■2019年12月
■STUBBORN FATHER/STUBBORN FATHER
3LA LongLegsLongArms Records (2019-04-04)
売り上げランキング: 150,087
このアルバムを初めて聴いた時、脳内の細胞という細胞が焼き切れそうになる程の興奮を覚えた。
同時に重く後味の悪い映画よりも残酷な現実を突き付けられた様で絶望的な気持ちになった。
興奮と絶望が入り混じる感覚がずっと抜けず、リアルに体調を悪くしてしまう程に。
だけれど、このアルバムを聴いて感受性がフル稼働していたという事実、必死でその音を喰らおうとしていた自分がいて、自分が人間をまだやめていなかったことに嬉しくもなった。
今作は大阪が誇るハードコアパンクバンドSTUBBORN FATHER(以下スタボーン)が結成20年目に放つ1stアルバムであり、日本のハードコア史に残すべき大傑作となった。
20年に渡る長い歴史を持ち、フルアルバムこそリリースしていなかったが数多くの音源を残したスタボーンの集大成とも言うべき作品であり、同時に2018年7月にバンドを卒業したベーシストMorishitaが参加した最後の作品でもある。
サウンドエンジニアにはnemuの音無氏を迎え、スタボーンの持つ世界観を純度100%で体現。
今作は一言で言えば創造と破壊の象徴と言えるだろう。
ジャパニーズハードコアをルーツに持ちながら、作品を重ねる毎にエモヴァイオレンスの要素を色濃くし、最早激情ハードコア・エモヴァイオレンスと言った言葉で語ることは不可能となったスタボーンは衝動のままに新たな道を切り開く。
極限まで汚らしいサウンドミックス、荒々しい粒の音が吹き荒れながらも感じさせる美意識。
CamelのDビートとブラストビートが咲き乱れ、Morishitaのガレージパンクなジャリジャリのベースが暴走し、哀愁や美しさ以上に不穏さが際立つクリーントーンと変則的で多展開なディストーションフレーズを常識の外側から織りなすFukusukeのギター、そしてカリスマボーカリストShigeが狂った現実を暴き叫ぶ。それらの持つエネルギーは化物どころの話ではない。
楽曲はどれも既存のハードコアから逸脱し、過去の楽曲よりもスケール感が増幅されている。
美と激がリミッターを振り切り暴走し、混沌と呼ぶにはあまりにも生々しいリアリティを叫ぶ第一曲「間物」の時点で今作の異常なエネルギーに平伏す。
ギタリストFukusukeの作り出す唯一無二のカオティックかつフックに満ちたフレーズが剃刀の様に切り刻む第二曲「工程」。ex.ANODEの鈴木氏がゲストボーカルとして参加し、スタボンにとって鬼に金棒となったANODEの名曲カバーである第三曲「隠された太陽」。
それらの新曲群に加え、新たに再録された過去の楽曲たちも違和感なくアルバムに馴染み、作品全体に全く隙は見当たらない。
個人的に今作の一番の核は第七曲「陽極」から第八曲「火曜日」の流れにあると思う。
スタボーン史上最もカオスでありながらストレートであり、哀愁が渦巻き、叫びの中から希望を歌う様な言葉の数々が反逆のエネルギーを増幅させるアンセムである「陽極」と、これでもかと現実と対峙する事を突き付ける今作で最も緻密で変則的で断罪的な「火曜日」の2曲はスタボーンが放つ怒りを全く違う形で体現している。
狂った世界に鉄槌を下す様な「火曜日」は個人的に今作のベストトラックだ。
壮絶と呼ぶことすら生温いとすら感じる今作のラストを飾るのはAUBEの中嶋昭文氏が遺した無機質な電子ノイズが使われた「お前は燃えない塵のまま」だ。
今作は何一つ感動的なエンディングを迎えない。最後の最後に狂い続けるクソッタレな世界の絶望を無修正のまま突きつけてくる。
どんな残酷なフィクションよりも救いも逃げ場もないエンディングに直面した時、きっと貴方は何を感じるのだろうか?
