも狂気と暴力性に特化したプレイを体現するという進化を見せてくれた。
後半の新曲群もライブを重ねた事により、元々の魅力であるカオティックハードコア発、それらをズタズタにする事によって生み出すアーティスティックな物語を尖り切った音で血の色の油絵具を一面にブチ撒ける様な表現の暴力を生み出していた。
今後も色々と動きや展開は多いと思うが、wombscape程、良い意味で先が予測出来ないバンドはいない。この偏執狂な表現衝動の行く先は当の本人たちすら分からないだろう。でもその新しくあり、異質な表現こそ何よりもwombscapeなんだと思う。
・REDSHEER
新感覚の激音を常に創造し続けるREDSHEERは現時点の最高とも言えるパフォーマンスを見せつけるライブをブチかましてくれた。
常にその場にいる全員殺ってやるという気迫しか無いライブアクトはREDSHEERの大きな魅力であるが、看板曲「Silence Will Burn」から、久々にライブでプレイした「Blindness」、果ては新曲群含め現状のREDSHEERのベストと断言できる熱量と演奏の精度を新松戸で炸裂。
複雑極まりないリズムチェンジを繰り返し、ギターの歪みからコード、低音域の一番エグい部分だけを弾き倒すベース、これだけ複雑なプレイをしているにも関わらず異常な重さと混迷を叩き出すドラムとメンバー3人の持つポテンシャルの一番濃い部分が異物感ゼロで自然なアンサンブルとして持続したまま、だけど負の感情を暴発させるダークハードコアなサウンドの殺気は加速していくばかり。蠢く黒を切り裂く激音の嵐の情報量は25分では全然足らない!!
バンドが新たなモードに入って久しいが、この日はその先にあるうるさい音楽が好きな人間すら卒倒してしまう驚異の領域に彼らが手を伸ばしているのを体感させられるライブとなった。REDSHEERはまだまだこんな物じゃ終わらない!!
・ele-phant
イベントも後半戦となりギターレスサイケデリック歌謡ドゥームと個人的に勝手に呼ばせて頂いているele-phantのライブへ。一曲目から「Black Room」でele-phantが誇るスーパーボーカリストことcomi氏が描き出すエロスと退廃の世界に引きずり込まれる。
今後リリースされるであろう新曲もプレイされていたが、それらの楽曲はele-phantには最早ドゥームとかサイケデリックといった冠すら不要だという事を声を大にして言いたくなる物となっていた。メンバー3人のキャリアと文脈がより残刻なロマンとなって襲いかかかり、重い音よりも、エグい音よりも、その世界観をダイレクトに表現する歌とメロディこそが一番のヴァイオレンスである事をele-phantというバンドは証明しているのだろう。
ベース一本だけでメロディもグルーブも美しさも重さも指揮者の様に変化させ、タイトなドラムが肉付けし、たった二人で完成したアンサンブルに乗るcomi氏の最高のボーカル。たったそれだけで生まれたのがele-phantの非現実的陶酔世界だ。異形なバンドばかり集まったこの日の新松戸の中で最も異端児でありながら、最もロックのエロスと言葉にしてはいけないロマンを間違いなく表現していた。
・The Donor
金沢の誇りと断言したいヘビィロック番長The Donorはこの日もただ最高のライブをしていた!!サウンドチェックの時点で凄まじい爆音で耳がぶっ壊れそうになったが、ライブはこの日一番の音量で全てを破壊するヘビィロックを爆散させただけだった。
The Donorの大名曲「Shine」からキックオフしたライブだが、数多くプレイされた今後リリース予定の新曲に加え、ニュースクールもドゥームもハードロックも、いや世界中のあらゆるヘヴィな音楽を喰らい尽くした上で「全員が最強にうるさい音を出していれば音量バランスなんてドンピシャになるんじゃ!!」と言わんばかりの爆音天国しか無かった。
MC以外はノンストップでメドレーの如く繰り出される楽曲達。あらゆる文脈が見え隠れするサウンドでありながら、いざ吐き出される音を体感しても「ヘヴィロック」以外の言葉が果たして必要なのかと言いたくなる。
それとThe Donorというバンドを海外バンドと比較するのは野暮でしか無いとも大声で言いたい。海外バンドに負けないタフネスだとか日本人独自の表現といった議論が全くの無意味である事をThe Donorのライブを観たら実感する筈だ。The Donorは世界で最もうるさくキャッチーでブチ切れた爆音をただ鳴らしているだけなんだから。ただ一言「最高」の言葉しか無いライブだった!!
