■2018年02月
■SPLIT BIRD/BROILER × TRIKORONA

それぞれ東京と言う地で異形の存在感を放つBROILERとTRIKORONA。グラインドコアとエモヴァイオレンスとサウンドスタイルこそ違うが、シーンの流行などとは全く無縁の場所に立ち、自らの異質さだけを追求する両者が惹かれ合った。
四国のIMPULSE RECORDSよりドロップされた今作は異端児二匹がぶつかり合う危険極まりないスプリットだ。
BROILERはSE含め全6曲を収録。ヴァイオレンスでありながら、誰も傷つけずハッピーな空間を常に作り続けるプロレスの美学にも通じるライヴアクトで多くの祝祭空間を作り出し続けている事がBROILERはよく話題になるが、音源でライヴパフォーマンス抜きに音だけに触れてみると懐が非常にデカイバンドである事を痛感する。
ひたすらRAWに荒れ狂うグラインドコアのピュアさと、そこに留まらない引き出しの多さがフックを生み出す。
EVILなリフとビートで攻め立てながら、ブラックメタルやメタルパンクなどの要素も容赦無くブチ込み、終いには正統派HEAVY METALなハイトーンシャウトまで飛び出す。
それこそSODOMの様なバンドのテイストも感じさせ、グラインドコアでありながらHEAVY METALを貫く。この手の音楽が大好きな人たちのツボをしっかりと突いてくる辺りが本当にニクい。
対するTRIKORONAはSTUBBORN FATHERとのスプリットで展開したTRIKORONAにしか生み出せない混沌と困惑の暴力を更に進化させた。
パワーヴァイオレンスやエモヴァイオレンスといった括りで語る事は不可能な領域へと突っ込んでいる。
今作に収録されている楽曲ではテルミンも取り入れ、ノイズ・ジャンクロックといった要素に留まらず、ニュースクールハードコアなテイストも人によっては感じさせたりもする。聴く人によってその音の感触は変わり、カメレオンの様にその姿を変えていく。
強烈な音圧で不条理で不条理を塗りつぶすかの様なサウンドスケープを展開するが、混沌の中で絶妙なリフのフックを活かし、不思議とキャッチーで耳に残る楽曲が並ぶ。
KOYAMAの散文的かつ化け物そのものなボーカルもより聴き手を混乱へと貶める。構成する全てがイカれている。それこそがTRIKORONAだ。
特に「蝿心中」の異様なフックと妙にドラマティックに展開しながら殺伐と突き抜ける様は一番の聴きどころ。
今作はボーナストラックとしてBROILERとTRIKORONAがそれぞれ国内の某バンドのカヴァーを収録しているが、そちらもそれぞれの個性を出しまくった魔改造カヴァーになっており、だけどカヴァー元のバンドの楽曲の完成度の高さも活きている。そちらも要チェック。
BROILERとTRIKORONAそれぞれか異常なまでの文脈と情報量を持つバンドだが、それを整理せずより混迷の奥底へと突き進んでいく。
エクストリームミュージックの異端の二匹が生み出す世界は予測不可能だ。
■Draw Morbid Brutality/ELMO

ELMOはこれまでの作品でも常にハードコアを更新し、世界中のハードコアとリンクしながらも、自らのオリジナリティだけを提示し続けて来た。
今作は2017年末にドロップされた実に4年振りとなる新作7インチEP。リリースはTOO SMELL RECORDSから。
ELMOのサウンドスタイルは一貫しており、スラッジ・パワーヴァイオレンス・グラインドコア・ノイズとあらゆるエクストリームミュージックを咀嚼し、それを極限まで振り切る事によりオリジナリティを獲得した。
先鋭的な視線を常に持ち、余計なギミックを排除し、実直過ぎる程にブルータルである事と向き合い続けている事実が今作にもアウトプットされている。