アルバムがリリースされてから何度も何度も今作を聴きまくったが。不穏さと激情の狭間には、現実という化物に対して何度でも立ち上がり反逆する圧倒的なエネルギーと、それでも襲い掛かる現実に対する絶望の正面衝突が存在している。
極端にRAWな音は、綺麗に装飾された物語に対する反逆の様でもあり、同時に人間らしさが存在する。
今作にはユートピアも花園も存在しない。あるのは誰しもが生きていく中で逃げることの出来ないリアルだけだ。
そして人間であり続けるという強い意志が覚醒の先に到達した瞬間、確かに見える景色があるだろう。
哲学的でありながらストレートに怒りを吐き出す言葉がこれでもかと記された歌詞カードをしっかりと眺めながら聴いて欲しい。
バンドは現在、新メンバーにKokeとSankonを迎え、5人編成で新生STUBBORN FATHERとして新たな歴史を生み出し始めている。
お前たちがまだ人間をやめていないなら、この音を全感受性で喰らい尽くせ。
■Nightmare Deja Vu/Black Market
岐阜県を拠点に活動するドゥームトリオBlack Marketの2017年リリースの1stアルバム。
岐阜・愛知でドゥーム系バンドを集めた自主企画「DOOMSDAY」を定期的に開催し、その活動は精力的だ。
そんな彼らのドゥームロックは非常に突然変異的なものであり、今作を聴くとそれは十分に伝わるだろう。
Black Marketのサウンドの特徴として極限まで下げられたチューニングがまず上げられる。
ギターというよりは最早ベースの様な感触すら覚える程にチューニングは下げられており、ベースの方もかなりヘヴィな音を放つ。
まるでツインベースの低音が容赦なく圧殺していく様なサウンドプロダクトになっている。
しかしBlack Marketの音は決して拷問系ドゥームにはなっておらず、寧ろ純粋なヘヴィロック的でもある。
ギターリフがあくまでもロックを起点にしたものであることもあり、ギターソロではそのヘヴィさよりも煙たさや土臭さの方が際立ち、極悪な低音リフと見事に対比を描いてる。
それに加えてボーカルが非常に耽美で退廃的なのも大きな特徴だろう。
歌詞こそは英語詞ではあるが、不思議と歌謡曲的な歌メロが感じられる。
愛知のドゥーム御大ETERNAL ELYSIUMもドゥームサウンドの中から日本の古き良きロックサウンドのメロと歌心があるが、Black Marketの場合はもっとポップな印象だ。
音はドゥームロックらしく非常にダーティであり、使われてる音階は呪術的で正にDOOMSDAYな感触であるが、トータルの楽曲バランスの良さと、極端なサウンドプロダクトの中でもメロを想起させる手腕がある。
第一曲「Screaming Of Madness」や第二曲「Nightmare Deja Vu」の様なエクストリームなヘヴィさから狂気的な美しさを感じさせるBlack Market印な楽曲も非常に魅力的であるが、個人的には第四曲「Grief」が特に素晴らしいと思う。
哀愁へと突き抜けたメロウさはヘヴィさを凌駕し、汚しさの中での美しさを歌とメロディから感じさせてくれる。
エクストリームな方向に振り切りつつも、それを垂れ流しにするのではなく、確かなフックを持つバンドは強いが、Black Marketはその中でメロディと歌を大きなフックとし、極端なヘヴィさを下地にそれらを絶妙に活かしてくる。
サウンドスタイルとしてはドゥームロックとして見てもかなり異端ではあるが、そのオリジナリティをロックへと回帰させたのが彼らの持ち味だろう。
岐阜という土地から生まれた突然変異型ドゥームロックは東京や大阪のバンドとは全く違う物がある。
■emiT Deep/Warter
東京を中心に活動するインストドゥーム・ストーナー3ピースWarterの2019年リリースの2ndアルバム。
録音・ミックス・マスタリングは愛知が世界に誇るドゥーム御大ことETERNAL ELYSIUMのYukito Okazakiが手掛け、Warterのサウンドを生々しく拡張することに成功している。
今作は「Emit」と「Deep」の2曲のみが収録された作品だが、共に10分超えの大作となっており、たった2曲で32分とかなりコンセプチュアルな作品となっている。
それぞれが全く違うアプローチをしており、Warterがドゥーム・ストーナーに留まらない多様性を持つ非常に音楽的なヘヴィロックバンドであることを体現した作品だ。
作品の前半を飾る「Emit」は実に18分にも及ぶ超大作。
楽曲の前半は密教的な音階のヘヴィなグルーヴとクリーントーンの繊細な響きのコントラストが印象的だ。
Warterの大きな魅力としてヘヴィさと繊細さの押し引きの絶妙さがある。
ヘヴィさ一辺倒でも美麗さに終始するわけでもなく、ドゥーム・ストーナーを基軸にしながらポストロック・ポストメタル方面へもリーチするサウンドを構築し、反復するリフとグルーヴ、その中で各楽器が小技を駆使して色合いを加えていく。
楽曲の終盤では一変して繊細さを捨て去った剛腕ストーナーサウンドを展開、楽曲構成がドラマティックだからこそ大胆なサウンドの変化も違和感が無く、静謐さの中で抑圧されたエネルギーが開放されるカタルシスが本当に気持ちがいい。
作品を後半を飾る「Deep」はよりポストメタル方面へと接近したサウンドを展開。
タイトに刻まれるリフとグルーヴ、美しくも不穏に揺らぐメロディ、中盤でベースのみのインプロ的な展開すら飛び出す。
この楽曲はメンバーそれぞれの職人肌なサウンドアプローチが見ものだが、何度も聴きかえす程に新たな発見がある。
本当に瞬間的ではあるが、ギターの刻みの合間合間にパワーヴァイオレンスなテイストを感じさせるフレーズが挿入されていたり、ベースのエフェクトの変え方の巧みさや、ドラムのタイトな肉体性など3ピースで限界まで音を突き詰めている。
