■2020年01月
■IKKI 2/百姓一揆
静岡県三島市発焦燥衝動型オルタナティブロックバンド百姓一揆。
今作は自主制作デモ音源の3曲に新曲を加えた全4曲の2nd EPとなっている。
フォーマットはCD100枚とカセット100本でのリリースだ。
百姓一揆は1st EP「皮と肉、骨」リリース後にギタリストとしてJamie(And Protector)が加入。今作は4人体制になって初の音源でもあり、デモ音源の楽曲も4人編成で再録となっている。
百姓一揆というバンドは現代の主流となっているSNS映えやパワーワード頼りの作為的偽音楽に対してフラストレーション全開でノーを突きつけるバンドだと勝手に思っている。
歳を取っても、いや歳を取ってしまったからこそこびり付いて消えない絶望や後悔を無作為に爆音に乗せて叫ぶ衝動を鳴らす。
彼らのサウンドはJamieが加わった事によって更に解像度と奥行きが増した。
持ち前の蒼いメロディセンスを最大限に活かすツインギターの掛け合い、更にはファズを全力で踏んだ瞬間のバーストする衝動も倍プッシュで炸裂。
ベーシスト小橋の中尾憲太郎直系のコシの強いルート弾き、ドラマー鶴野のドカドカと叩きつけるドラム。ギターボーカル和田の全開の叫び。
デモ音源の再録曲はどれもポストロック色が強いアプローチを繰り出しているが、そこには気取ったお洒落さは皆無。
クリーントーンの儚いアンサンブルとサビでバーストするカタルシスの対比がより鮮明になっている。
特筆すべきは新曲の「精神焦燥衰弱」だろう。
前作EPのキラーチューン「福沢諭吉」を超える最強の一曲に仕上がったと言える。
今作の中でも特に轟音バースト型のサウンドアプローチを繰り出し、彼らのルーツであるbloodthisty butchers、COWPERS、eastern youthと言ったバンドの音を2020年代へと更新し、その上で現代感皆無な百姓一揆節に仕上げている。
さもわかっているかの様にそれらのバンドの上積みだけをコピーアンドペーストしたバンドはこれまでも腐るほど登場したが、百姓一揆がそれらのバンドの流れにありながら全く別物になっているセンスの高さにも驚く。
それはギターボーカル和田が自らが愛する音楽を血に変え、更に嘆きと怒りをありったけで叫ぶからこそだろう。
メンバー4人のアンサンブルの臨場感は音源でもフレッシュな状態でパッケージされており、その辺りも彼らの大きな武器だ。
初期衝動を音楽にするのがロックであることなんて実際問題とうの昔に誰しもがわかっている筈の事実だ。
しかし現実はそんな衝動を純粋なまま放つだけの力量を持つバンドはほぼ皆無と言って良いかもしれない。
様々な思惑、打算、承認欲求、それらは純粋な衝動を腐らせ、そしてその瞬間だけで消費されてあっという間に賞味期限切れになる商品へと堕ちていく。
百姓一揆は90年代00年代国産オルタナティブロック感という意味では懐かしさを感じる人も多いと思う。
同時に百姓一揆は2020年という作為に満ちたものばかり溢れる時代に生まれたからこそ、年齢を重ねても消えることがなかった衝動を子供の様な純粋さで鳴らす。
だから百姓一揆の音楽は決して腐ることがない。
SNSに切り取られることのなかった日々の裏側の嘆きや後悔だけを百姓一揆は鳴らす。
綱渡りの生活の中で衰弱しても手放せない感情を鳴らしているからこそ、僕は彼らを全力で支持する。
■Straight Edge/Fragile
奈良が誇る轟音兵器が帰ってきた。
00年代末に結成され、エッジの効いた轟音とツインボーカルのポップネスでその名を広めた奈良県のツインジャスマスターオルタナティブロックバンドFragile。
2018年にメンバーが脱退し、minameeeとyuriのギターボーカルの二人だけになるというピンチを迎えながら、2019年に新ドラマーとしてマサヒロが加入。
サポートベーシストにex.脳内麻薬ズのウエダを迎えてレコーディングされた今作はバンド初となるシングル作品であり、Fragileの逆襲の幕開けに相応しいキラーチューン2曲が収録されている。