・Jack The Stripper
ライブもいよいよ終盤戦となりオーストラリアからの刺客Jack The Stripperのライブが始まった。
昨年も来日公演を拝見させて頂いたが、正統派カオティックハードコアであり、ビートダウン大好き脳筋野郎な男気に惚れたが、一年の月日が経過し、Jack The Stripperはどうなっていたかと言うと清々しい位に何も変わっていなかった!!
だが変わっていなかったのはあくまでもサウンドスタイルの話で、ライブバンドとしての無尽蔵な体力と筋肉は昨年より更にビルドアップを果たしてた。ビートダウンはよりエグい所を掻っ攫い、筋肉全開な刻みとビートは一撃必殺。メンバー全員の暴れ狂うライブパフォーマンスも昨年より更に制御不能な物であり、ただ痛快だ。
MCでは気さくな兄貴感が出まくりなギャップにもやられたが、ライブ中はただただ凶悪な重低音だけを吐き出すモンスターっぷり。目の前で繰り広げられるカオスの連続は一転して男の花道を爆走するデコトラ野郎すらあって、男気とは国境を超え、国や民族関係なしに熱くなる物だと思った。
時流に全く流されず、ただ爆音のヘヴィネスだけを放つJack The Stripperは昨年の来日公演以上に強靭なライブを展開していた!!
・NoLA
そして長丁場となった今回のイベントを締めくくるのはJack The Stripperを招聘したNoLA!!5人になってから無敵の化物となったライブの凄さは当ブログでも何度も書いているが、今のNoLAは非の付け所なんて一個も無いライブを常に展開し、毎回最新のライブが過去最高のライブといった急成長を遂げている。
長年不在だったベーシストという最後のピースにYutoが加わり、新曲はビートとリフと叫びの恐怖と爽快感の連続から一発で脳のこびり着くフレーズの数々とより一層メジャー感すら手にしている。
トリッキーな事なんて何もしていないが、NoLA節としか言えないリフとビートとグルーブの一体感。「死と再生」を象徴する架空の生物にウロボロスという物が存在するが、今のNoLAは正にそのウロボロスと言っても良いだろう。
一撃必殺の音で聴き手の肉体を粉砕して即死させるが、その死体に更にもう一発激音をお見舞いする事により、聴き手に新たなる価値観と刺激を与えて再生へと導く。固定概念を殺し、新たなる創造により再生を生み出すという循環がライブ中に何度も巻き起こり、五感と細胞が死と再生を繰り返す。それはNoLA自身にも言える事であり、何度も脱皮を繰り返し、より巨大生物へと進化を続けていく。
そんな事を思いながらライブを観ていたが、その二日後の東高円寺二万電圧にて、それすら思い違いであった事を僕は痛感する事になる…
かなりの長丁場ではあったが都内からはるばる新松戸まで足を運んだ価値は十分過ぎる程にあった。「EXTREME MAD TERROR」という新松戸から新たなるエクストリームミュージックを爆散するこのイベントは毎回毎回現場に足を運んでこそ見せるリアルが存在するイベントであり、これは少しでも多くの激音フリークに体感して欲しいカタルシスが存在している。今後も都内から新松戸へと足を運ぶでしょう。
そしてその二日後のJack The Stripper来日ツアー最終日である東高円寺二万電圧にて、更なる事件が起こるが、その時の模様はまた後ほど記させて頂く。
■【静かなる反抗声明】ANCHOR鷲尾、ロングインタビュー

新潟という北陸の最北端にANCHORというバンドが存在する。