盤を再生した瞬間に耳を殺しにかかるハウリングノイズ、荒々しくも研ぎ澄まされたノイズまみれのギターと凶暴なビート、パラノイヤそのものであるハイトーンボーカル。悪意と狂気を音にしたらELMOになると言っても過言でもない。
加えてELMOはピットミュージックとしても強靭だ。アーティスティックな一面を持ちながらも、軸足はピットミュージックから全くブレず、自然と腕をブン回したくなるリフとビートによる楽曲構造は恐怖と同時に聴き手に野蛮な感情を与える。
sideAはファストな2曲、sideBはスラッジな1曲の計3曲が収録されているが、どの方面に振り切ってもノイジーかつブルータルなELMO印のグルーヴが充満し、危険極まりないが不思議とそこに触れたくなる人間の好奇心を刺激する。
サウンドスタイルこそ前作から大きな変化を遂げた訳ではないが、より強烈なフックと冷徹な残虐さを追求し、自らを更新した一枚。
ただ凶悪さを極めるだけでなく、ピットミュージックとして聴き手と共犯関係を築く事が出来るのはELMOの一番の強みなのかもしれない。
ハードコアは何なのか?ブルータルとは何なのか?それを直向きに追求し続けているからこそELMOは常に最先端のハードコアを産み出し続けている。
この悪意の暴力を早くフルアルバムのサイズでリリースして欲しい。それは間違いなく新たなる時代を切り開く一枚になる筈だ。
■In My Book/ANYO
激音フリークスの間では2016年にリリースされた大阪の激重神ことSecond To Noneの1stアルバムにボーカル4hoがゲストボーカルで参加した事で話題を呼んだANYOであるが、2018年元旦に突如として新作EPである今作を配信リリースした。
ハードコアからギターロックまでと本当に幅広いバンドと共演し、多方面から絶賛の声を惜しみなく浴びる大阪が誇る正しき突然変異ことANYO。今作はANYOがネクストフェーズへと突入した事を告げる快作に仕上がった。
ボーカル・ギター・ベース・ドラムというスタンダードなバンド編成からPortisheadからfra-foaとREDЯUMまで行き来し、独特の妖しい空気を纏い続けて来たANYO。今作ではよりトリップホップな方面へと舵をとっている。
ドラムとベースは淡々と冷酷なビートを作り上げ、多数のエフェクターで幻想的な音色を積み重ねるオーロラの様な感触のギター。至って最小限の音でアンサンブルを構築し、ミニマルから最大の効果を生み出していくANYO節は今作でも健在。
サウンド面だけでも非現実的な耽美な空気を見事に作り上げているが、それを決定的な物にしているのは4hoのボーカルだ。
これまでの作品はバンドサウンドの肉感的な感触もあったが、それを排除し人間味を無くした音に人の体温を与え続ける4hoのボーカルはANYOを語る上で絶対に外せない。
決してポップス側の歌物では無く、一聴するとアバンギャルドで実験的でもあるANYOの音を歌物として成立させるだけのボーカリストとしての力量は素晴らしく、儚く美しく神々しい声が音とシンクロし、よりドープなダークサイドへと聴き手を連れ去っていく。
緊張感を保ちながら酩酊を繰り返し、重苦しい空気のまま沈んでいく事が心地よく感じさせる。分かりやすい鋭さでは無いのかもしれないが、聴き手にアメーバの様に浸透し、犯し、病巣の様に巣食うANYOは非常に危険な音だけを奏でている。特に第5曲「I」は今作でも屈指の名曲だ。
美しさと暗さと深さ、その三点を徹底的に追求し、エクストリームミュージック以上の危険さ、ポップス以上の歌物、ポストロックやシューゲイザー以上の美しい構造美、非現実の世界へと誘う片道切符だ。
Portishead辺りのトリップホップは勿論、fra-foaやREDЯUM辺りの00年代初頭の女性ボーカルオルタナティブ、現在のTHE CREATOR OF辺りが好きな人には是非とも聴いてほしい。
今作にあるのは音楽の無限の可能性と危険さだ。一度飲み込まれたら二度と戻れない。