Fragileはギターポップ・ポストハードコア・シューゲイザーなどの多岐に渡る音楽性を持ちながら、ハードな轟音サウンドとメロディアスで歌心溢れるポップネスを共存させる希有な存在だ。
結成当初から現在までリリースされた楽曲こそ決して多くないが、それらの要素は全くブレていない。
そして今作はFragile史上最もハードさとポップさが高純度でパッケージされた作品となっている。
タイトル曲「Straight Edge」はバンドの再スタートへと新たな決意と覚悟しかない完全なる勝負曲だ。
2本のジャズマスターが織りなす不協和音と轟音、一発で脳味噌の最奥まで突き刺すハイがエグい程に効いたサウンドと前のめりなビート。
けれどもサビではツインボーカルが高らかに歌い上げるポップさ。
決して奇抜な事は何もしていない。けれども無垢過ぎるポップさと時に暴れ狂う轟音の対比が生み出すFragile節は極まっている。
B面の「忙殺のfade」は轟音シューゲイザーソングとなっているが、歌物バンドとしてのFragileを見せつける楽曲となっている。
エモーショナルなシューゲイザーサウンドから始まり、立体的なサウンドアンサンブルの奥深さ、あくまでもシンプルなビートとグルーヴのコシの強さ。
繊細さと力強さが共存し、メインボーカルのminameeeとコーラスのyuriの歌声の青い美しさがキラキラと輝く。
思えばFragileはこれまでも幾多のピンチを迎えてそれを乗り越えてきた。
活動停止状態だった期間もあったが、それでも彼らはその轟音を鳴らすのを止めることはなかった。
新生Fragileが放つジャンルやカテゴライズなんて不要なポップさもエッジも極限まで研ぎ澄ました必殺の2曲。
Fragileは今こそ多くの人に見つかるべきバンドだと僕は思う。
ここまで轟音に全感情を託した不器用で純粋なバンドを僕は知らない。
■sassya- × VACANT split CD release party@吉祥寺WARP(2020年1月18日)
東京のsassya-と愛知のVACANTの一撃必殺爆撃スプリットは間違いなく今年のベストリリースの一枚になる作品だ。
そんな2020年の最新型名盤を引っ下げてのsassya-&VACANTのスプリットリリースパーティは北海道の御大zArAmeをゲストに迎えての大勝負な激闘ライヴ。
更には全バンドのPAをツバメスタジオの名音楽技師こと君島結氏が担当するのだから既に最高が約束された一夜。
この日も色々と熱いライヴが被りまくっていたが、僕はこの最高が約束された夜を目撃するべく吉祥寺WARPへと足を運んだ。
この日の東京は初雪を記録し、この冬一番の冷え込みとなったが、そんなの知ったこっちゃねえって話。
真冬の夜に最高にイカしたロックバンド達の熱演が観れるんだからシチュレーションも完璧過ぎたって話だ。
・VACANT
トップは愛知のVACANTからのキックオフ。VACANTは僕個人としてやっとライブを観る事が叶い、この日彼らを目撃するのは心から楽しみだった。
VACANTはポストハードコア云々の文脈で語られることも多いのかもしれないけれど、僕はロックンロールバンドであるとずっと思っていて、この日のライヴはVACANTが最高のロックバンドであることを証明するライヴを展開していた。
本当にグレッチの音なのか?と疑いたくなる程に鋭角で尖り切ったギターの音一発で完全に勝利が約束されたライヴ。
余計な感傷を排除し、コシの強いビートとささくれだったギターフレーズだけで勝負をかましてくる漢らしさ、メンバーそれぞれの佇まいこそクールではあるが、その中に確かな熱情が迸る。
MCは殆どなし、チューニング以外ほぼノンストップで必殺の鋭角ロックを繰り出していく様は最高に気持ちがいい。
ラスト前のMCでエイさんは自らを「アマゾンの奥地の原住民の様なマイペースなバンド」なんて言っていたが、VACANTは間違いなく愛知から全世界に羽ばたくべきロックンロールバンドだ。
なんのギミックもいらない。ひたすらにビートとリフに愛されたからこそ生み出せる鉄のサウンドは問答無用だ。
最後の最後にギターボーカルのエイさんが「狂って帰れ!!!!!」と叫んだ。