99年に結成、バンドの歴史自体は20年近くにも及ぶが、バンドの歴史に反してこれまでリリースした音源は本当に少なく、多くの人々に名前が知られていない存在ではあった。
そんなANCHORは今年いよいよ1stアルバム「深層」をリリース、単独音源としては実に16年振りの作品となったが、これが本当に素晴らしい一枚となっている。
決して分かりやすいカテゴライズされた激情ハードコアでは無い、非常に渋い一枚となっているが、バンドの持つ屈指のメロディセンス、ミドルテンポで決して攻撃的と言えるサウンドでは無いが静かに突き刺す2本のギター、パッキパキの硬質なサウンドが淡々と描くのは体制や日常の違和感や不条理に対する静かなる反抗。ANCHORが描くのはカテゴライズされる事を拒んだ静かなる反抗だ。
10/1にweeprayとTRIKORONAの共同企画「様々な死覚」にて実に7年振りの都内でのライブも決まっているANCHORだが、このタイミングでBa/Voの鷲尾氏にメールインタビューを敢行させて頂いた。
ANCHORが描く反抗の音楽から、新潟でバンドを続ける原動力まで、決してテキストの量は多くは無いが、その音楽同様に確かな言葉で鷲尾氏は語ってくれた。
・ANCHORの結成から現在に至るまでの経緯を教えてください。
1999年結成し年末に初ライブ。初ライブから半年後にメンバーチェンジがあり坂井(Gt)加入、現体制のメンバーになりました。これまでにCDEP「キズ」、split7'ep(w/STUBBORN FATHER)、LIGHT YOUR WAY COMP(1曲参加)、DOiT DVDを発表。初期に比べれば年齢を重ね仕事や家庭の都合もありライブの本数は減りましたが、スタジオワークは欠かさず活動を続けています。
・初期と現在では音楽性はどの様に変わって行ったと思いますか?
今と比べれば初期の頃は早くハードコア要素の強い曲が多かったと思います。
現在は聴く人によってはハードコアと感じる曲は少ないかもしれませんがANCHORとしての芯の部分は当初より変わっていないと思っています。
・現在はどの様な方向性をバンドでは目指しているのでしょうか?
特に方向性を決めてという活動はしていないので、何とも答えようがないですが聴いて観て何かを感じてもらえれば嬉しいですね。
・影響を受けたバンドなどがありましたら教えてください。
メンバー各自の影響受けたバンドはバラバラだと思いますね。挙げればキリがないです。
ANCHORを始める際にメンバー募集に書いたのはANODE,ENVY,THIS MACHINE KILLSなどでした。
・今年の6月に1stアルバム「深層」をリリースされましたが、チェンバロの様なギターアルペジオと空間的ギターのツインギターとミドルテンポのビートとグルーブが非常に特徴的な作品に仕上がってます。この様なサウンドを生み出す意図とは何でしょうか?
僕らは意図を持ってこういったサウンドにしようと向かった訳でもなく、初期と現在の違いにも通じますが曲作りや活動を続けてきた結果、自然の流れで今のサウンドスタイルになりました。
・歌詞に関しては日常生活の違和感とそれに対する静かな反抗を歌っている様に感じます。その様な言葉を綴る意味とは何でしょうか?
日常で見聞きする中で疑問や不満、怒りと自分が感じること等に対し自分が思ったことを詞を書いています。綴る意味と聞かれたら自己主張ですかね。
・楽曲はどの様に作られてますか?