■syrup16g COPY発売16周年記念ツアー「十六夜 <IZAYOI>」【十二夜】(2018年2月23日)@HEAVEN'S ROCKさいたま新都心VJ-3
昨年秋から彼らの1stアルバム「COPY」のリリース16周年を記念した計16本のツアーを行なっているが、そのツアーの12本目はフロントマン五十嵐隆の故郷である埼玉県北与野でのライヴ。いわば凱旋ライヴだ。
会場となったHEAVEN'S ROCKさいたま新都心VJ-3のキャパは350人とシロップの人気を考えたら明らかに小箱。そんな特別なライヴに奇跡的にチケットを取る事が出来、今回埼玉県北与野まで足を運ばせて頂いた。
さいたま新都心駅から徒歩6分ほどで会場に到着。初めて訪れたハコだが、本当に小箱で真後ろでも余裕でステージが見える。こうした環境で大好きなシロップのライヴを体感出来た事が未だに実感が湧かない。
フロアの人々からも期待が空気となって異様に伝わってくる。その時点でこの夜が特別な夜になる事を確信した。
開演の19時から約5分ほど押して客電が落ち、五十嵐隆凱旋ライヴはスタート。キックオフは「クロール」から。
冷徹なギターフレーズとビートのグルーヴが序盤からかなり好調で、フロアの熱をいきなり高める。個人的にシロップ屈指の名曲だと思う「star slave」でメランコリックな空気を生み出しながら、「冴えないコード」のざらつきと「upside down」の切れ味鋭くファンキーなアンサンブルと不穏さでシロップだけの空気を既に形成。
この日は各楽器隊のアンサンブルのキレがかなり好調で、3ピースの美学を凝縮したかの様なアンサンブル、五十嵐自身の気合と気迫が見事に組み合わさり、バンドとしての状態はかなり好調に見えた。
ドラム中畑のMCで「今日はがっちゃんがどうしてもやりたい曲をやる。」との言葉に一気に湧くフロア、五十嵐が何故かスギちゃん風に「やっちゃうよー!」なんて言ってたのも妙に印象深い。
埼玉が生んだバンドでありながら埼玉でのライヴは実は2回目だなんてMCもあったが、五十嵐本人からかなりハッスルしたテンションが伝わってきたのは嬉しかった。
「これで終わり」と「赤いカラス」でセンチメンタリズム全開な空気を生み出しながら、五十嵐の「頭使って行きましょう。」の言葉からの「前頭葉」で加速するギア、印象的な倍音の効いたベースのイントロから雪崩れ込むアンセム「Sonic Disorder」と中盤に差し掛かり、場の熱量が一気に高まる。
「前頭葉」から「Sonic Disorder」の流れはロックバンドとしてのsyrup16gの実力が遺憾無く発揮されてた瞬間でもあった。
五十嵐自身が「今日はライヴハウスのオーデション受けてた頃の気持ちです。皆さんが審査員というかライヴハウスの人って感じで…」といった旨のMCをしていたが、バンド側と客側双方の熱がぶつかり合い確かな化学反応を起こしていた。
厳格な緊張感もあったが、その中にある不思議と暖かい空気、本編後半は特にそうした空気が充満し、そんな中で鳴らされた「翌日」は特別な意味を持っていた。
本編終盤の「落堕」では五十嵐ハンドマイクも飛び出し盛り上がりも最高潮を迎え、「変拍子」、「光なき窓」で本編は終了。
アンコールは再び厳格な緊張感の中で「無効の日」から。まさかやると思わなかった「君のかほり」、「もういいって」と厳格系ファンなら大歓喜なまさかの選曲。
「Drawn the light」「真空」とアンコールラストは必殺のキラーチューンで締めくくり。
「Drawn the light」の時は五十嵐のボーカルも叫ぶ様な切迫感溢れる物になっており、異常なまでのエモーションのままアンコールは突き抜けた。
アンコールを終え客電が点きBGMが流れても全く鳴り止まない二度目のアンコールを求める拍手。それに応え恐らく予定されてなかった二度目のアンコールはこの日の一番のハイライトだった。