2001年の下北沢SHELTERでの「狂気狂鳴」のCOWPERSのライヴで最後に現動氏が吐き捨てた言葉であり、その辺りも含めて本当に燃え上がるライヴとなった。
・zArAme
ゲストバンドは北海道のレジェンド達によるスーパーバンドzArAme。
この記念すべき日にzArAmeがゲストバンドとして参戦したのは必然だったと思う。
幻想的で美しいインスト「転生」からキックオフ、そのまま畳み掛ける様に「lowpride」、「ラストオーダーはディスオーダー」とzArAme印のキラーチューンが繰り出される。
zArAmeはVACANTとsassya-に比べたらキャリアが長い人たちによって結成されたバンドではあるが、円熟の中にある冷めない衝動と鋭角さがあり、がむしゃらに尖り切るのではなく、その尖りにどこか優しさすら感じる。
例え形を変えても音楽を続けてきた人たちだからこそ生み出せる貫禄がzArAmeにはある。それは轟音と叫びと共に今なお狂い続ける音像だ。
現動氏とイサイ氏が漫才の様な掛け合いMCをしたりとほっこりする時間こそあったが、理屈抜きに轟音で殴り付けるサウンドはzArAmeが現役の本物であるからこそ生み出せるものだ。
ラストの「微唾」の感動的な瞬間まで何一つ隙が無いライヴだった。
zArAmeはex.COWPERSだとかex.theSunというメンバーのキャリアだけで語り尽くせるバンドではない。
現動氏の最高の叫び唄と共に積み重ね続けるからこそ生み出せる熱情。
WARPのフロアは完全にzArAmeの空気になり、その音だけで世界を変えることが出来るなんて子供みたいな幻想もzArAmeを観ていると確かに信じることができるんだ。
・sassya-
トリのsassya-がこの日の全てを持っていったと思う。
この日のsassya-は今後伝説になり得るであろうライヴを繰り出していた。
いつもライヴの最後にプレイされる勝負曲「脊髄」でスタートした瞬間にこの日は何もかもが違うと確信した。
岩上氏のやり切れなさを叫ぶボーカルの気迫、決して音数が多くないからこそ鋭角さに繋がるアンサンブルのハマり具合、ギターとベースとドラムが一つの生き物になっているグルーヴ、初っ端から感動的で生々しい空気に包まれる。
sassya-のライヴはその緊張感が異様だ。ドラムとベースの一体感に加えて、ファズを踏む瞬間の気迫とその一瞬の後に繰り出される爆音のギター。
自問自答の言葉、爆発する瞬間のカタルシス、決して速い楽曲が多いわけではないが、高まった瞬間に繰り出される感情の疾走。ロックバンドとして全てが完璧なライブをsassya-は常にブレずに展開する。
この日の終盤は待望の新曲もプレイ。一曲目の新曲はsassya-印のブルースとも言うべき新境地、そこからスプリット収録の新たなるキラーチューン「吠えないのか」へと雪崩れ込む瞬間にはWARPの空気は全身を切り裂くものへ。
そして本編ラストでプレイされた新曲がsassya-史上どころか、ロック史に名を残すかもしれないとんでもない名曲だった。
勝負曲「脊髄」すら霞んでしまいそうになるsassya-史上最も物哀しく優しい名曲。
ベタな例えになってしまうの承知で言うが、bloodthirsty butchersの境地にまでsassya-は遂にたどり着いた。そしてこの日初めて聴いたこの新曲で気付いたら涙を流していた。
そんな感動的なラストからアンコールでの4カウントからの「だっせえパンクバンド」での全力で暴走するサウンドで一気に天までぶち上げて行く瞬間。問答無用で血管が破裂しそうになるくらいの興奮。
本当にずるくて嫉妬しそうになる程にこの日のsassya-は完璧だった。このバンドは本気で持っているバンドだなって再認識したと同時に、だからこそ本物のロックバンドであり続けているんだろう。
VACANT、zArAme、sassya-と活動拠点も世代も違うけれども、どこまでも尖り続ける事で未来を切り開く3バンドの生み出す空気に酔いしれた特別な夜になった。
WARPを出ると熱狂と熱情を冷ます様な寒さの中、まだ小雨が降り続いていた。
冬の寒空の下の帰り道の東京はいつもと変わらないけど、なんだかいつもと少しだけ違う空気が流れていた。