宮下(Gt)がフレーズを持って来て全員で合わせながら進めていく形で、その場のスタジオで出来た続きを再度宮下が持ってきて作り上げる形が多いです。その中で修正や構成の変化を重ねてやっていきます。
・単独音源としては00年の「キズ」、スプリットも入れると01年のSTUBBORN FATHER(大阪)とのスプリットから10年以上のブランクが空いての音源リリースとなりましたが、10年以上も間が空いて音源リリースの運びになった事はどう感じてますか?
音源自体を作る事に対しこれだけの期間を開けるつもりはなく、曲の変化によりこれだけの期間が空いてしまった結果です。実際に2009年に音源作成の為の4曲プリプロを録りました。
ただ次作はアルバムという考えがあり作曲を続けていました。その結果その後に出来てきた曲が前の曲との違和感を感じ再度作曲を重ねて昨年12月からレコーディングとなりました。なのでプリプロ録音した曲は入っていません。僕らとしてもようやく形に出来たと思いました。
・「深層」をリリースして周囲からはどの様なリアクションが返って来ましたか?
直接的なリアクションはほぼありません。SNSなどで稀に見るくらいです。
・先ほどSNSでアルバムに対するリアクションを見るとありましたが、地方で活動するにあたってSNSの存在はやはり大きいでしょうか?
SNSはメンバーでは長谷川(Dr)がfacebookをやってるくらいで他メンバーはしていません。ANCHORのtwitterに関してはライブ告知や誘われたライブの宣伝の為に始めました。県外のライブでは直接フライヤーを配る等の手伝いはできないので少しでも力になればと2014/12/20の孔鴉の前から始めました。
今回、音源発売時の宣伝に対しての反応や、発売後のAKSK君や他の方のツイートを見た時は嬉しかったですね。地方での活動に関してSNSの存在はそこまで大きくないと思います
・近日TILL YOUR DEATHのオムニバスにも参加されますが、そちらに提供する楽曲はどの様な物に仕上がってますか?
「深層」からの延長ではありますが多少の変化がみられると思います。
・ANCHORは新潟を拠点に活動していますが、新潟のシーンはどの様な物でしょうか?
まず新潟に現在激情シーンはないですね。僕らの他に1.2バンド居たりした時もありましたが、ほとんど無かったと言えるでしょう。好きな人は居ると思いますが僕らの力不足ですかね。
ハードコア自体はパンク・ユースクルー共に盛り上がっていると思います。
・激情ハードコア云々を抜きにしたハードコアパンク自体は新潟ではどんな歴史があり、またどのような形で現在に繋がっていると思いますか?
歴史という事に関しては僕が語れることではないのですみません。バンド自体は現在でも10年以上続けているバンドが多いですね。なので現在への繋がりというより常に続けているという感じですね。
あとは新潟で続けて海外ツアーにAGE(2007/2010),BLOWBACK(2008)が行っていたりします。
・新潟と他の都市部や地域との違いがあるとしたら何でしょうか?
都市部に比べればバンド数も少ないと感じますし、多くの人の目に触れることも少ないでしょう。その為か新潟のバンドは過去も含め自主で音源を出すバンドは多いと思います。
どこかレーベルから出してもらうのを待つより先に自分たちでリリースをして取扱いしてもらい活動するバンドが多く感じます。それとライブに来るお客さんが初見のバンドに対してはじっくりと観る気がします。
・鷲尾さんはライブハウス「新潟WOODY」の店長さんもされていますが、WOODYはどの様なハコで、またどんなバンドがライブをしていますか?