まさかまさかの「エビセン」という二度とライヴでやるなんて思ってなかったsyrup16g の裏の大名曲をプレイ。
セミアコの寂しい空気感を纏ったギターの音色と最小限まで絞り込んだシンプルなビート、水色と青紫の照明もあって幻想的な空気感が尋常じゃなかった。
この日全体に言えることでもあるけど、ヘヴンズロック側の照明もこの日は良い空気を生み出しており、小箱のライヴだからこそのリアルな温もり、それに反する時は幻想的な空気感、視覚面もシロップの楽曲と見事にシンクロしていた。
最後の最後はアンセム「生活」で締めくくり。この日一番の盛り上がりで約2時間のライヴは終了。開放感とポジティブなエネルギーに満ちて締めくくられるシロップのライヴはこれまで体感したシロップのライヴの中でも初めてで、それが本当に嬉しかった。
セットリスト
1.クロール
2.star slave
3.冴えないコード
4.upside down
5.これで終わり
6.赤いカラス
7.前頭葉
8.Sonic Disorder
9.夢みたい
10.センチメンタル
11.開けられずじまいの心の窓から
12.翌日
13.落堕
14.変拍子
15.光なき窓
en1.無効の日
en2.君のかほり
en3.もういいって
en4.Drawn the light
en5.真空
en6.エビセン
en7.生活
二度目のアンコールの時の五十嵐のMCで「少しでも良い顔でそこの門をくぐって表に出てもらえたら嬉しいです。」とあったが、これまでになくシロップ自身が聴き手と向き合い、ポジティブなエネルギーを発してた事を象徴する言葉だったと個人的に思う。
五十嵐の故郷でのライヴという特別な事実もあるのかもしれないが、そうした事実を抜きに、シロップとフロアの客が確かにコミュニケーションを取り、双方の熱量が特別な空気を確かに生み出していた。
普段は大してMCをしないバンドなのに、五十嵐がいつになく饒舌にMCをしていた事や曲間に「北与野ー!!」なんて煽りをしていて、これまでライヴと映像で触れ続けたシロップのイメージが大きく変わったりもしたが、それはsyrup16gが今こそバンドとして最高の状態である事の表れなのだろう。
シロップが終わった2008年3月1日の武道館からもうすぐ10年が経つ。
あの日墜落したsyrup16gが奇跡の生還を果たし、過去も今も未来も全てやけっぱちだけど前向きな空気で新たなる足跡を刻み続けている事実。僕はそれが本当に嬉しい。そんな十二夜でした。
■孤高の存在/ANODE
インディーズ レーベル (2007-10-01)
売り上げランキング: 886,236
多くの人は日本国内の激情ハードコアと言うとenvy、killie、heaven in her armsといったバンドを思い浮かべると思う。
それらのバンドは素晴らしいバンドであり、シーンを作り上げた立役者であるが、それらのバンドと全く違う位置にあるバンドもシーンを作り上げたのも事実であり、メインストリームの文脈から外れた位置にあるバンドもまた確かな文脈を作り出している。
かつてANODEという本当に素晴らしい激情ハードコアバンドが存在した。今作はそんなANODEの07年リリースの1stフルアルバム。COSMIC NOTEとKAFSの共同リリースの全7曲入り。
アルバムタイトルは「孤高の存在」。とんでもないタイトルを自らの作品に冠しているが、ANODEは本物の孤高の存在であると今作を聴けば分かる。
僕自身はANODEが墜落してから彼らの存在を知り、リアルタイムで追えなかった身だが、何度今作を聴いてもANODEの中に存在する文脈や影響が本当に分からない。
決して奇をてらったサウンドスタイルではなく、むしろストレートな激情ハードコアを鳴らしているが、「◯◯っぽい。」とか「◯◯の影響を受けている。」といった要素がANODEには全く無い。
ただ一つだけ確かなのはANODEは紛れもなくハードコアパンクの真髄を鳴らしている事だけだ。