特にラスト3分の轟音のカタルシスは圧巻。ノイジーなギターまで挿入され抗うことの不可能な混沌へと雪崩れ込む。
そしてあまりにもタイト過ぎるキメで昇天。最後の最後のディレイの残響音すら美しく表現へと変えてしまっている。
Warterというバンド名やジャケットのアートワーク同様に、人間が抗えない神秘的な世界観が作品全体に充満している。
時に暴力的に、時に静寂で聴き手を包み込むように、その音の形を長尺の楽曲の中で変幻自在に操っていく。
ドゥーム・ストーナーからより多方面へとアプローチしたサウンドは、ドゥーム・ストーナー愛好家だけでなく、ポストロック・ポストメタル方面の美轟音好きにも見事にリーチするだろう。
激渋な職人技が光るタイトで壮大な一枚だ。
■Mother/COCK ROACH
美しく黒光りするゴキブリが14年振りにカサカサと動き始めた。
遠藤仁平・本田祐也のオリジナルメンバーにex.me-al artの本多直樹・海老沢宏克を新メンバーとして加えた新体制で制作された今作は実に14振りとなる新生COCK ROACHによる4thオリジナルアルバムである。
そして過去の3枚のオリジナルアルバムを超えたバンドの最高傑作となった大名盤だ。
COCK ROACHというバンドは00年代の日本のロックシーンに於いて間違いなく異質な存在であった。
当時のラウドなロックの流れを汲んでいるバンドではあったが、宗教的な音階を多用し、複雑にうねるグルーヴを描き、徹底して生と死を歌い、時には触れることすら躊躇するタブーにすら切り込んでいくバンドだ。
その音と世界観は多くのフリークスたちを虜にし、絶大なる支持を集めた。そして今回の再結成も多くのフリークスたちに歓迎された。
そんな唯一無二の存在が2019年に生み出した最新作はこれまでの作品の流れを汲みながらも、バンド史上最も優しい作品である。
「Mother」というアルバムタイトルを冠しているが、今作ではあらゆる生まれ育った場所に対する想いが歌われている。それを総じてのアルバムタイトルだろう。
地球、母国、家族、生命、宇宙といったミクロからマクロまで人間を取り巻く全てに対する愛を歌う作品である。言うなれば人間コアそのものだ。
アルバムを通して聴くと確かに解散前の過去のCOCK ROACHも存在する。
第三曲「電脳双生児顕微鏡狂想曲」と第五曲「炎国」は本田氏の手数の多い動き回るCOCK ROACH無事全開なベースは勿論、不穏な音階をラウドなサウンドでフック強く繰り出し、遠藤氏の声と言葉が血塗れの世界を作り出す。過去を知る人からしたらニヤニヤしながら拳を突き上げたくなるだろう。
しかしアルバム全体で過去を思わせる要素はあまりなく、実際のところCOCK ROACHがその世界観をさらに突き詰め全く新しいバンドとして生まれ変わったと言える。
ラストシングルとなった「ユリイカ」が今回再録されているが、かつては仄暗い絶望を想起させた楽曲がその先を希望を思わせるアレンジが施され、過去の楽曲を更新することにより今を表現している。
アルバム後半の楽曲は正に新生COCK ROACHの真骨頂だろう。
第六曲「新進化論エレクトロニカルパレーダー」は大胆に打ち込みを導入し、過去の多くのおぞましい楽曲達よりもさらにおぞましい不気味さを生み出す。
生命の輪廻とエゴを歌い、何度も「我々は黒虫」と叫ぶ。
その流れからCOCK ROACH史上最もストレートなバラードである第七曲「海月」へと続く。何一つおぞましさも装飾もない優しいメロディと共に生命への祈りと愛を遠藤氏がストレートに歌うこの曲は最初聴いた時、本当に衝撃を受けた。
そして今作一番のハイライトは第八曲「花と瓦礫」だ。
ピアノとストリングと電子音の最小限の音が大半を占め、歌われるのはあまりにも残酷で誰しもがぶつかる死についてだ。
現実は想像や妄想よりずっと残酷であることを突きつけながらあまりに美しく儚い言葉。遠藤氏の歌が殆どを占めながらも、その歌の力だけで聴き手を引き込み、後半のバンドサウンドのドラマティックさへとなだれ込んでからは本気で涙なしでは聴けない。
55分に渡って描かれるあらゆる「母」への想いを描いた今作は過去のCOCK ROACHを想像したら意外過ぎる作品かもしれない。
同時に今作はCOCK ROACHを再結成させなかったら絶対に生まれなかった作品でもある。
ex.me-al artのメンバー二人が新メンバーとして加わり、me-al artを想起させるサウンドのテイストも加わったのもあるが、二つのバンドの過去を確かに受け継ぎながら、それを今の音として鳴らしている。
14年の時を経て、あらゆる物が大きく変化した。今作はそれらを全て受け入れてもいる。
だからこそゴキブリがかつて描いたある種宗教的な生死の世界ではなく、もっと壮大でありながら、もっと人間の普遍的な核に迫る作品を生み出したのだろう。
今作は本当に優しい作品である。人間の持つ体温の温もりを感じさせる作品だ。
今作を聴いて何度も流しながらも、僕は確かに愛を感じ取った。
間違いなく2019年一番の大名盤。時代を超えて甦ったゴキブリは全ての人々を音楽で愛することを確かに選んだのだ。
■burning pork/North by Northwest
不穏、狂騒、見知らぬ顔ばかりの雑踏。そんな空気を強く感じる音だ。
老人の仕事企画に大抜擢され、今年に入ってから名前を徐々に広めている神奈川武蔵小杉エリアの22歳と23歳のメンバーによって構成された3ピースインストスラッジコアバンドNorth by Northwest(以下NBNW)。
今作はそんなNBNWの2019年にbandacmpにて配信リリースされた初音源。
この初音源の時点で既にとんでもない完成度を誇っている。
?