前身の店舗から入れると1975年からあり、「LiveSpotWOODY」としては一度僕が始める際に移転していますが1982年から続いています。僕は3代目となりますがアルバイトから数え20年以上居ます。
ジャンル問わずライブは受け付けていますが、多いのはハードコアパンクやガレージロックの企画ですね。
・新潟で他の地域の方にも是非チェックして欲しいバンド等がありましたら教えて下さい。
同世代のハードコアバンドではSCRUMHALF、MADREX。それと先輩のSKYMARSは要チェックです。ロックバンドですがjyugatsunodrumもカッコいいです。
・他のローカルのバンドでシンパシー等を感じるバンドがいましたら教えてください。
大阪のSTUBBORN FATHERは付き合いも長く常に気になりますね。他に山形のWHAT EVER FILM,、青森のkallaqriなど気になります。
・逆に東京のバンドでシンパシーを感じるバンドはいますか?
weepray.COHOLなどは活動の仕方や姿勢に感じるものがあります。
・WOODYで自主企画「私的見解」を定期的に開催していますが、「私的見解」はどの様なイベントでしょうか?
企画自体は最近は定期的には出来ていませんが、先も話した通り新潟に激情シーンがなく単純に自分たちが気になる、観たいと思ったバンドを呼ぶことから始まりました。
ANCHOR自体無名のバンドで、誘ってOKもらった時は嬉しかったですね。それによって繋がりも出来て僕らが呼ばれることも増えていきました。近年はツアーサポートの話があり企画を組む場合が多いです。
・新潟という土地でハードコアバンドを続ける原動力は何でしょうか?またローカルでバンドを続けていく意義とは何でしょうか?
新潟だからとかではなく、単純に好きで続けているだけですね。バンドで東京に出ようと思ったこともないですし。
・10月に実に7年振りの東京でのライブが決まってますが意気込みがありましたら是非とも。
今回は2年前から繋がりができたweeprayと昨年STUBBORN FATHERとのスプリットCDのレコ発で新潟に来た際に共演したTRIKORONAに組んでもらい感謝です。気付いたら東京でのライブは7年振りとなりましたが楽しみにしてます。
・ANCHORが目指す音楽の終着点は何処にあると思いますか?
目指す音楽の先は全然見えないですし、終着点へ辿り着くことはないと思います。
・今後の展望がありましたら教えてください。
今後また曲が増えてきたら音源として形にしたいですし、誘われるライブは極力出演したいと思いますが、各自の都合もあり難しい場合もあります。やれるその時々を大事にして活動していきたいと思います。




【ANCHORライブ予定】

10/1(土)東京国分寺Morgana
TRIKORONA/weepray共同企画[様々な死覚]
TRIKORONA
weepray
Kowloon Ghost Syndicate
NoLA
Fredelica
No Value
sto cosi cosi
ANCHOR

11/12(土)大阪HOKAGE
[孔鴉-koua-]
SWARRRM
ANCHOR
sekien
Kowloon Ghost Syndicate
THE DONOR
agak
SeeK
STUBBORN FATHER
12/23(金)新潟WOODY
[私的見解]
【ANCHORリリース情報】
V.A.「TILL YOUR DEATH vol.3」
ANCHOR
CYBERNE
DEAD PUDDING
kallaqri
NoLA
REDSHEER
URBAN PREDATOR
weepray
wombscape
明日の叙景
冬蟲夏草
11/9リリース予定
【ANCHORオフィシャルサイト】http://anchor-niigata.tumblr.com/
【ANCHOR twitter】https://twitter.com/anchor_niigata
photographer : ミツハシカツキ
↓Check!!