ツインギターの悲哀に満ちた独自のメロディ、苦悩や葛藤を曝け出し、世界と対峙する言葉の数々、異常なまでに緊張感に満ちた空気。
厳格極まりない音と言葉は快楽的な退廃感とは全く無縁であり、研ぎ澄ませた精神を真っ直ぐに解放するのみである。
激情と美しさの狭間にありながら、洗練とは無縁で泥水の中をひたすら泳ぎもがく様な激昂のノンフィクションをANODEは描いている。
ANODEは09年にこちらも大名盤である2ndアルバム「負の新種」をリリースし、その直後に墜落してしまった。
しかしANODEは文字通り孤高の存在として今なおフリークスの心の中で生き続けている。
他所からサウンドスタイルを借りパクなんかせず、自らのハードコアパンクを突き詰めた結果、似ているバンドが全く存在しないANODEだけの表現が今作には存在している。
ANODEが鳴らすハードコアパンクは魂で触れなくてはいけない切迫感と厳格さがある。
00年代日本という時代を駆け抜けたANODEは、決して忘れ去られてはいけない存在だ。その存在が消滅した現在だが、多くの人々に語り継がれるべきバンドだ。
■Mensch, achte den Menschen/死んだ方がまし
死んだ方がまし (2017-04-08)
売り上げランキング: 393,186
死んだ方がまし。本当にとんでもないバンド名だ。
人間なら誰しもが死んだ方がましって感情を抱いたことは一回どころか何回もあるだろうが、それをバンド名として冠している時点でこのバンドはただならぬバンドである。
2012年に結成されたTokyo Blue Days Punkこと死んだ方がましの2017年リリースの待望の1stアルバムである今作は怖いくらいにロックの本質だけを掴んでしまった大名盤だ。
正統派ニューウェイブ/ポジパンサウンドを基軸に、時にはみんなが大好きな往年のV系やSSE周辺のバンドのテイストも感じさせるサウンドはロックとしては勿論、パンクとしても何一つ現在の主流になっているものとは全く別の位置にあり、下手したら逆行的でもある。80年代に名を馳せたアンダーグラウンドのパンクバンドの全てを凝縮したかのような音だけを鳴らしている。
そしてハイトーンで文学的に吐き捨てられる言葉の数々は何一つ救いなんかありはしない。絶望や虚無といった感情を余計な装飾抜きに並び立てられている。
それが妙に耳に残るメロと痙攣しながらループするギターフレーズと変則的なビート、躁鬱を終わりなく繰り返すような音と共にズタボロに聴き手を切り刻んでいく。
そもそもロックは勿論、音楽は誰も救わないし、世界を変える事なんてまず不可能だ。
だからこそ世界が空虚になればなるほどにロックの意味が問われる筈だ。
今作はどうせ世界も滅ばねえし、誰も殺すことも出来ないんだから、このまま一人孤独に死んでしまってやるというロックの一番危険な感情をパッケージしている。
だからこそ一時的な物だとしても、そうした感情を抱えている人には何処かで届くのかもしれない。
ディストピア完成間近を迎えている現代の日本。頭を空っぽするを通り越して白痴にすら陥ったポジティブの押し売り、「僕は病んでる君の事を理解しているよ」と嘯き続ける安い絶望のチラ裏、Twitter映えばかり狙ってRT数が稼ぎたいだけの表現もどき、それら全部このバンドに焼き払われてしまえとすら僕は思った。
共感だとか共有だとか上っ面の理解者ごっこなんて糞食らえとばかりに自爆テロだけを死んだほうがましは続けている。これでもかとばかりに大半の奴らが見て見ぬフリを続けている病巣を暴き続ける。
「狂ってるのは俺じゃなくてお前らだ。」とばかりに発狂した感情と音を投げつけてくるが、実は誰よりも正常な感受性を通過した上で鳴らされているからこその表現なのかもしれない。
そして誰にも寄り添いもしない。腐りきった世界だけを暴く。