何者にもなれない僕でも、たった3時間3バンドのライヴを観ただけで、世界が少しだけ変わった気がした。
随分といい歳になった自分でもそんな事を恥ずかしげもなく心から思えるのは最高のライヴを目撃したからだろう。
二度と同じ夜は訪れないからこそ、この日の夜はずっと記憶に残る。
■DIABOLIC/DEATHSPAWNED
2018年結成の神奈川県トーチャースラッジコアDEATHSPAWNEDの2019年リリースの1stアルバム。リリースはこちらも神奈川のSATAN'S DOJO RECORDINGSから。
バンドに関しては情報が本当になく、何故か結成年と活動地域のみが判明してて、ライヴ活動などは全くしていない模様。
音源のブックレットも曲名のみがクレジットされているだけでその正体は謎に包まれている。バンドなのかユニットなのかソロワークなのか当然不明。
SATAN'S DOJOといえば2015年末に突然として数作品をリリースした謎のレーベルであり、リリースされた音源に関しても全てが謎に包まれている。
しかしながら同レーベルからリリースされたINFANTICIDE SSはコアなフリークスの間で局地的に話題になったりもしたから不思議である。
さて肝心のDEATHSPAWNEDに関してだけど、前述したINFANTICIDE SSの進化系とも言える音楽だ。
マシーンビートの無慈悲なインダストリアル。徹底してトーチャーなスラッジサウンドと共通項はあるけどDEATHSPAWNEDはより暗黒の世界を描く。
DEATHSPAWNEDの最大の特徴はデプレッシブなメロディにあるだろう。
無機質なビート、地獄の底から聞こえてくる様なリヴァーブのかかりまくった怨嗟に満ちたボーカルだけでも地獄だけれど、その地獄を拡張させるかの様にギターのフレーズがメロディアスなのだ。
しかしメロディアスと言っても泣きメロ全開だとかそんなメロディアスさではない。
ギターフレーズも基本的に圧殺的なフレーズが多いのだけれど、不思議とメロディを想起させるものになっている。
わかりやすくデプレッシブを狙ったというより、軸になってるサウンドの解像度をより上げようとした結果、メロディも付いてきたと言っていいかもしれない。
楽曲は殆どがコンパクトな尺でまとめられており、この手のサウンドの中でも聞きやすくなってはいるが、アルバム32分通して煉獄しか待っていない。
けれども、同じ様な楽曲を垂れ流しするといった事態にはなっていなく、楽曲それぞれの細かい塩梅が絶妙。
徹底してトーチャーな楽曲から、メロディがより明確になった曲から、ブラッケンドな要素を持つ楽曲から、フューネラルドゥームな楽曲まで様々な要素があるから余計に意味が分からなくなる。
それでも世界観は徹底しており、アートワーク同様にグロテスクな地獄でありながら、その先に破滅的な美しさすらあるから素晴らしい。
32分に渡る醜も美も混在した真っ黒な煉獄巡り。
ただでさえ全身を粉砕する様なサウンドなのに、精神を抉り出す様な悲壮感溢れるサウンドになっているから、心身ともにバラバラになる。
あまりにも暗黒過ぎて聴いていると死にたくなるどころか、寧ろお元気になれるトーチャーインダストリアルお葬式サウンド。
スラッジ・ドゥーム愛好家は勿論、ブラックメタルやフューネラル系、とにかく暗くて重くて泣ける音楽が好きな人はマストな名盤だ。
しかしDEATHSPAWNED、一体何者なんだ…
■SATURDAY NIGHTMARE@国分寺Morgana(2020年1月11日)
鉄板バンドも遠方からのカチコミバンドも気鋭の若手も含めてモルガーナだからこそ出来る攻めのブッキング。
熱情に満ちた土曜日を文字通り悪夢へと変えるオルタナティブな夜となった。
・North by Northwest
昨年突如として登場し、各所で話題になり始めている3ピースインストスラッジバンド。
このバンドのライヴは何度も観ているけど、シンプルな3ピースのサウンドから最大公約数どころか宇宙へと連れ去っていくライヴを展開する。
三位一体になった音のグルーヴ、一瞬のハウリングのブレイクから一気に雪崩れ込むスラッジサウンド、その瞬間瞬間がトランスへと繋がる。