■それでも世界が続くならワンマンツアー2016「再生」(2016年8月28日)@下北沢club Que
そのリリースを記念したワンマンツアーは「再生」と銘打たれ、それは昨年メジャーからリタイアしながらも再び前線に帰って来た事、極限のリアルを生々しく再生する事、新たなる存在として生まれ変わること、色々な意味を想起させる。
昨年からそれせかを知り、自分の中の価値観や感性を全て木っ端微塵にされる程の衝撃を受けた身として、彼らのライブは一度目撃しなければならないと思い、今回は足を運ばせて頂いた。
オープンの17時には会場であるQueに到着していたが、開演の時間まで会場は異様な緊張感に包まれており、敬遠直前には決して狭くないQueがほぼ満員の状態であったが、その緊張感はより高まっていく。これまで数多くのライブに足を運んできたつもりではいたが、この日程ライブを観るという行為に恐怖を感じた日は無い。音源でさえ心をズタズタに切り裂くそれせかの音楽に生で触れたら生きて帰って来れないんじゃないか?大袈裟かもしれないけど、そんな事すら考えてしまった。
そして開演予定の18時オンタイム、僕のこれまでの価値観を全て破壊するライブが始まった。
SEに合わせて静かに登場するメンバー4人、フロアは拍手で迎え入れるが、開演前以上に緊迫した空気が包み込む。篠塚氏と菅澤氏の二人の静謐なギターが空気を変えていく中で始まった「傾斜」。極限まで音数は少なく、明確な輪郭を持たないリヴァーブギターの濃霧、照明も足元の白熱電球のみという削ぎ落とされたも良い所な物で視覚的情報もシャットアウトされている。
そんな中でこの世の希死念慮の全てを憑依させたかの様な篠塚氏のボーカル、美しく漂う音の粒子が徐々に自らの首に紐を括りつけていく様な残虐なノイズギターと変貌。アプローチ自体音源と全く変わらないのに、音源の更に上を行く密室的空気の中の死の匂い。冗談に聞こえるかもしれないけど、頭のこの一曲だけで体の震えが止まらなくなってしまい、涙を堪えきれなくなってしまって、何度も何度も声を上げて叫びたくなるのを必死で堪えていた…
続く「冷凍保存」と「リサイクル」こそ少しはアッパーな曲ではあるが、重低音とノイズギターの精神的煉獄は続く。リズム隊のアプローチは何らトリッキーな事をしてないのだけど、何も足さない、何も引かないからこそ安定感のあるプレイに徹底しており、そんな地盤に菅澤氏の多彩な音階を多彩な音色で彩っている筈なのに、それらの全てが寒色系の色や黒めいた音として聞こえてくるギターワーク、そしてギターとボーカル、いや自分自身から放つ事が出来る物全てに全感情を怨念の様に込める篠塚氏。
バンドとしてのアンサンブルはこれ以上無く完成されているのに、気を抜いたその瞬間に爆散してしまう恐怖。手を上げる事も頭を振る事も出来ずに、目の前で繰り広げられているリアルを目を背けたくなるのに、背ける事が出来ない。
バンドの中でも非常にポップな側面が出ている「響かない部屋」、「参加賞」、「水色の反撃」といった楽曲もプレイされたが、そんな楽曲ですら序盤からの圧迫感は全く変わらずに演奏してしまえるのがこのバンドの凄い所だ。
この日は今後リリースされるだろう新曲も含めて新旧の楽曲を満遍なくプレイしていたけど、どの楽曲も全くブレずに誰もが目を覆いたくなる痛みだったり隠してしまいたい現実を鳴らしていた。アッパーな楽曲もミドルテンポのスロウな楽曲も全て「それでも世界が続くなら」というバンドのリアルとして何の飾り気も無く鳴らされていただけに過ぎない。
本当にたったそれだけの筈なんだけど、何でノイズギターが泣き叫ぶ度に、篠塚氏が叫ぶ度に、涙が溢れてしまうのだろう。本編ではMCらしいMCなんて終盤の篠塚氏の「あと3曲っ!」と最後の「ありがとっ!」位だけで、チューニング以外はほぼノンストップで生き急ぐ様にライブは進んでいった。