NBNWはスラッジコアを超え、ハードロック/ヘヴィロックを世代も国も超え、独自のフィルターを通し新時代へと放つバンドだ。
サイケデリックロックもポストロックもこのバンドには同居し、決して音の情報量こそ多くないが、その音の一音一音が持つ強さが魅力的である。
しばき上げる様に叩きつけられるドラム、不穏なままメロディラインを弾くベース、クリーントーンのサイケデリックなメロディも鉄の塊のリフも60年代へワープする様なギターソロも変幻自在なギター。この3つの音だけで全てが完成している。
NBNWは足し算で音を構築していない。分かりやすいヘヴィなパートは決して多くない。
このバンドの肝はクリーントーンのパートの不穏さに尽きるだろう。
最小限の音で余白すらサイケデリックに変える引き算の美学。その中で熱を上げてくドラマティックさ。静寂と爆音のコントラストが生み出すざわつき。
言葉がない音楽なのもあるのかもしれないが、それでもそれぞれの音が雄弁に歌っている様にも感じる。
勿論ヘヴィなスラッジパートでの音は凶悪そのもの。3人の演奏が息ぴったりにぶつかり合い、そこからギターが時空を越える必殺のソロをぶちかまして来るのだから血の昂りが止まらなくなる。
特に必聴なのはタイトル曲にもなっている第二曲「burning pork」とラストを飾る「old stone age」だろう。
前者は前述したNBNWの持ち味がこれでもかと詰め込まれた楽曲であり、後者は今作で一番のサイケデリック絵巻。ヘヴィロックの可能性を見せつけてくれる。
イケメンギターヒーロー黒川、美少女サイケデリックベーシスト櫻井、狂人パンクドラマー小池とメンバー3人のキャラクターも強く、そんな3人が問答無用のガチンコでぶつかり合うライヴは是非とも体感してほしい。
アートワークこそ深緑で埋め尽くされているが、僕はNBNWは荒凉とした都会の空気の中で聴くとより一層映える音だと思ったりする。
NBNWは純粋なサウンドのヘヴィさ、時代を超えたヘヴィさもあるが、現代を生きる不穏さと狂騒が織りなすヘヴィさも想起させる。でもきっとこのバンドのサウンドは聴く人の数だけ様々なイメージを膨らませてくれる。
問答無用で食らわせてくる模範回答のないヘヴィロック。僕は全力で支持したい。
■BLACK BABEL/BB
Daymare Recordings (2019-03-06)
売り上げランキング: 157,874
鬼神達の放つ新たなる激音。何度アルバムを聴き込んでも僕の貧弱な語彙力で出てくる言葉はそれだけだった。
ex.COCOBAT、ex.BACKBONE、ex.DESSERTのRyuji(Vo)を中心にWRENCHの坂元東(Gt)、MINOR LEAGUEの駒村将也(Ba)と広野与一(Dr)という豪華過ぎる布陣によって結成されたBB。
多くのフリークス達から惜しみない賛辞を浴び続けた彼らだが、遂に待望の1stアルバム「BLACK BABEL」をリリースした。
徹底したオリジナリティを追求した激音のみが記録された今作はまさに歴史を変える一枚と呼んでも過言ではないと思う。
ヘヴィかつプログレッシブにカオスへと雪崩れ込むサウンドスケープ。複雑かつしなやかに繰り出される変拍子、その中でも決して失われないロックバンドとしてのグルーヴ。
メンバーのこれまでのキャリアと全く違う音を鳴らしながら、見果てぬ先へと突き進むのがBBの生み出す音だ。
アルバムタイトルとして冠された「BLACK BABEL」という言葉は直訳すると「黒き神の門」または「黒き混乱」という意味になるが、その言葉に何一つ偽りはない。
CONVERGEやNAILSといったバンドを手掛けたBrad Boatrightによるマスタリングがライヴでは黒いカオスとして放たれていた爆音をクリアにし、同時にライヴ同様に儀式的な空気感を再現しているのも今作の大きな聞きどころだ。
作品の方は正に44分に渡る黒の儀式と呼べるものだろう。
第一曲「INTRO」からライヴ同様に黒の門が重い音を立てながら開く。
美しいギターのメロディから爆音のビートが散弾銃の様に繰り出され、Ryujiの一発目の叫びから鬼神達の世界へと引きずり込まれる。
第二曲「SHADOWY」の引きずるギターのストロークの調べはその世界観を更に拡張させる。荒々しい砂のようなベースフレーズがしなやかに手数多く音の濁流を生み出し、トライヴァルかつ力強いドラムのビートは更に厚みを加える。
叫びとギターが混ざり合い黒を黒で塗り潰すか如き暗黒を描くが、徹底してダークでありながらもその奥底には神秘的なメロディが不思議と想起されるのも今作の大きな魅力だろう。
第三曲「SCARS」は更に美しいメロディが響き渡り、カオスでありながらロックなBB節全開のキラーチューン。