それとこの日のライヴを観て改めて気付いたのは、NbNの持ち味とも言えるクリーントーンの不穏なサイケデリックさは関西が誇る伝説的ヘヴィロックバンド花電車のそれに確かに通じるものがある。
往年のヘヴィロックの泥臭さはそのままに、現代へとアップロードされたヘヴィロックは地底と宇宙を自在に行き来する。すなわち合法でぶっ飛べる最高のヘヴィロックって事だ。
・MUGANO
2ピース西東京ヘヴィロッカーズ。NbN同様にここ最近のモルガーナでは鉄板バンドになりつつある若手だ。
MUGANOも結構ライヴを観ているけど、どんな場所でライヴをしてもシアトルの地下室に変えてしまう魔力が魅力的だ。
下手したらこの日一番音量が大きいライヴだったけれども、MUGANOの魅力は爆音のリフとタイトなビートだけでソリッドなヘヴィロックを鳴らす所だ。
ギターリフはどこかルーズでありながらも、不思議と耳に残るキャッチーさがあり、それが一音一音タイトに叩きつけるドラムと見事に映える。
その中でもスラッジ・ストーナーを熟知したボーカルは下手な歌物バンドよりもずっと歌物としての魅力に溢れており、ヘヴィさの中の叙情詩を確かに聴かせる。
沈み込む様でもあれば、果てへと爆走する様でもあり、基軸を何も変えずに多様にヘヴィロックを鳴らすMUGANOはMelvinsがそうであるようにどこまでもロックバンドなのなのだ。
・umanome
かなり久々に観たumanome。この日の中で最も普遍的なロックバンドであり、だからこそ逆に異質さも際立ってた。
ポストハードコアな叫びまくりな楽曲も良いが、umanomeは爽やかでクリーンなエモーショナルな楽曲こそ魅力的である。
何一つ飾らずに全身全霊で歌い上げてグッドメロディを鳴らす。
下手したら往年の日本語ロックのバンドにも通じる歌心とほんの少しの湿り気。
激烈なバンドばかり並ぶこの日のブッキングでどの様なライヴをするか気になったりしたが、なんてことはないありのままのumanomeのライヴだった。
何一つ飾らない、下手したらポップだけれどもそこに打算はない。
不器用なまま鳴らされる音は叫び歪んでいても青く歌い上げてもumanomeになる。
決して派手では無いけれども心に確かに響くライヴだった。
・ixtab
群馬からカチコミかましに来たixtab。この日のライヴは本当に神憑りを感じさせる絶対正義な優勝ライヴだった。
ixtabの持つハードコアパンクはサウンドスタイル云々を全て打ち抜いていく。
変幻自在なビート、だけれども常にカオスな爆走感で突き抜け、一体どこにそんなエネルギーがあるんだと言いたくなる程に怒りを音に込める。
ネオクラスト云々とか文脈こそ色々あるが、ixtabはあらゆるハードコアパンクを飲み込み、それを怒りに一点集中で放出し、その場で死んでしまっても構わないとばかりに全身でライヴをする。
お行儀の良さなんて何一つ無いけれども、ハードコアパンクは元々そんなお手本に習う音楽じゃなくて、ありのままを全放出する音楽だって事をixtabは証明している。
最後にプレイした森田童子のカバーも含めて休まる暇など全くなし。全感受性を強引にこじ開けてブチ上がらせるライヴは本当に最高でしかなかった。
・SUNDAY BLOODY SUNDAY
混沌の夜を締めくくるのはご存知SUNDAY BLOODY SUNDAY。
このバンドはトータルとしてのバランス感覚の鋭さを持ち、こうした企画ではその魅力が一番発揮されるバンドだろう。
セット自体は1stの楽曲とREDSHEERとのスプリットの楽曲で構成されていたが、そのセトリも含めて本当にバランスがいい。
ヘヴィなリフ、歪んだベース、しばきあげるドラム、高らかな歌。たったそれだけで無限の広がりを見せるヘヴィロックがSBSなのだ。
何一つトリッキーな事をしていないからこそ、ライヴでの底力は相当なもので、それぞれの音の輪郭がはっきりし、その中でリフに溺れるのもメロディに浸るのもビートで頭を振るのも全部正しい楽しみ方になる。
いつだって最高のライヴを演るという安心と信頼。だけれども常にフレッシュな感覚でライヴを観れるバンドって本当に少ないと思う。