日に日に空虚化していく現代社会に痛烈なカウンターを食らわせる今作は、外側も内側も焼き払って自爆する様なカタルシスすらある。
だからこそ僕は何度も今作をリピートしてしまうのかもしれない。
■suicide note ep/agak
document not found、tetola93、doopamin、union of snakes、FADELESS DECISIONのメンバーが在籍している事で、激情ハードコアフリークスからは前々から注目を集めていたagakの2017年リリースの初の正式流通音源。
日本国内でも激情ハードコアという音楽は黎明期をとうの昔に終え、音楽的には一つの到達点を通過し、人によっては過渡期に入っていると感じる人も多いかもしれないが、agakからはその事実と向き合い激情ハードコアを次のフェーズへと更新しようとする気概を感じる。
日本国内でも激情ハードコアという音楽は独自の進化を遂げ、USや欧米諸国と違う日本独自の文脈を確かに確立しており、agakは間違いなくその文脈にあるバンドだ。
それこそメンバーが在籍していたTetola93は日本じゃなければ生まれる事の無かった激情ハードコアであり、USや欧米諸国の激情ハードコア以上に陰鬱でヒステリックな悲壮感こそ国内激情ハードコアの一つの武器だと僕個人は感じたりもする。
agakを語る上で、悲壮感というワードは絶対に外すことの出来ない物であり、ツインギターが織り成す陰鬱なギターフレーズの数々はagakの肝とも言えるだろう。
楽曲はヴァイオレンスなビートダウンや変則的な曲展開を盛り込み、時にトラディショナルなハードコアを独自に解釈したかの様なフレーズも飛び出す。
ドロドロとドス黒い混沌の中から悲哀を感じるメロディが楽曲を引率し、メロと多展開という二つのフックが見事なバランスでガッチリ組み合わさり、そこに日本語詞の痛々しい叫びが乗る。
第5曲「循環」は特にagak持ち味が一番堪能出来る名曲となっている。
プログレッシブさと黒さも魅力的な作品であるが、それ以上に印象的なギターフレーズとメロディが研ぎ澄まされた傑作となった。
ANODE、STUBBORN FATHER、langといった日本独自の文脈の中だからこそ生まれた激情ハードコアは確かに存在する。
それらの素晴らしいバンドと同様にagakもメンバーのキャリアは勿論、新しい文脈の中で生まれた素晴らしいバンドである。
今作はコンパクトなEP作品であるが、今後リリースされるだろうフルアルバムは国内激情ハードコアの新たなclassicとなり得る怪作になる予感を孕んでいるって期待も高まる素晴らしい作品だ。
■消える世界と十日間/それでも世界が続くなら
ベルウッドレコード (2017-07-26)
売り上げランキング: 7,467
それでも世界が続くならというバンドほど不器用なまでに普通なら見たくない事を暴こうとするバンドはいないと思う。
結成から現在に至るまで人の痛みとリアルを愚直なまでに歌い続けて来たそれせかの2017年にリリースされた7thアルバムは「一人の人間の人生を、よりリアルに音楽に閉じ込める」ことをコンセプトに、篠塚が約十日間に渡り楽曲を作り上げたドキュメント作品となっている。
これまでの作品同様にほぼ一発撮りでライヴでの空気感をそのまま音源にした様なサウンドプロダクトに仕上がっているが、今作ではそれがより作品のコンセプトにリアリティを与えている。
並べられた楽曲こそ様々な表情を見せるが、どの楽曲もこれまで以上に「暴く」という事により大きな比重が置かれている。
楽曲そのものはポップであり、歌物としてのクオリティが凄まじく高いにも関わらず、それをズタズタに切り裂くノイズギターとざらついた音と言葉の数々。作品が進んでいく程により突きつけられる感覚に襲われる。