縦も横も変幻自在なしなやかなグルーヴ、テクニカルな早弾きギターソロまで飛び出してくるのは驚きだが、その中でもベースとドラムがバチバチにぶつかり合って来るからキングギドラの様な三位一体感がある。
Ryujiのボーカルもただ地獄の叫びを聴かせるだけでなく、叫びの中に神秘的な言葉を感じさせる瞬間があり、それこそがBBがただカオスなダークハードコアを鳴らすバンドで終わらないところだろう。
アルバムの終盤2曲は圧巻という言葉しか見つからないクライマックスだと言える。
第六曲「DISENGAGE」は今作の中でも特に地獄を描く楽曲であり、頭のベースのストロークの残響すら確かな必然性と美しさがある。
楽曲終盤の現世の全てを地底へと落としていく前触れの様なギターフレーズから叫びもギターもベースもドラムも圧倒的なエネルギーで爆発し、Ryujiの叫びと同時に楽曲が終わる瞬間は本当に鳥肌が立つ。辺獄へと置き去りにされる。
そしてラストの10分近くに渡る大作「FEEL」は黒の門をくぐり抜け、見果てぬ煉獄の旅路の先にある確かな救いだ。
ラスト約3分半はこれまで徹底して黒を描いていたBBが光を描く瞬間。
Ryujiのクリーントーンのボーカルはまるで祈りの様であり、最後はビッグバンの様に音が見果てぬ先へと突き進み破裂する。その瞬間、聴き手は確かな救いと共に黒の門の旅路を終える。
1stアルバムにして2010年代を代表する国内激音大傑作となった今作は、何一つ妥協を許さないオリジナリティの追求の果てに生まれ、神すらも喰らい、闇を変幻自在に操りながらその果てにある光へと導く一大絵巻だ。
カオティックだとかヘヴィロックだとかメンバーそれぞれのキャリアだけではとてもじゃないけど語り尽くせない。何度も聴き込んでも、それでも新たな発見の連続な進化の結晶だ。
BBの恐ろしいところは、これだけの大傑作を生み出しながら、これが完成形だと全く思えないところだ。
このバンドはこれから先、更なる神殺しの大激音を生み出し続ける。そんな確信すら今作にはある。
強靭かつ美しく、そして計り知れない神秘の世界。BBは全てを置き去りにする孤高の存在だ。
■void/Anise
東京を中心に活動する若手オルタナティブロックバンドAniseの3曲入り自主制作EP。
個人的にここ最近のパワーワードブームやSNS映えばかりを狙った時流のバンドに対するアンチテーゼを持つ自らの内面を血塗れのまま抉り出して食らわせる様なバンドが少しずつではあるが登場している流れを感じていて、Aniseは間違いなくそんな流れの中生まれたバンドの一つだと言えるだろう。
音楽性はグランジ通過型のRideと例えるのが一番分かりやすいかもしれないが、Aniseはそこだけに止まらない多方面へ放出する音楽性を持つバンドだと言えるだろう。
シューゲイザーを基軸に、グランジ、ハードコアパンクなどの影響も強く感じさせ、更には90年代末期から00年代初頭の日本のギターロックバンドの流れを確かに継承している。
AniseというバンドにはNIRVANAもRideもAlice In Chainsもsyrup16gもGRAPEVINEもSUNDAY BLOODY SUNDAYも同居している。そしてそれらのバンドのジェネリックではなく、Aniseが愛するそうしたバンドを自らのフィルターを通しAnise流のヘヴィな美轟音で昇華している。
今作の頭を飾る第一曲「鋼鉄の森」はよくあるシューゲイザー系のバンドでしょ?と思って聴いたら絶対に致命傷を食らうであろう。
轟音の中でグッドメロディが響く曲であるが、その質感は生々しくヘヴィなリフで攻め立てられている。
曲の中盤には下手したらニュースクールハードコアの影響すら感じさせる刻みのリフも登場、更には終盤で爆音で鳴らされる轟音の音の渦の中でこれでもかとボーカルはヘイトを叫ぶ。
Aniseの精神性は徹底的に喪失と虚無を歌っていることだ。それはサブカルクソ野郎のチラ裏に書く価値すらないようなら安い死にたい死にたいの連呼ではなくて、生きていく中での喪失感や後悔をこれでもかとばかりに歌い叫ぶ。
第二曲「Sink」は僕個人としては今作で一番好きな楽曲であり、この曲の持つメロディの魔力は病的なまでの中毒性がある。
90年代の空気を持つ録音はAniseのメロディをより増幅させ、美しいのに荒々しい音の粒に押し潰されそうになる。
Aniseの肝はヘヴィさという意味でも精神的な部分でもメロディでもそうだが押し潰されそうになる感覚だろう。
だから生半可な安いメンヘラバンドなんて尻尾を巻いて逃げ出す説得力がある。ポッカリと空洞になってしまった心に鉛を流し込まれるような感覚すら覚えて苦しくなる。