この日もSBSはただ最高だった。そしてそろそろSBSの新たなる未来を切り開く新曲が聴きたい限りだ。
ここ最近のモルガーナはハコ企画ならではの鉄板感を出しながらも、同時に若手バンドを積極的に輩出しようとする気概がある。
型にハマってばかりでは何も変わらないからこそ、国分寺という土地からオルタナティブな感覚で新たなる音を発信している。
だからこそモルガーナは本当の意味でライヴハウスだと言えるハコだ。
僕個人として決して足を多く運んでいるとは言えないけれども、これからもモルガーナでの新たなる音楽との出会いは心から楽しみだ。
■a hundred percent vol.4@渋谷HOME(2019年12月29日)
ライヴは夜だけのものじゃないって認識は少しずつ広まっている感覚はあるけれども、年末の真昼間にカテゴライズからはみ出しまくった4バンドが集結したのは本当にナイスなブッキングだ。
ハコ企画で枠に囚われないブッキングが増えるのは本当に良いことだと思う。
そんな訳で、遅ばれながらも個人的な2019年のライヴ納めの簡単な感想。
・Presence of Soul
今年最新アルバムをリリースしたPoS、この日はYukiとYoshiのコアメンバーによるデュオ編成でのライヴ。
デュオ編成でのライヴを観るのは初だったが、バンド編成のPoSと打って変わって、二人きりで出来る最大公約数を目指した先に、バンド編成PoSとまた感触の違う美しい世界が広がっていた。
プレイしたのは長尺曲2曲だが、その2曲の光と闇のコントラストがPoSのセンスで鳴らされるのだから、VJも相まって引き込まれる。
前半のYukiの美しい歌声とYoshiの透明感あふれるギターが幾重ものレイヤーを重ねてオーロラのように神々しく音を体現する楽曲、後半は一転してこの世の闇を暴くようなノイジーかつ不穏な静謐さから、ギターとノイズと叫びが奈落を暴くカタルシスで終結する落差。
特に後半の楽曲は下手なスラッジのバンド以上にヘヴィかつ暗黒のサウンドスケープ、デュオで鳴らされているとは思えない黒の塊に脱帽した。
・moreru
今年アルバムをリリースし、各所で話題を掻っ攫った若手バンドmoreru。
ライヴはこれまでも何回か観ているが、moreruほどにライヴを重ねる度に変化していくバンドも中々いない。
明らかに音量のキャパシティオーバーなノイズギター、しばき上げるドラム、その中でメロディの輪郭を浮かび上がらせるベース、そして憎悪を吐き出すボーカルと、完璧過ぎるノーフューチャースタイル。
下手したら明日解散してるかもどころが死んでそうなくらいの先の見えなさはライヴからも伝わってくるけど、より明確に憎しみの先の歌と悲哀のメロディを持つからmoreruは単なるスタイルだけの激情とは一線を画す。
moreruがライヴを観るたびに印象が変わると感じるのは破壊衝動と楽曲そのものの良さのバランスがより明確になっているからなのかと感じたりもしたが、そこに計算高さは何も感じないのがmoreruのmoreru感なのかもしれない。
moreruは少し観ないでいると本当に別バンドになりそうで、普通に解散とかもしてそうな感じも含めて今観ておいた方が良いバンドなのは断言する。
・looprider
loopriderは全く予備知識が無い状態で観たのだけれども、このバンドは◯◯っぽいって部分を意図的にすり抜けていく感覚を覚えた。
ヘヴィでありながらもポップな轟音。高らかに響く歌、音そのものは凶悪極まりないのにどこまでも心地良い。
果てしなく爆走する楽曲から、神々しいシューゲイズな楽曲までレンジは広いが、それらを全てロックンロールへと帰結させているのがloopriderの持ち味なのかもしれない。
エクストリームミュージックのトータルな整合性も含めて、絶妙にはみ出すセンスに拍手。
・kokeshi
この日の一番の収穫はkokeshiを知ることが出来た事だろう。
名前は何度か見たことがあって、バンド名からそれ系なポストロックかな?なんて安易なイメージを持っていたけど、そんなものは木っ端微塵にされた。
kokeshiは紛れもなくダークサイドニューメタルの先を鳴らすバンドだ。