篠塚氏は曲の歌詞も何度も変えていたり、最早マイクの前にいないのに何度も声にならない叫びを上げたり、指揮者の如くジャズマスターを振り下ろした瞬間にバンドサウンドを轟音の坩堝に変貌させたりと、安定感あるプレイで支える他のメンバー3人に比べて明らかに切迫感と破滅願望と救いを求めるかの様な感情をただ歌と演奏で表現する。その事実こそがカテゴライズさせない、誰にも何も言わせないリアルを表現しているんだろう。
個人的なハイライトはノイズギターの洪水から始まった「スローダウン」だろう。「わかるかい 死ぬよりも辛いことなんて本当は この世界にはいくらでも あるってことを」という全てを暴いてしまっている歌詞のラインが凄まじいそれせかの初期からの看板曲であるが、この一曲をいざライブで体感した瞬間に、何度も何度も泣いたり震えたりしながら観ていた今回のライブで一番感情という感情が決壊を起こしてしまっていた。
暗いだとか重いだとかって言葉で片付けてしまえば簡単なのかもしれないけど、そんな事で片付ける事が出来ない様な事ばかりが溢れているという事実、たったそれだけの事を「それだけの事」として片付けさせてくれない。この瞬間だけは立っている事すら出来なくなってしまいそうだった。
ほぼノンストップで窒息感と緊迫感溢れるライブを繰り広げていたが、ラストは最新シングルから「狐と葡萄」で本編は終了。ラストにこの楽曲で締めくくってくれたのは個人的に一気に救われた気がする。照明も白熱電球だけのままであり、決して何らかの演出があった訳でも無いけど、この一曲がプレイされた瞬間に自分の中にある様々な感情や困惑や言葉に出来ない事全てに一つの答えを貰えた気がした。
アンコールは一転して非常に和やかな空気で2曲プレイされたが、最後の最後の一曲の前に篠塚氏が少し口下手な感じでこの日来ていたお客さんに何度も感謝を述べ(「うちらそんなバンドじゃ無いけど、ライブ観て楽しかったと思って貰えたら。」とか「みんな立っているの辛いだろうけど、俺も頑張って立っているから。」なんて非常に篠塚氏らしい言葉だった)、菅澤氏から年末に再びワンマンツアーを行う事が告知されたり、琢磨氏が菅澤氏のギターに合わせて謎の怪談話をしたりと本編でのあの異様な空気を放っていたバンドとは思えない位のほっこりMCタイムでしたが(個人的に割礼のライブでの松橋氏の物販紹介MCコーナー並に落差を感じた)、最後の最後は「弱者の行進」でこの日のワンマンを再生完了させた。
約二時間に渡ってライブは行われたが、ライブ終演後は僕自身異常に体力と精神力を持って行かれて、フラフラになってしまい、その状態は帰宅するまで続いたが、当の篠塚氏もライブ終盤はフラフラになりながらそれでも二本の足を地に付けて渾身の表現をこの日来ていた人に向けて放っていた。
もしかしたらこの日目撃した物はライブって言葉じゃ片付ける事の出来ない、正真正銘の闘いだったのかもしれない。ライブが終わって数日経った今このレポを記しているが、今でもこの日のライブで体感した事は上手く纏まってはくれていない。
でもそんな簡単にそこら辺にある言葉で片付けさせてくれない音楽を「それでも世界が続くなら」というバンドは鳴らしているんだとも思う。そこら辺にあるカテゴライズされた反抗を歌っている音楽なんかよりもずっと本質的な意味でパンクでありハードコアであると僕は思う。
この日のライブを観て一番感じたのは、僕が世界で一番敬愛するbloodthirsty butchersの吉村秀樹という男が鳴らしていた「血を吐き続けても叫ぶ表現」という物をこのバンドは鳴らしていたという事実。それが僕がこのバンドに出会い惹かれた必然なんじゃないかとすら今は思う。
長々と纏まらない事を綴ったが、僕は「それでも世界が続くなら」というバンドに一人でも多くの人に触れて欲しい気持ちで一杯だ。決して肌触りの良い表現をしてるとは言えないし、人によっては不快感すら覚えるバンドだとすら思う。だけど、本物の表現とはいつの時代だってそんな物であった。だからこそ僕はこれからもこのバンドを追いかけ続ける。