その息苦しさこそAniseの魅力だろう。自らの血を流すことすらできない輩には死んでも生み出せないリアルだ。
Aniseはまだ登場したばかりのバンドではある。だけれどAniseは見つかったらあっという間に広まり中毒者を確実に増やすバンドだと断言する。
Aniseには驚くほどに界隈感が存在しない。その音に触れただけでもどこにも属すことの出来ない居心地の悪さと、ヘラヘラとわかった顔してるアンダーグラウンド気取りの連中に対する憎しみに満ち溢れてる。
お前を殺して俺も死んでやる!!なんて無差別テロ的な殺意や衝動をAniseは昇華しているからこそ僕の心には確かに響く。
隠し持ったナイフは憎い奴らを殺すためか、それとも自分自身に突き刺すためか、それすら分からなくなる感じすらある。だからこそAniseの持つ美しい憎しみは正しい。
■のれないR&Rレコ発ライヴ二日目@吉祥寺MANDA-LA2(2019年12月21日)
割礼ワンマンライヴ二日目。前日の一日目に続きこの日を足を運ばせて頂いた次第だが、結論から言うと異次元を作り出した一日目を更に超える仕上がりのライヴとなった。
割礼はリリースこそ楽曲同様にスローペースで、今年リリースされた最新作「のれないR&R」も実に9年振りのスタジオアルバムとなったが、その9年間の間、割礼は静かに深化を続けていた。
既存の楽曲もライヴを重ねる毎に遅く重くなり、バンドというよりも割礼という未知の生物と呼ぶべきものへと変貌を遂げていた。
その深化はライヴバンドであり続け、ライヴでこそ真価を発揮する割礼だからこそだと思う。その核は割礼を10年以上追いかけてる僕の目線で見ても何一つブレていない。
そしてリリースツアーファイナルであるこの日は、現在の割礼の総決算とも呼ぶべきライヴとなった。
約10分押しでライヴはスタート、昨日と打って変わってこの日は「Into」〜「風」からのスタートとなったが、割礼の中でも比較的スタンダードなロック色の強い楽曲ですら、今の割礼の手にかかると暴力的なディストーションギターが涅槃と混沌を生み出す。その中で自然と調和が生まれ、空間すら支配する化け物となる。
続く「太陽の真ん中のリフ」にてその空気すら壊す割礼のお家芸の超スローチューンが展開。今にも止まってしまいそうな心拍数は緊張感を生み出し、ゾクゾクとした感触になる。
この日は2部構成であった前日と変わって休憩なしのぶっ通しのセットなのもあり、早々にゲストプレイヤーの村瀬氏が登場。披露された「INスト」の甘い退廃の世界は村瀬氏のパーカッションによりイメージを増幅させていく。
そこからは新作「のれないR&R」の楽曲をプレイするセットになったが「ルシファーの悲しみ」の遅さの中の速さとエモーションの時点で昨日より更に世界観が明確かつ鮮明に体現されていく。
ツアーでライヴ続きなのもあって割礼のノリが仕上がっていたのもあると思うけど、その脂の乗ったグルーヴの中で村瀬氏の音は正に鬼に金棒。
新作の楽曲群もたった一日でよりメロウに遅くなり、下手したらもはや別物だと言ってしまっても良いのかもしれないとすら思った。
特に宍戸氏、山際氏の二人のギターの歪みがこの日はダイレクトに刺さる瞬間が本当に多く、スローな楽曲の中にて切り捨て御免とばかりに観る者の首根っこを切り落としていく様な鋭さすらあった。
そしてハイライトは実に30分近くに渡ってプレイされた「溺れっぱなし」。
松橋氏のドラムと村瀬氏のパーカッションは双頭の竜の如く同じ生命体としてビートを繰り出し、最早ツインドラムどころか、同じ脳を持つ生き物がそれぞれ別の音を出しているだけなんじゃないかとすら思うレベルで完璧なビートを繰り出す。
そして宍戸氏と山際氏のギリギリの掛け合いの中の長すぎる程に長く、そしてその長さすら永遠であって欲しいとすら願うギターの応酬。鎌田氏のルートを弾きながら確かなメロディを生み出す縁の下の力持ちなベース。何から何まで完璧だった。
終盤に更にBPMを落とし、終わるのか終わらないのか分からない呼吸が止まりそうになる空気感すら割礼だけの物で、その瞬間はこの世の時間が全て止まってしまうのではないかとすら思った。
最後は昨日同様文字通りのれない「のれないR&R」で締め括られたが。この日は二回に渡るアンコールがあり、そこでプレイされたのは昨日同様「ゲーペーウー」と更にもう一発「LOVE?」とのれない楽曲ばかりの本編と打って変わってのれるR&R。これ本当にズルくて最高に格好良かった。
セットリスト
1.Into
2.風
3.太陽の真ん中のリフ
4.INスト
5.ルシファーの悲しみ
6.ストライプ
7.アキレス
8.ビアタタ
9.オレンジ
10.溺れっぱなし
11.のれないR&R
en1.ゲーペーウー
en2.LOVE?