黒々しい轟音、メンバーの演奏力こそ凄まじいが決してお上品なかっちりさには走らずグルーヴ感に満ちている。
各楽器の音の厚みやレンジが完璧で全音域から腹に来るヘヴィネスをお見舞いする。
退廃的なメロディアスさ、時にはメタルコアらしいブレイクダウンがありつつも全くモッシュ出来ない感覚や、ポストロック的なアプローチはあくまでその先の轟音へのアクセント。
楽曲のセンスがとにかく素晴らしく、それを高い密度で演奏するバンドだった。
ニューメタルは過去の音楽の様に思っている人がいるかもしれないけど、kokeshiを観たらニューメタルはまだまだ可能性のある音楽だと思える。
早くフルアルバムを聴きたい今後要注目なバンドだった。
年末にふと思いつきで足を運んだけれど、ジャンルにハマるのではなくて、そこから積極的にはみ出して打ち壊していくバンドが世代や文化圏関係なく集まっていたのは本当に印象的だった。
ジャンルの型にハマらない・ハメられないからこそ音楽はもっと面白いし、それをハコ企画で体現していた点も含めて印象深い日でした。
昼ライヴだったのも含めて、こうしたブッキングがもっと増えていくと思う。だからこそ、まだまだ楽しいことが待っていると思いながら2019年のライヴ納め。
■carolとREDSHEERの果たし合いを目撃して
と書いたは良いが、正直に言うとcarolに関して全く予備知識のない状態でこの日の来日公演には足を運んだ。
この日はナインスパイスの方で百姓一揆を観に行ってからPitbarへとハシゴをしたので、実際にライヴを観たのは目当てのREDSHEERからだったのだけれども、carolは想像を超える化け物で、それが日本の激音の化け物REDSHEERと殺し合いを果たした瞬間を目撃した興奮が未だに冷めぬ中、この文を書いている。
先に書くと当時を知ってる知らないとかcarolを知ってる知らないとか再結成なんて事は本当にどうでもいい事で、ダークハードコアのおぞましい力を目の当たりにしたという事実だけで十分だ。
REDSHEERは大分久しぶりにプレイされた「Silence Will Burn」からスタート。
新旧織り混ぜてのセットとなったが、この日carolとREDSHEERが出会ったのは必然だった。
ドイツと日本、それぞれの音楽的文脈は共通項もあるかもしれないし、異なる部分も多いと思う。
だけれど、REDSHEERには怒りと憎悪を圧倒的な音像に変える力がある。
生音のライヴなのもあったのかもしれないけれど、普段のライヴ以上に音のうねりは激流の様で、その中でギラギラとした殺気が首根っこを掴んでくる。
ラストにプレイされたHELLO FROM THE GUTTERからリリースとなったコンピレーション「SILENT RUNNING」に収録されている「Tearing You Apart」の激音を体感して、この殺意と憎しみはどこまであふれ出て来るのか怖くなってしまった。
終わりなく刻まれていくリフと共に曲名通り心身が細切れにされていく地獄。
carolのメンバーも最前でハイテンションでREDSHEERのライヴを観ていたけど、彼らがREDSHEERに惹かれた必然を感じた。
REDSHEERの持つ進化性と地獄はcarolと刺し殺し合うに相応しいものであり、黒く磨かれた刃で真っ二つにされた気分になった。
そして主役のcarol。前述した通り予備知識ほぼなしで今回のライヴを目撃したが、肉体に衝動を憑依させた化け物たちが目の前にいた。
Pitbarの生音の音響なんて問答無用で関係なし、一発の音が本気ででかい。そして塊になって降りかかってくる。
メタリックなフレーズも多用してはいるが、感触はどこまでもダーク。陰鬱な歪みが心身ともにバラバラに切り刻んでいく。
サプライズとしてAcMeのカバーから対バンのREDSHEER小野里氏が飛び入りでマイクジャックによるツインボーカルと怒涛の勢い。
Kowloon Ghost Syndicate安藤氏も飛び入りでゲストボーカルで参加し、Pitbarは大きな盛り上がりと混沌に巻き込まれていく。
MCで彼らが発した差別への怒りも含めて
carolは単純に強靭なサウンドを持つだけのバンドではない。それはcarolを知らなかった僕でも伝わった。
