■記号だけで繋がる虚しさ
まあ新年一発目の更新がレビューでもなく、旅の日記(読みたいかお前ら?)でも無く、普通に真面目なコラムになります。あくまでも個人的な意見ですので、反論なり意見は随時受け付けてく次第です。
ニコ生なりtwitterなりSkypeなりでネットで簡単に誰かと繋がったりコミュニケーションが取れる現代、僕自身も俗に言う馴れ合い厨だったりするので、音楽好きの方々と音楽の情報交換したりとか、色々やり取りしたりしてる人間ですけど、実はずっと前から違和感?というか、まあ色々と考えてしまった次第で、そんな違和感のメーターを少しでも下げる意味でこのコラムを記します。
実際にネットでも交遊関係程、虚構な物は無いって言う人が自分の身近に多かったりして、僕個人はそんな事は無いって考えてる人間だけど、実際に色々と考える機会があった訳でね。
例えばの話だけど、例えSkypeなりで今まで色々と話をしてた人と実際に会うとなる、例え今までコミュニケーションを重ねても初対面だ、今まで通りのコミュニケーションを実際に行うのは難しかったりする。例えネットでのコミュニケーションの自分が作り物じゃない素な自分でも、お互い初対面で上手く喋れ無かったりなんてよくある話だ。そこからまた一からコミュニケーションをして、関係を作らなければならない。それでお互いの関係が良い物になれば最高だけど、そう考えると人間関係を作る事は実際にまあまあ面倒だったりする。というかそれが本来のコミュニケーションで、それを乗り越えて一つの関係が構築されると考えてる。
リアルの人間関係でも空洞化なんか幾らでもするけど、ネットなんてなおさら空洞化しやすいんじゃないか?
人間関係の構築の手間や面倒さを避けるのに一番手っ取り早いのは記号でのやり取りで、コミュニケーションした気、繋がった気に簡単になれる非常に簡単で非常に虚しいやり取りだ。
「ちゅっちゅ!」
「hshs」
「○○は嫁!」「大好き!」
「愛してる!」
「友達だからね!」
こんな常套句をそれは頻繁にお互い言い合うだけのコミュニケーションまがいの記号のやり取り、それで安易に繋がった気になってる人を見て嫌悪感を通り越して怖くなるのだ。
しかも恐ろしいのは、相手が自分にとって都合が悪くなったら簡単にその関係を無かった事に出来るからだ。ネットワークを切断しておしまい。そして取って捨てで自分に都合の良い相手を簡単に見付けてまた安易に繋がった振りをする。他者を道具としか見ないコミュニケーションが簡単に出来るのだ、本当に怖くなる。
僕個人の価値観の話だけど、簡単に友達とか連呼する人がリアル・ネット問わず非常に苦手だ。
お互い確かな関係が出来てればそんな確認作業なんかする必要も無いし、例え距離が離れた場所にいてコミュニケーションの頻度が低くても、また繋がる時に「久し振り。」の一言で関係は続くから。
僕自身は、誰でも簡単に友達だなんて思えない。それって多かれ少なかれコミュニケーションを重ねてく物だから、簡単に友達って言う事は相手にも失礼だし、自分が他者に形式だけの友達面された時に非常に腹が立つからだ。
常に誰かと繋がり続ける錯覚に陥って、記号だけで関係が出来てると錯覚する事は非常に虚しいし悲しい。
ネットは本来なら知り合う機会が無かった人と知り合えるからこそ、そのコミュニケーションはリアルよりも手間がかかる、それでも僕は時間をかけてで関係を作りたい。即物的なコミュニケーションの快楽なんていらないんだ。
人間関係ってのは自分にとって都合の良い事ばかりじゃない、それを避けて繋がった振りをするのは悲しいよ本当に。お願いだから安易な共感を共有するのだけは止めて頂きたい。僕はもっとぶつかり合ってコミュニケーションを取りたいんだ。
簡単に友達だとか信頼してるって言わないでくれ。君の信頼はそんなに安いのかい?
人は孤独を知って、他者の有り難みを知ると思ってる。それを無視し続けてる限りは誰とも確かな関係は作れないよ、リアル・ネット問わずね。
そこを理解しないで、記号で安易を好意(と錯覚する何か)を口にするだけなら君はbotと何も変わらないよ。
画面に映った文字やスピーカーから聞こえる声だけを全てだと思うな。その奥にある物を見る努力をしてのコミュニケーションだと思う。
反論なり意見待ってます。
そして自戒の意味を込めてこのコラムを記します。