実に二時間半近くに渡る圧巻のライヴを繰り出した割礼だったが、恐ろしいのはこれが終着点だとは到底思えない所だ。
これから先もスローペースかもしれないが、ライヴを変わらず重ねていく事で更に深化してしまうのは確信的であり、活動35年を超えても聖域にならず、更なる化け物として君臨し続けるであろう。
吉祥寺の地下室を地底へと変え、そこに君臨した魔王こと割礼。
あまりにも浮世離れし過ぎた残酷なロマンの結晶としてのスロー過ぎるサイケデリックロックはまだまだ底無しだ。
割礼のライヴは最早異次元の体験であり、全てを歪ませ置き去りにするサウンドは誇張抜きに唯一無二であり続けるだろう。
■皮と肉、骨/百姓一揆
年を取っていくと失うものばかりだと思うことが最近増えた。
人生なんて失う事の連続だなんてどっかの偉人か安くて最低で最高なもつ焼き屋でお互いベロベロに酔っ払った時に飲んでる友達が言った言葉かはもう忘れてしまったけど。それは間違いなく事実だ。
思春期に周囲になじめなくて、そんな時に音楽・サブカルチャーは間違いなく救いだった。
だけど歳をとってそれすらもファンタジーでしか無いと気付いてしまう。
当たり前の幸せすら上手く掴めなくて生き辛くて、それでも生きる為になんとか世の中に上手く合わせて生きなければいけなくてすり減ってく。
そんな日々を嘘だと思いたくて、ライヴハウスで爆音を浴びながら酒を飲んだりしてて、その瞬間は確かに幸せだけど、気付いた時には絶望が真後ろで口をでかく空けて自分自身を食い散らかそうとしてる。人生なんてそんな事ばかりだ。
The Restaurantのフロントマン和田侑也を中心に東静岡にて結成された百姓一揆はそんな歳を取って生き辛さが加速する人たちが今一番聴くべきバンドだと僕は個人的に思ってる。
bloodthirsty butchers、eastern youth、COWPERS、NUMBER GIRLといった彼らが影響を受けたバンドで音を語るのは簡単かもしれないけど、彼らの本質はそんな所では無いと思ったりもする。
further platonicからリリースされた百姓一揆の初の正式音源である今作は絶望的なまでに生き辛さばかりを叫ぶ作品だ。
リードトラックである「福沢諭吉」というタイトルの時点でそのバンド名以上のインパクトがあるが、僕たちは紛れもなく福沢諭吉の奴隷であり、奴がいないと生きていけない苦しみの中で日々を生きることを強制されている。
あまりにもザラついた音、分離なんてクソ食らえとばかりに各楽器の音が塊の様に聴き手の胸を殴りつける。
楽曲によってはポストロック的なアプローチもあるが、それでも粗削りなざらつきが一番印象に残る。
メロディはこれでもかと青臭い焦燥感に満ちているが、そこにあるのは郷愁のエモーショナルでは無い。失ってしまった青さや未熟さに対しての鎮魂歌にすら聴こえてしまう。
メンバーがそれぞれキャリアがあって、決して若いバンドでは無いのかもしれないけど、大人になんか解ってたまるものか!って初期衝動が渦巻く。
その初期衝動はソリッドなサウンドにも現れていて、無垢さが粉々にされて破片の様に散らばる美しさと残酷さすらある。
そこには打算なんて何一つない。あるのは「そんなんじゃねえだろ!!」と聴き手や自分自身の喉元に刃を突きつける様なカテゴライズされることを拒んだ衝動だけだ。
3曲入りのEPとコンパクトな作品ではあるが、百姓一揆の持つ本当の青さは十分過ぎるほどに伝わる作品だ。
百姓一揆の音楽は感情に名前やラベルを付けられる事を全力で拒む。だからこそ本当に孤独な音楽なのかもしれない。
でも彼らが心の一番底から叫ぶ衝動に少しでも勝手に共感出来たりするなら、その生き辛さもまだマシになるのかもしれない。その感性はまだ青く純粋なままなのかもしれない。
焦燥と絶望の狭間で綱渡りを強いられ、その先にあるものが見えなくなった時、僕は百姓一揆を聴く。
そこには明確な解答なんて何一つ無いかもしれないけど、だからこそ自分の物差しで答えを見つけたくなる。
信者が気持ちよくなるお言葉を与えて正義の味方(笑)を気取ってるクソみたいなアルファツイッタラーになんて答えを求める必要は何もない。
誰かを啓蒙したくて仕方なくて、ロックスター気取りのクソサブカルバンドのCDなんて叩き割ればいいし、なんなら明日の仕事帰りにディスクユニオンに売り飛ばして、その金で淡麗グリーンラベルを買った方がずっと人生はマシになる。