ハードコアパンクが持つ先鋭性だけでなく純粋なる怒りの衝動を音に宿す。
だからこそcarolは本物の化け物なんだろう。
例え言葉がわからなくても、バンドを知らなくても、その音を生で体感した瞬間に何度も拳を突き上げてしまう熱情。
ブレーメンコアとかメタリックハードコアとかニュースクールハードコアとか人によってその音に対して思い浮かぶ物はそれぞれある。
でもそんな人それぞれの文脈を超えた圧倒的なダークネスに心底恐ろしくなると同時に、異常なまでの興奮を覚えた。
完全に途中参加のGIGだったので今回はcarolとREDSHEERが対バンを果たしたという事実に関して記したが、共に何の予備知識や文脈がなくても観る物を再起不能にする激音だ。
うねるグルーヴ、粉砕するビート、切り刻むリフ、その中で感じるメロディの悲壮さ、そして怒りを叫ぶボーカル。ハードコアが何故進化を遂げながらも常に今に対して最も熾烈な音で怒りを叫ぶのか。
この駄文を書き記しながら、そんな衝動について僕なりに考えていたりする。
そしてこの駄文を書き記している時点でcarolは1/10の小岩bushbash、1/11の鶯谷What's UpでのGIGを残している。
少しでも興味がある人、ダークなハードコアが好きな人は迷わず足を運んで欲しいと願う。
ドイツからとんでもない化け物が目撃者の人生に残るライヴをするから。
再結成感など全く無し、最強の現役のバンドが地獄へと叩き落としてくれる。
■百姓一揆のライヴを目撃して
百姓一揆は昨年の頭頃、たまたまTwitterでその名前を知りチェックして一発で大好きになったバンドだ。
北海道バンドの影響下にありながら、それをオリジナリティに変え、日常の嘆きをどこまでも青く叫ぶ、何の嘘も飾りもない剥き出しのバンド。
これまでライヴを観るタイミングに恵まれなかったが、ようやく機会を見つけ、新宿ナインスパイスへと足を運んだ。
持ち時間は25分程で、プレイした楽曲は5曲と少し短めのセットではあったが、そのたった25分のライヴで感性を全力でブン殴られて記憶から決して消えないライヴとなった。
「Kawawohaide」からライヴはスタート。まず印象的だったのは音源だとザラつきまくっていた音はライヴだとよりクリアに突き刺す。
ドカドカと叩きつけるドラムは変わらず、ベースはシンプルでありながらコシの強いグルーヴで地盤をしっかり固める。
そしてクリアな轟音を放つツインギター。ボーカルはよりクリアに言葉の一つ一つを音源よりも更に剥き出しで投げつける。
この日は新曲もプレイしていたが、その新曲が百姓一揆の新たなキラーチューンとも言えるより透明感が増した青き疾走曲。
基軸は何もブレていないけど、自らのサウンドの解像度を上げた新曲を短期間で生み出していく力量に驚く。
何より百姓一揆は純粋にグッドミュージックだ。
聴く人の心を血塗れで抉り出す嘆きは暴力的かもしれないが、それは決して誰かを傷付けるためのものではなく、自らの痛みをさらけ出すからこそ、聴く人の痛みに確かに響く。
終盤にプレイされた「福沢諭吉」と「精神焦燥衰弱」の2曲はこの日のハイライトだった。
この2曲は百姓一揆が単なるNUMBER GIRLやbloodthirsty butchersのフォロワーではなく、それらのバンドの影響を受けながらも、2020年代に突入し、病みきっていく日々に対して答えなき衝動を叫ぶ本物であることを証明している。
心臓が少しずつ鼓動を早めていくような。そして血の流れも早くなる。
それこそ誇張抜きに滾るという瞬間。それが百姓一揆のライヴにはあった。
百姓一揆は決して知名度があるとはいえない東静岡ローカルの一バンドなのかもしれない。
だけれど、僕個人はこれからの時代はSNS映えや共感と共有を前提にした作為が終わる時代だと思っている。
そしてそんな時代が終わった後に、無作為の衝動を叫ぶ音楽がサウンドスタイルやジャンル問わず広まっていくと信じてる。
百姓一揆は間違いなくこれからもっと多くの人に本当の意味で届くバンドだ。
Instagramに切れ取られる事のなかった心の奥底に溜まりに溜まった嘆きすら音楽へと変える百姓一揆に僕は希望を抱いている。