鋭角なノイジーさがバーストする新たなキラーチューンである第1曲「人間の屑」、繊細なアンサンブルの静けさからドラマティックに轟音がバーストする第7曲「消える世界のイヴ」の二曲からは特に痛みを乗り越えた先を生きることを新たなる犯行声明として歌う楽曲も魅力的だが、僕個人は第4曲「正常」と第9曲「水の泡」の2曲が特に今作の核となる楽曲だと思う。
風俗嬢も 警察も 詐欺師も 先生も
言いたい事は同じ 金を稼げ
正常/それでも世界が続くなら
残酷なまでに綺麗事抜きの真実を死刑宣告の様に歌う「正常」はそれせかの持つバンドとしての本質が特に表れた楽曲だろう。
「水の泡」も同様だが、当たり前に横たわる見たくもない聞きたくもない真実を突きつけ暴くのがロックである事からそれせかは逃げていない。
耳触りの良い言葉を選ぶのなんて本当に簡単で、世の中なんて綺麗な言葉だけを欲しがる人間ばかりだ。そんな人間相手に教祖様になればもっと売れるし、もっと金も稼げる。
じゃあそれせかは何故それをしないのか。まだ正常でありたいからこそ、狂った事が当たり前になってる事を暴き続けるしかないのだ。
今作も楽曲の完成度自体とんでもなく高く、純粋にギターロック/オルタナティブロックとしてのメロディセンスの凄まじさもそうだが、そんな楽曲に乗る言葉は普通なら選ばれない言葉ばかり。だから暗くて重く、聴き手を本当に選ぶ。
だからこそ聴き終えた後に聴き手の心に確かな楔を打つ。だからそれせかはロックの本質だけを常に掴み続けるのだ。
■さよならノスタルジア/こうなったのは誰のせい

神戸を拠点に活動する若手ダウナー系ギターロックバンド、こうなったのは誰のせいのタワーレコード限定リリースデビューミニアルバム。
プロデューサーとしてそれでも世界が続くならの篠塚将行を迎えている事からこのバンドを知ったが、若手バンドながら既に高水準の音を完成させている。
00年代初頭頃の内省的なギターロックの空気感とマスロック・ポストロックを融合させたサウンドは残業レコード辺りのバンドの空気感と近いものを個人的に感じるが、このバンドはより痛みや後悔といった感情をストレートに歌い上げている。
目まぐるしく繰り出されるタッピングフレーズと変則的なリズム隊のグルーヴのプログレッシブなサウンドが展開されているが、そうしたテクニカルさ以上に、Vo.Gtのカイトが歌い上げる個人的感情の生々しい痛みが響く。
変態的サウンドとは裏腹に収録されている楽曲はどれも哀愁のメロディと歌が全面に押し出されており、その対比がこのバンドの魅力だ。
一寸の隙の無いアンサンブルが時にノイジーに変貌し、うずくまった感情をそのまま音にした様なサウンドは生々しいザラつきと共に美しく響き渡る。
第5曲「拝啓」の様なアコギ弾き語りの楽曲を聴くと分かるのが、あくまでも歌とメロディを軸にした上で、技術先行型ではなく表現の為のプログレッシブなアプローチをこのバンドが展開している事。
変態的なフレーズの数々も印象に残るが、それ以上に歌と言葉が脳に残るのはこのバンドの持つ内省的個人的感情としてのロックが確かなリアリティと共に確かに伝わるからだ。
鋭いサウンドアプローチの中に潜むアメーバの様に聴き手に忍び込み、気付いたら浸透し毒となり麻薬となる様なサウンドは青紫色の美しさと醜さが同居したものであり、聴き手の数だけ後悔や諦念といった感情に訴えかけて来る。
残業レコードを代表する伝説的バンドthe cabsが持っていたポストハードコアの域まで迫る鋭角の鋭さも、プロデューサーを務めた篠塚のそれでも世界が続くならの持つ見たくない事や聞きたくない事をノイジーに暴く様な生々しさもこのバンドには確かに存在している。
この生々しい痛さと重さは人を選ぶかもしれないが、今の時代だからこそ、感受性が豊かな人には確かに届く作品になっている。
00年代ギターロックが青春だった人は勿論だが、今の時代だからこそこうした音が若いリスナーに届いて欲しいと願う。
今後が楽しみなギターロックバンドが久々に登場した事が僕は嬉しい。