衆愚主義も集団意識も全部クソ食らえって思い続けて生きていたい。何者にもなれなくても自分だけは肯定してやりたい。
そんな人間の感性を持ってる、牙を隠し持ちながら日々を生きる人に僕は百姓一揆を是非とも聴いて欲しい。
真っ暗闇を目の前にして、それでも道なき道を切り開こうとする人の為のテーマソングを百姓一揆は叫んでいる。
■のれないR&Rレコ発ライヴ一日目@吉祥寺MANDA-LA2(2019年12月20日)
最早恒例となった割礼吉祥寺MANDA-LA2ワンマンライヴ。
今回は9年振りのオリジナルアルバム「のれないR&R」リリースライヴという事で2daysでの開催。
加えてゲストプレイヤーとしてパーカッションに村瀬弘昌氏を迎えた特別編成。
最新作「のれないR&R」は割礼の基本的なサウンドスタイルはそのままに、より遅くより重く深化した傑作となっただけに、今回の記念すべきワンマンは長年割礼を追いかけてる僕にとっても特別な気持ちで臨んだライヴとなった。
ライヴは2部構成で、第一部はメンバー4人で割礼の名曲殿堂の楽曲をプレイするというもの。
しかしながら第一部の時点で割礼の持つ重厚極まりない地底のサイケデリックが炸裂してしまった。
第一部は1時間でたったの4曲だけのセットリスト。しかしたった4曲だけで自らの王国を作り上げるのが割礼だ。
ライヴは「散歩」からスタートしたが、ただでさえ音源より遅くなっている現在の割礼と比較してもこの日の割礼は圧倒的に遅く深かった。
たった一音、たった一言の歌詞を紡ぐのに異様なまでの余白が生まれ、その中で時間軸を歪ませていくのが現在の割礼のライヴのスタイルだが、それが完璧なまでに仕上がっている。
特筆すべきはラストのノイズの嵐の中で空間すら歪ませるアンサンブルの凄さ。
最早目の前で何が起きているのか理解不能になり、音の塊が襲いかかり、暴力的なのに快楽的な陶酔の世界へと引き摺り込まれる。
素面なのに意識がふわふわと浮かび上がり、今自分がいる場所が現実なのか涅槃なのか辺獄なのかすら分からなくなる異様さ。
ノスタルジーなんて皆無、過去の楽曲をプレイしても現在の割礼を体現し圧倒していく力があるから割礼は唯一無二だ。
松橋氏のMCから休憩を挟んでの第二部はゲストに村瀬氏を迎えての5人編成でのライヴ。
セットは打って変わって最新作「のれないR&R」を中心とした最新の割礼を体現するセットリスト。
遅さこそ第一部と変わらないが、打って変わって暴力的なサウンドスケープではなく、メロウな甘さにズブズブと沈んでいくような展開を見せる。
「ルシファーの悲しみ」では普通に遅いのに不思議と速さすら感じさせるアンサンブルを展開しながら、そのメロウさを吐き出し、「オレンジ」の郷愁の旋律に不思議と涙腺が緩くなる。
村瀬氏のパーカッションは驚くほど自然に割礼のアンサンブルに馴染み、重厚さを押し出すだけでなく、割礼の世界観をより四次元的な物へと彩っていく。
強靭でありながら、穏やかな優しさすら感じる音は並大抵のバンドには絶対に生み出せない。
そしてハイライトは宍戸氏のMCからの大名曲「リボンの騎士」である。
村瀬氏を迎えての「リボンの騎士」は第二部の穏やかな空気を完全に打ち壊すこの日一番の音の暴力であった。
アンサンブルが揺らぎを生み出しながら、一つの生き物として呼吸し、轟く化け物として襲いかかる。
宍戸氏と山際氏のギターの絡みが印象的な永遠と続いてほしいとすら願ってしまうアウトロには毎回驚かされるが、これまで観た「リボンの騎士」の中で一番の重さだった。
本編ラストは割礼史上最も音数が少なく遅い「のれないR&R」の物悲しさ終了。
アンコールでは「ゲーペーウー」をプレイし、この日一番速いロックな割礼で心がご機嫌になりフッと満たされた気持ちになった。
セットリスト
1.散歩
2.光り輝く少女
3.ネイルフラン
4.HOPE
5.オレンジ
6.ルシファーの悲しみ
7.ストライプ
8.ビアタタ
9.アキレス
10.リボンの騎士
11.のれないR&R
en.ゲーペーウー
僕の人生より長いキャリアを持ちながら、全くブレずに自らを深化させ続ける御大・割礼。
10年以上に渡ってライヴを追いかけてるが、今こそ割礼は最盛期を迎え、過去最強の音を生み出している。
2時間に及ぶサイケデリック絵巻はマンダラの音響もありエッジの効いたものになり、そして吉祥寺を異世界へと変えた。
割礼が未だに唯一無二であり続けるのはその遅さも重さも甘さもだが、ライヴバンドであり続けているからこそだと再認識した。